十三、華鳳の乱②
帝に謁見したのがチョリエイの食中毒の少し前のことで、ホンファは禍福は糾える縄の如し、とはまさにこのことだと思った。
ホンファが帝という福にあやかったせいで、大事な人――チョリエイに禍が及んだのかもしれない。
そんなことを思いながら、ホンファは朝から地べたを這って、朝鮮朝顔を探している。
現状、ホンファが思い当たるのは、帝に朝鮮朝顔を献上した人物くらいなものだが、その人物を探しても無駄だろう。
ホンファは躍起になって後宮内に朝鮮朝顔を探した。なんとしてもチョリエイの食中毒の真相を解明したかった。誰かが死ぬのを見るのは、もうごめんだ。
しかし、チョリエイの件が片付いたとしても、ユイユイの件は、いまだに解決していないが。
***
「ない、ない、ないない。絶対にあれは朝鮮朝顔なのに」
リンリン妃の食事作りの傍ら、ホンファは躍起になって朝鮮朝顔を探していた。
「ホンファ。もういい。俺は消されるんだ。あれは毒殺だ」
「いいえ、チョリエイさん。あれは食中毒です」
「ああ、ああ。俺は誰に狙われているのだろう」
狙われている、というのは確かに正しいかもしれない。もしかするとそれは、チョリエイが『氷』を持ち出したからかもしれない。氷を持ち出したチョリエイを口封じのために殺すのかも。
あの日、左大臣のシュンメイの娘シュンリエンは、青酸の毒を盛られて、今も意識が戻らない。
胃洗浄はしたのだが、毒がそれほど強かったのだろう。今は医官が、毒出しのためにせんじ薬を出している。
「チョリエイさんは、シュンリエンさまが毒を盛られた日、なぜ氷を持ち出したのです?」
恐怖に怯えるチョリエイが、震える声で答える。
「あの日はことさら暑かったから。主上の冷房のために」
氷柱を部屋に置くと、帰化冷却で部屋が涼しくなるのは平民でも知っている。
しかし問題は、
「チョリエイさんは厨房の官吏ではないですか。なぜ主上の氷など」
「ああ、ああ。あれがやはりよくなかったのか。俺もわからぬのだ。位の高い官吏さまが、氷吏への通行証とともに、俺に命じた」
きな臭くなってきた。
氷を取りに行くよう命じた人物は、恐らく何重にもひとを介して、自分にたどり着けなくしているだろう。
ホンファは息を吐く。チョリエイが狙われたのは、十中八九、氷とかかわっているだろう。ならばこの、朝鮮朝顔の件はなんとしても犯人を突き止めねば。
「ホンファ。俺は呪われているのだろうか」
チョリエイが至極真面目な顔で言う。「なぜ?」とホンファが呟くと、
「休暇中……東宮さまの幽鬼を見た」
「幽鬼ですって?」
そもそもホンファは、幽鬼だのなんだのを信じていない。だがチョリエイは怯え震えている。
「休暇中に……殺されかけたんだ」
「それが、東宮さまの幽鬼だと?」
「そうだ。龍のころもを身にまとっていた。それに、髪の色だって」
雪のように白かった。チョリエイがいよいよ恐怖に顔をひきつらせた。
確かに、東宮は母親に似て綺麗な銀髪を持っていたと聞いているが。
「チョリエイさん、幽鬼なんてものは存在しません」
「だが、その幽鬼が言ったのだ。『華鳳の乱では、よくも主上に毒を盛ったな』と」
帝の件を知っているとなれば、その『幽鬼』は帝に近しい人間だろう。誰が霊になりすまして、チョリエイを脅したのだろうか。
「その幽鬼は、なぜチョリエイさんを殺そうと?」
「……わからない。わからないから怖いのだ」
そもそも、刀を振りかぶった東宮の幽鬼は、チョリエイを切ることなく消えたのだそうだ。消えた、と言っても、チョリエイが恐怖から目を瞑っている間にいなくなったらしい。
「……東宮さまの幽鬼と……朝鮮朝顔……」
「ホンファ?」
「チョリエイさん。あの日食べていた……茄子ときゅうりは、どこで手に入れたのですか?」
かくなる上は、そこを探すほかにない。東宮の幽鬼を使ってまで、チョリエイを脅した理由はなんだというのか。そしてダメ押しに、朝鮮朝顔の食中毒。だが、茄子やきゅうりで食中毒なんて聞いたことがない。
「あの茄子は……俺の菜園で取れた茄子ときゅうりだよ」
「家庭菜園ですか」
「ああ。誰だったかな、いい苗があるからってもらったんだ」
「へえ、いい苗」
ホンファが考え込む。
「ホンファ?」
「ああ。チョリエイさんはなぜ急に休暇を与えられたのでしょう」
世間では、チョリエイは休暇先で朝鮮朝顔を誤食したと噂になっている。あるいは、後宮に毒を持ち込んだとも。
しかし、腐っても後宮だ。外出から帰る際は、厳しく持ちものを検査される。特にチョリエイのような下級の官吏ならなおさら。
となると、チョリエイが朝鮮朝顔を持ち込むことは不可能だ。
「チョリエイさん。朝鮮朝顔に心当たりはないのですか?」
「俺はなにも……」
本当になにも思い当たらないらしく、チョリエイは首を傾けた。
誰かに毒を盛られたわけではない、のなら。
「あの茄子ときゅうり、もう少し調べてもいいですか?」
「ああ。なんのことはない、普通の味の茄子だった。『いい苗』なんて言うから、どんな美味い茄子かと期待したんだが」
チョリエイが自嘲的に笑う。
ホンファは、さっそくチョリエイの菜園へと足を向けた。




