005.激闘
息をすることさえ苦しい、唾を飲み込むことさえ難しい。耐え難い気持ち悪さが腹の中から這うようによじ登り、込み上げてくる。それほどまでの恐怖とプレッシャーをその場にいた者達は即座に感じ取っていた。
「あれが単眼巨鬼…?どう見ても別種だろあんなの」
「クラウス!」
後ろから声をかけたのはアリアだった。クラウスのいる前線まで走ってきていたのだろう。小荒い息を整えながらレーンから預かった言伝を一言一句丁寧に話しだす。単眼巨鬼の中でも魔素量が桁違いに高く、巨大な体躯に収まりきらない魔素は瘴気として放出される。その瘴気を自らの魔力で操作し、自身の身体に纏わせているそうだ。
「あれは等級Aランク、固有ネームは混沌貪る崇拝邪鬼。単眼巨鬼の特異種よ」
「なるほどな、この気分の悪さはコイツの瘴気のせいってことか」
何人かはその場で立ち竦んで動けなくなってしまう、前衛ならば尚更だ。例え、多くの経験を積んだ歴戦の猛者でさえもそれと正面から事を交えるのは誰しもが避けたいこと。ここから一刻も早く逃げ出したい、だが引くことは出来ない、後ろには命を賭しても守らなければならないものがある。
現状この等級に対応できるのはギルドAランクを代表するパーティくらいだろう。続々と今までの波に焚きつけられた周辺に生息する魔物たちが溢れ、こちらに猛進してくる。どうやらあの特異種が統率を取っているようだ。
「お前ら!あの巨人は俺たちが引き受ける!それ以外は任せるから絶対に門の中に入らせんじゃねえ!」
クラウスの声ではっとしたのか、皆一斉に動き出した。各々の役割を全力で全うするために。未だにこちらを不気味な眼球で覗いてくる巨人は攻撃を仕掛けてくる様子はない。どうやらこちらの状況を様子見しているようだ。
「動かねえならこっちから───!?」
瞬間、こん棒を振り下ろす。その明確な殺意は前線まで駆け込んだアリアを標的にしていた。その巨躯からは目を疑う速さで地面を叩きつける。咄嗟の危機察知でどうにかクラウスが彼女の身を引いたが、振り下ろした衝撃で後方に吹っ飛ばされてしまう。
「っぶねえなおい!」
「死ぬかと思った…」
アリアに後衛に戻るよう伝え、退路を確保しつつクラウスは迎撃態勢に入る。レーンから貰ったガントレットでは相性が悪い。普段使い慣れた自前の獲物を装備し、神経を研ぎ澄ます。深く吸い、そして吐く。それを三度ほど繰り返したら、次は対峙する相手をよく観察する。
相手はイレギュラーの存在、ここでの出し惜しみは死に直結する。死線を幾度となく繰り返し、超えてきた強者である経験値は伊達じゃない。彼の鼻孔の奥を鋭くつんざいている。現状、出会った魔物の中では格が違うことが。武者震い、それは相手への恐怖と立ち向かう勇気を混ぜ合わせた己への鼓舞。
「単体火力の底上げ必須だな」
昂る獅子の眼光。自身の身体に百獣の血を宿し、クラウス自身の攻撃力と攻撃速度を上昇させる前衛の補助特技。発動している間は、五感とともに第六感も徐々に研ぎ澄まされていく。ただし永続的に発動し続けられるわけでもない。
クラウス自身魔力が少ない、魔術ほど使用しないにしても微々たる量で減り続けていく。長くはもたない。この強化時間内にどうにかして混沌貪る崇拝邪鬼を討伐しなければ。考えなしに突っ込んで、魔力消費を早めれば状況は絶望的になってしまうだろう。
「僕も前衛でこのまま遊撃します。挑発はお願いしますね、クラウスくん」
「おう、相手は今まで対峙した魔物の中じゃ最強クラスだ。だが、俺たちだって腐ってもギルド最高峰だ。ランクは伊達じゃねえってことをここで見せてやらねえとな!」
後ろにはアリアとアルルが補助を、レーンとウォーグナーが援護射撃を、そして要請を受けた者たちも残った残党を蹴散らしてくれている。それならば確たる実績と経験、Aランクという称号と誇りを持つ彼らの為すべきことは一つ。目の前の敵を討伐すること。ただ、それだけ。
先んじて動いたのはクラウス・ウォーカー。右足で地面を踏み抜き、瞬く間に距離を詰める。アリアの縦続詠唱はいまだ彼の身体を支えている。巨人の射程圏内に突入、咆哮し、樹々を根元からえぐられるように地を削りながら薙ぎ払う、はずだった。
「甘ぇんだよ!」
回避特化とは言え、流石は前衛職と言えるだろう。重く早い一撃をその身一つで受け切り、いなす。身体の向きを振り流されたこん棒に対し正面で捉え、あろうことか拳一つで殴り止めてしまった。そのまま腕ごと上方へ蹴り飛ばす。
「メル!」
「任せてください!」
蹴り上げた反動でよろけた一瞬の隙は逃さない。メルテテはさらに目の前まで駆けぬけ、至近距離で剣を振るう。三重にもなる付与術式を施した刃は混沌貪る崇拝邪鬼の懐を切り裂いた。切り裂かれた痛みで顔を歪めるも、すぐさまメルテテに拳を振りかざす。
さらにその攻撃をクラウスがいなしてメルテテの斬撃が巨人の身体に確実なダメージを与えていく。常に攻防を二人で分担することで前衛の役割をハッキリさせる。そうすれば戦闘において体力と戦線を常に維持することが可能だ。
「あいつやっぱ脳筋ゴリラよ、躱すならまだしも止めるとかほんとイカレてるわ」
「そこは素直に凄いとかでいいじゃねえか!なんで俺後ろから精神攻撃食らってんのよ!」
後衛からアリアの呆れた声が飛んできた。逼迫した戦闘中に気が抜けるような発言はしないでほしいとクラウスは言うが、彼女は「事実を言ったまでよ」と当然のように言葉を返す。ただ、よく見ると受けた腕が痙攣していることに気付く。あれだけの猛撃を細腕で凌いだのだ、その反動は簡単には回復しない。
その間にもメルテテは斬撃と魔法をとめどなく撃ち続ける。少ないダメージでも継続的に負わせ続けば相手も徐々に動きが鈍くなっていくだろう。クラウスも縦横無尽に立ち回り、巨人の殺意を自身に引き込ませる。
「ウォーグナー。試しにアレ、使ってみたらどうだい?」
「おお、あれですな。ちょいとお待ちを」
錬成師の多重術式展開、そこから現れるのは対魔物用の固定砲台だ。レーンお手製の高威力特殊魔弾を装填する。レーンとウォーグナーでの共同開発は本人たち曰く、興味本位で作った玩具に過ぎないそうだが、今回のようなイレギュラーではそれを試すいい機会なのだとか。
前線が体を張っているのにも関わらず、裏ではニタニタといい年した青年と老人がニヤケ面で実験をしようとしているのだ。今回の固定砲台、滅せよ破邪の光柱は魔弾に衝撃を与え、光属性の魔力の塊を一方向に収束させ光線として発射する。
本来この魔弾はグレネードとして開発予定だったが、全方位に魔力の波が広がるため、大してダメージを与えることが出来ず扱いに困っていた。それを見つけたウォーグナーが改良し、実用化まで落とし込んだものだった。ただ、想定威力が高すぎて一発打ち込むだけで周辺の生態系を破壊させかねない疑念が拭えず、試験が出来ない欠陥品と化していたのだ。
「クラウスさん、あれって...」
「ほっとけ、今は猫の手も借りたいくらいの事態だ。この際あれでぶっ放してくれるんならこっちの負担が減る」
相対する巨人を目前に、油断することはできない。幸運が絡んでくれたっていい、とにかく奴を討伐することが目的である以上、手段を選んでいるほどの余裕なんてない。巨人の猛攻は続く。真正面から振り下ろされたこん棒は先程よりも早く、重い。振りかざした着地点は小さなクレーターと化している。
「クラウス!装填まで時間がかかるから何とかして引き留めておいてくれ!」
レーンからの無茶ぶりを聞かなかったことに、したい。だがそんなことをすれば多くの命が奪われてしまうのも事実。更にギアを上げる。昂る獅子の眼光には単純に身体強化するだけではない。その本質は段階的な肉体の強化にある。
宿すは百獣の力、振り翳すは鋭い爪牙
「っし、そろそろだな」
無論、五感と第六感の強化も同様だ。モーションを最小の動きで予測、振りかざした際に発生する空気の流れを肌で感じ、次の攻撃に対応できる体制を維持する。研ぎ澄まされていく感覚と身体は追随を許さぬポテンシャルを最大限に引き出し、立ち向かう。
こん棒を拳で弾き、懐まで瞬く間に距離を詰めて、一撃。そのまま巨人の体を駆け上がり空を舞う、そして脳天をめがけて思いきりで踵を振り下ろし、撃ち付ける。巨体とはいえ、メルテテとクラウスの休みない連撃を食らい続けていればおのずと限界も見えてきた。
だが、流石に化け物といったところだろうか。反撃の手を辞めることはない。どちらかの痺れが切れれば決着してしまうような紙一重の攻防が続く。
「あんたたち!クラウスとメルに支援と回復を優先!このまま叩くわよ!」
アリアも一層、出力を開放する。縦続回復と強化付与、デバフ軽減を出来るだけ詰め込んで巨人の侵攻を防ぐ。既に多数の術式を展開しているため、軽度の術式の処理重課症を起こしているがここで泣き言を言っている場合ではない。
クラウスたちが身体能力の限界を引き上げて戦っているのだ。ならこちらは全力の知能と魔力をもって支援、応戦することが今できる後衛の最大で全てだ。周辺の魔物は掃討した、あとはあのデカブツを総叩きするだけだ。
「よし、溜まった...!装填完了だ!」
カチンと機械音が鳴る。十分な魔力補充を行った高威力特殊魔弾は淡い紫色の光を纏っている。これを砲台の筒の中で魔力爆発を起こし、一方向に強力なエネルギー砲を撃ち出す。さあ、ぶっ放す準備は整った。
「さあ、研究の成果発表会を始めようじゃないか!」