71 いい女の条件
旧道場の前で、新道場から音を聞き、先生冥利に尽きていると、前方からいやらしい声をかけられた。
「アスランじゃない、元気に……してた?」
わざと鼻にかけたような話し声にイラっとする。
黒髪をかき上げながら、身体をくねらせるこの女は先代の後妻、マーガレット。
「何の用だ?」
「何の用って……冷たいと思わない?
私とあなたの仲じゃない……ねえ、アスラン。
あの人が亡くなる前は、随分優しくしてくれたじゃない?」
「誤解を生むような発言はやめてもらおうか」
先代が不治の病と診断されたその日、弱っていたマーガレットはオレの袖を引き、帰らないでと引き留めた。
その頃、マーガレットの性根を知らなかったオレは、旦那が不治の病と診断されたマーガレットを不憫に思い、グレアス一刀流の食堂で話を聞いていたのだが……
肩を寄せ、腕と手を絡ませてきたマーガレットに唇を奪われそうになり、その手を払いのけた。
その後、先代が居なくなったその日にもマーガレットに言い寄られ、ふざけるなと追い払ったのだが……いつのまにやら、マリクと出来ていたのだ。
愛も情もないこの女は、ただ自分を守ってくれる都合の良い男が欲しかったのだろう。
女性と出会いのなかったオレだが、一緒になるのであれば、せめて尊敬できる人と一緒になりたいものだ。
「ねえ、アスラン。
王都にね、美味しいガーファの肉料理を食べさせてくれる店があるのよ?
今日、行かない?」
マーガレットはオレに近づいて来た。
「近寄るな。
明日は大事な試合があるんだ、お前の香水なんか嗅いで、気持ち悪くなったらたまらないからな」
「ひどーい、何よその言い草」
甘えたように突き出す唇に腹立ちさえ覚えた。
「そうそう、明日試合なのよね。
頑張ってね!」
マーガレットは笑顔でオレを応援してきた。
「オレの応援なんかしていいのか?
マリクに怒られるぞ」
「いいのよ、あんな奴。
使えるかと思ったけど、アスランには負けるし。
人望がないから、今、グレアス一刀流は門下生がいなくて閑古鳥が鳴いてるわ。
それに……聞いたわよ、アスラン!
伯爵様になったんだってね、おめでとう!」
いけしゃあしゃあと、マーガレットは言い放ち、パチパチとオレに向かって拍手をしてくる。
「……付き合ってる男が落ち目で弱ってるときに支えてやるのが本当のいい女ってもんだ。
こんな女と付き合ってたなんて、さすがにマリクにも同情したくなるな……」
「こんな女って何よ!」
マーガレットは憤慨していた。
「……まあ、いいわ。
結局ね、男なんて私って言う女を知れば、骨抜きになるわよ。
さ、アスラン、ご飯食べてお酒飲んで寝ましょ?
楽しい夜を約束するわよ?」
「……絶対にごめんだ」
「行くのよ!」
マーガレットは強引にオレの手を引こうと近づいて来ていた。
「来るなってば」
「アスラン、待つのよ! 私と寝なさい!」
ただの女を、剣士がぶちのめすのもどうかと思って、逃げ回っているが……面倒だな。
一撃拳を顔面に入れてやろうか。
……さすがに先代の後妻の顔面に一撃いれられないよなあ、やっぱり。
「待ちなさい!」
エメラルドが【氷壁】を放ち、マーガレットを捕らえた。
「な、何よこれ!」
マーガレットは急に四方に現れた氷壁にパニックを起こしていた。
「マーガレット。
アスラン先生は女性相手だから手荒な真似はしませんでしたけど……私は違いますよ。
しかし、破廉恥な女ですね、街中で私と寝なさいと叫ぶなど……しかもよりによってアスラン先生に向かって……」
「うるさいわよ、小娘! アスランは私と付き合うのよ!」
エメラルドが両手を合わせると氷壁が互いにどんどん近づいていった。
「いや! やめてー!」
マーガレットは氷壁が迫ってくる恐怖に叫んだ。
「アスラン先生にあなたはふさわしくありません、今度近づいてきたら私が容赦なく潰しますからそのつもりで」
にっこりとほほ笑みながら、エメラルドはそう言った。
「わ、わかったわ!
もう来ないから、助けてよ!」
絶叫したマーガレットの声を聴き、エメラルドは氷壁を消した。
「う……うう……」
つかつかとエメラルドはマーガレットに近づいた。
「二度とアスラン先生の周りをうろつかないでください。
さもないと……わかりますね?」
「わ、わかったわよ!」
マーガレットはふてくされたように吐き捨てて、その場から去っていった。
走り去りながらオレに投げキッスをしてきたため、エメラルドに氷壁を作られ、思いっきりぶつかった。
「きゃああ!」
マーガレットはブツブツと文句を言いながら、ここから去っていった。
「全く恥知らずな女ですね……マリクが率いるグレアス一刀流に閑古鳥がないているからって、いまさらアスラン先生に乗り換えようだなんて……」
エメラルドは憤慨していた。
「自分が弱ってるときに側にいてくれる女性が、いい女だと思うんだよな」
「……いい女だなんて、急に褒めないでください。
私……どうしたらいいか、わからなくなってしまいます」
エメラルドは顔を真っ赤にして右手で黒いドレスの裾を握り、左手で長い金髪をくるくるともてあそんでいた。
どうしてエメラルドが照れてるんだ?
オレは弱っているときに支えてくれるのがいい女だと言っただけだが……
ん?
待てよ、剣聖になれなかったときにすぐさま駆けつけて支えてくれたのは、エメラルドとイリヤだったな。
オレに恋愛感情を持っているわけではないが……二人とも確かにいい女には違いないな。
「エメラルドはいい女だと思うぞ」
「……嬉しい……」
エメラルドは潤んだ瞳でオレに近づいて来た。
頬は赤くなっており、碧い瞳がオレをとらえて離さない。
なるほど、エメラルドに玉砕していった男たちはこの瞳にやられてしまったんだろうな。
師弟関係でなければ、オレだって軽々しく惚れてしまったかもしれない。
そう思うほどに、目の前のエメラルドは艶やかな魅力を持ってオレに迫って来ていた。
「先生、私……」
「じゃあ、先生。
ボクは?」
道場から歩いて来たイリヤがオレに声をかけてきた。
エメラルドは慌てたように、オレと距離を取った。
「もちろん、イリヤもいい女だと思うぞ」
「……うん、嬉しい」
イリヤは喜んでいたが、エメラルドはバツが悪そうにイリヤを睨んでいた。




