57 新道場完成
「わかった。
アコと火龍のことを話すよ」
カーミラに今までのことをかいつまんで話しているときに、甘い香りが鼻をくすぐった。
光も届かない地下洞窟に、似つかわしくない甘い香りが部屋を満たしている。
前来た時は生花なんて飾られてなかったから、きっとカーミラが来客のために用意したものだろう。
来客か。
カーミラはオレたちが来るのを待っていたんだ、なんてオレの一方的な思い込みだろうか。
一通り事のあらましを聞いたカーミラは、優しい瞳をアコに向けた。
「……アコは、ずっとママと二人で暮らしていたのじゃな」
カーミラはアコに尋ねた。
「うん。
北にある山奥でね、ママと暮らしてたんだよ。
いつもね、ママは遊んでくれたんだよ」
「そうかそうか」
「うん」
カーミラはアコに優しく話しかけていた。
「それにしても、トゥヘイルの隠れ里か……」
カーミラが一瞬うつむいたのは、気のせいだっただろうか。
「カーミラお姉ちゃん、知ってるの?」
曇りない瞳でアコはカーミラを見つめた。
すっと視線をずらして、カーミラは答えた。
「ずっと昔、名前を聞いたことがあるだけじゃの。
今どうなっているかなど、わらわの知るところではないぞ」
「そっかー、残念。
どんなところか、聞きたかったんだけどな」
アコは口を尖らせた。
「アスランよ、御前試合までの間、一週間ほどアコを預かればいいのじゃな?」
「ああ……お願いできるか?」
「フン、それを決めるのは、わらわたちではないぞ」
カーミラはしゃがんでアコと目線を合わせた。
「アコ、隠れ里へ出発するのに一週間ほど準備しなきゃならんらしい」
「そうなの?」
「ああ。
それまで、ここで一緒に暮らしてくれるか?」
「……ここ?」
カーミラは頷いた。
「ああ、そうじゃ」
「お姉ちゃん、私と遊んでくれるの?」
アコは花が咲いたように笑顔になった。
「ああ。
アコがそうしたいなら、いつでも遊んでやろうぞ」
「わーい!
じゃあ、私ここで暮らすよ!」
アコはカーミラにぎゅっと抱きついた。
「……昼間、外には行けないぞ」
「そっかー」
アコはしょんぼりしていた。
「でも、夜なら連れて行ってやるのじゃ」
カーミラは必死に話し出した。
「昼とは違って、夜には夜の獣たちがおる。
花や虫たちも、むしろ夜のほうが元気になる奴もおるのじゃ。
森の中にある、月光が降り注ぐ泉もわらわは知っておる。
とってもキレイなのだ。
昼は外に出れぬが……夜の世界も、それはそれは素晴らしいものなのじゃぞ」
「ホント?」
きらきらした瞳で、アコはカーミラに尋ねた。
「ああ、ホントだ。
連れて行ってやるから、アコ。
わらわと一緒にくらすのだ!」
「うん! よろしくね、お姉ちゃん」
カーミラがおそるおそる差し出した手を、アコは気安くぎゅっと握った。
「これからよろしくって時は、手を握るってママが言ってたんだよ」
「ああ……よろしく頼むぞ、アコ!」
カーミラの顔にも笑みがこぼれていた。
――定期の往来馬車の最終便で、王都についたときにはオレたちはぐったりしていた。
迷宮踏破した後、すぐにカーミラの居場所まで折り返したからだ。
夕飯を簡単に済ませ、風呂に入る気力もなくオレたちは寝床についた。
★☆
「痛い……」
朝起きてどっぷりと風呂につかりたいところだったが、風呂に足をつけた瞬間、痛くて悲鳴を上げた。
「あれ、熱かった?」
外で風呂釜の世話をイリヤがしてくれていた。
「いや、風呂の温度はちょうどいい。
火傷なんだろうな。
昨日は何とも感じなかったけどなあ」
戦いの高揚感で痛みを忘れていたのだろう。
オレの全身はいたるところこんがりと焼かれてしまっており、水などですら過剰に反応してしまう。
たぶん、これでもエメラルドに冷やしてもらったからだいぶマシなんだろう。
火龍を倒した名誉の負傷と言えば、聞こえはいい。
だが、痛いもんは痛いのだ。
しばらく、剣を振るうにも激痛が走るぞ。
「そりゃそうだよね。
先生、火龍に足を乗せて斬ったって聞いたよ。
火傷もするよね。
後でマッサージする?」
「やめておく。
たぶん、それすら痛い」
「フフ……先生、頑張りすぎだよ」
声を聴くだけで、イリヤが嬉しそうなのが伝わってくる。
こんなに活躍して褒められたことなんてなかったからな。
「でも、それでも剣は振るんでしょ?」
「当たり前だ」
痛かろうが火傷しようが……少しでも、できるだけでも、剣は振るう。
一日でもサボると、感覚が戻らないんだよな。
「先生、お風呂でたらね。
凄いとこ連れてってあげる」
弾むような声でイリヤは話しかけてきた。
「どこだよ」
「出たら教えてあげる」
――風呂を出るとイリヤに手を引かれ、道場の外に出る。
「何だこれ」
「じゃーん、完成したよ!」
オレが見ているのは、とても大きな円形の建物。
道場の近くにあって、そう言えばエメラルドが書いて来た設計図に似てる……
「は? 嘘だろ、新道場もう完成したのか?」
あまりのことに呆然していると、エメラルドが涙を流しながら拍手をしていた。
「感動です、王都一の道場主はアスラン先生だと言わんばかりの、金銀を散りばめた、凝りに凝った意匠。
あまりの巨大さに、外から見るだけで感じる威圧感。
この道場の大きさ、豪華さは間違いなく王都一のものです!」
エメラルドは指で涙を拭った。
「おい、エメラルド。
何でオレたちが迷宮に行ってる間に道場が出来上がってるんだ?」
「それはもちろん……」
エメラルドが指さした方向には、黒いドレスをコルセットで締め付けているシルメリアさん。
日傘の代わりに無骨なただ丸くて安全そうな兜を身に着けて、シルメリアさんは立っていた。
「あらあら、うふふ。
アスランさん、どうしてキョトンとした表情をしているの?」
「その無骨な兜、なんですか」
「あらあら、私だっていつもつばの長いお洒落な帽子をかぶっていたいのよ?」
シルメリアさんは扇で口元を隠した。
「でも、道場を急いで作って欲しいって、イリヤちゃんとエメラルドちゃんが言うものだから……私だって頑張っちゃうわよね」
「え?」
シルメリアさんが作ったの?
「この道場はね、エメラルドちゃんの設計図を基に、私が監督して作ったのよ?
二人がアスランさんの剣をみんなに見せれる場所を作って欲しいって、私に一生懸命頼むものだから」
オレはエメラルドとイリヤの方を見た。
「シルメリアさんは、土地開発の鬼と呼ばれています」
「関わった物件は、みな地価が上がる土地と金の女神、シルメリア・バウンス。
ガーファでも有名だよ、先生知らないの?」
二人は真面目な顔でそう言っているが……オレは正直、商売に疎いんだ。
「知らなかったな」
「フフ、アスランさん。
あなたの剣を見せるため、この道場が出来たのよ?」
シルメリアさんは、感慨深そうにオレに伝えた。
「さあ、道場で門下生たちが待ってる……あなたの剣を皆に伝えて!」
シルメリアさんが、新道場へ行ってこいとオレの背中を押した。
その両サイドに、イリヤとエメラルドが立っている。
オレの歩みに一歩下がって二人はついて来た。
新道場に入ると、道場を埋め尽くす門下生からの熱烈な拍手がオレたちに向けられている。
「「先生、お言葉をお願いします!」」
大歓声の中、オレは新道場の中心に立った。




