31 くぎを刺しておく(イリヤ視点)
「クソ!
せっかく私の馬に乗せてやろうと思ったのに。
私のステイタスと顔であれば、平民女はホイホイ私の馬に乗ってくるぞ。
……ちょっと綺麗でスタイルがいいからってお高く止まりやがって……お前みたいな女、スライムに食われてしまえ!」
ライルがボクの手を引こうとした.
触れられるのが嫌でかわしたら、罵倒された。
ボクはあまり罵倒されたことがないから、キョトンとしてしまった。
「剣士だ、師範代だってお前言ってるけどさ、聞いたこともない流派だよな。
どうせお前弱いんだろ」
「……ボクは弱くない。
先生に教えてもらったボクの剣が弱いわけないよ」
ライルは口角を歪めたいやらしい顔で大笑いした。
「は、女に剣なんて教えてるお前の先生は、どうせどこの道場からも相手にされなかった剣士崩れだろ?」
「……取り消して」
ボクは沸きあがる怒りを抑えるので精いっぱいだった。
「ああ?」
ライルはボクの近くに来た。
「ははっ! 誰が取り消すかよ。
何度でも言ってやる、女に剣なんて教えてるお前の先生は弱くてどうしようもねえ、人間のクズで剣士崩れのロクデナシだッ!」
「……取り消せ」
怒りのあまり、ボクは抜刀してしまった。
「けっ!
抜刀したって怖くねえぞ!
馬より速い人間なんていねえんだ!」
そう叫んだライルは鞭を入れ、全速力で馬を走らせた。
……じゃあ、見せてやる。
馬より速い人間がここにいるってね。
今日は戦闘準備をしっかりしてあるから、両手両足に魔法陣が描かれた金の輪をつけている。
必要な時に即時発動できるよう、自分用の支援術を仕込んであるんだ。
【風の歩法、駈歩】
金色の足輪が碧く光り出し、ボクの足に力を与える。
……先生をバカにしたライルは、絶対許さないから。
風の精霊の支援を得たボクは、ライルを追って駆け出した。
★☆
「はあ、はあ、ようやく騎士団本部だ。
あの女ざまあみろ、置いてけぼりにしてやったぜ」
ライルは馬を走らせるのに疲れたのか、肩で息をしていた。
「遅かったね、ライル」
ライルより随分早く着いていたボクは、汗をかいていたライルに清潔な布を渡してあげた。
ボクの顔を見たライルは呆気に取られていた。
「……なぜ、私より後に出たお前が先についている?
何かトリックを使ったのか?
おい、クソ女」
ライルはボクの手をはらいのけた。
「ライル!」
血相を変えた副官アトキンスは馬上のライルを引きずり下ろした。
「うわああ!」
ドサリと馬から落ちたライルは騎士の集団に取り囲まれ、身動きを取れないよう抑え込まれた。
「な、何をする! 無礼だぞ!」
「バカモンが、無礼なのはお前の方だ!」
ライルはアトキンスに頭をはたかれた。
「アトキンス様……」
「肩で息をするお前を気遣って、イリヤ姫が汗を拭くよう布を授けてくれたというのに……」
アトキンスは全身を震わせ、土下座をしてぶるぶる震えていた。
10名の隊長格が一斉に下馬し、ボクに向かって土下座をした。
「すいません、すいません……イリヤ姫。
無礼をお許しください……」
「姫って誰が……」
ライルはまだ何が起こっているか飲み込めていないようだ。
「そうだね、とりあえず頭を上げて欲しい。
ボクは怒っていないよ」
「ああ、何とお優しい言葉!」
頭を上げたアトキンスは歓喜の涙を流していた。
「何ですか、アトキンス様。
痛いですよ。
この平民女がどうかしましたか?」
「……この腐れバカが!」
アトキンスはライルのクビを締め上げた。
「う……あ……」
泡を吹いたライルを見て、ようやくアトキンスは手を離した。
「知らんとは言わさぬぞ。
このお方は、ガーファ王国の第一王女イリヤ・スイレム様だ!
それに、お前が知らねばならぬ理由がもう一つある」
「まさか、さっきの平民女が……イリヤ姫?」
ライルは呆然としていた。
「イリヤ姫はガーファ王国騎士団長を務めておられたお方だ。
諸事情あって、今はユトケティアに遊学していらっしゃると伺ったが……」
「うん。
ボクはアスラン先生の教えを受けたくて、ユトケティアに来てる。
先生はユトケティア一の剣士で、とっても強いんだ」
アトキンスはうなずいた。
「ええ、アスラン様のことも存じております。
昨日の決闘、わたくしめも直に拝見しておりました。
我らがジルコム様を小剣の投擲のみで下したアスラン様の腕前、感激いたしました」
「え? 確かに昨日の決闘でジルコム様が誰かと戦って負けたって……
でも、ジルコム様が負けたのはインチキだってみなが噂して……」
「バカモンが!」
アトキンスはライルを地面にこすりつけた。
「ぐわあああ」
「私も含め、中隊長以上はみな決闘を見ておった!
直接見てない兵士たちはジルコム隊長を敬愛するあまり、インチキだと騒いでおったが……」
アトキンスはライルの髪を掴んで、睨みつけた。
「ライルよ。
伝令隊の隊長を務めているお前が、つまらぬ噂だけで事実を判断したのならば笑えぬぞ。
人を率いる身を続けたいならば、情報の真贋は、せめて自分で見抜ける目を持て」
「う……うう……」
何度も地面にすりおろされたライルは、痛みに顔を歪めていた。
「まあまあ、それくらいにしておいて」
ボクはライルの近くに行った。
「ねえ、ライル。
ボクはね、自分のことはいいけど、アスラン先生をバカにする人は決して許さないって決めてるんだ」
「あ…あ…」
青い顔をして冷や汗をかくライルに地面に落ちた布を指し示した。
「ひどい汗だね、その布で拭いたらどう?」
「……ありがとうございます」
ライルはさっき払いのけた布を拾い、懸命に冷や汗を拭いていた。
「さて、もう行くけど……何かボクに言うことあるかな?」
先生をバカにしたライルを許したくなんてないけど、謝るチャンスを一度だけあげるね。
「……私だって、あなたがイリヤ姫と知っていれば無礼は働きませんでしたよ」
ふてくされたように言ったライルにアトキンスがため息をついた。
「……じゃあさ、ライルは平民の女の子だったら無理やり馬に乗せるんだ。
女剣士だってあなどったし、道場の先生もバカにした。
そんなことは相手が誰だって、しちゃいけないことだよ。
アトキンス、ライルによく言い聞かせてあげて」
「肝に銘じます」
アトキンスはもう一度頭を下げた。
何も言わないライルにアトキンスはひじうちをした。
「あ……すいませんでした」
「……何に謝ってるの?」
「……イリヤ姫、あなたとアスラン先生をバカにしたような物言いお詫びします」
「うん、わかった」
「で、では……許していただけるのですね!」
ぱあっと花が咲いたように明るい表情をしたライルの辞書には反省という言葉がないようだ。
「でも覚えておいて。
ボクには優秀な偵察兵がいる。
ライル、これからキミをじっと観察するよう依頼しておくよ。
相手が王女でも姫でも、人をバカにしたような振る舞いは一生しないで。
……いつもボクが見てるからね」
「あ……」
打って変わってライルは真っ青な顔をしていた。
人の嫌がることはしちゃダメだってこと、学んでくれてるといいけど。