襲撃報告
神殿に到着して名前を告げると、リナだとわかった神官が急激に青ざめて走り去っていってしまった。
呼び止める暇もないスピードに唖然としたが、隣に立っていたロイドは落ち着いたように周囲を見渡してからとりあえずここで待っていようと言う。
「リナのことはすぐに大神官に伝わるだろう。待っていれば出迎えが来るはずだ」
冷静な判断に、神官が慌てて走り去った方を見つめていたリナは頷くしかなかった。下手に動くと出迎えに来るであろう神官たちとすれ違う可能性もある。
待っていてほしいとも言われなかったが、とりあえず待つことにした。
周囲を見渡すと、いつも以上に人の行き来が多いように感じられる。神官たちがというよりも、神殿に入ってくる街の人が多いのだ。皆まっすぐに神殿の奥へと足を進めている。
その先にはこの大陸を魔王から守るため各国に力を与えた神の像が祀られている。神は名前もなくその姿も国によって違う。ギュンターでは髪の長い女神像が祀られているのだ。両手を広げて神殿にやって来た人々を受け入れるような姿をしている。
その神の像の前に人々が跪いて祈りを捧げているが、その数はリナが神殿に来たことがある中で一番多いように感じた。
「あの攻撃は街の人にとって不安を煽るものだったようだな。何も言わなくても神に助けを求めてきている」
同じ場所を見ていたのかロイドがそう呟くと、リナも静かに頷いた。
神殿は普段解放されていて、誰でも神の像に祈りを捧げることが可能だ。だが普段の平和な生活をしていている時は、それが当たり前になり過ぎて神殿で神に感謝を捧げることが疎かになってしまう。今回の攻撃によって人々の不安が表に現れ、混乱して騒ぎを起こすのではなく、まずは神に祈りを捧げることを選んだようだ。
「おそらく、姿を見せない聖女に対しての祈りも含まれているでしょうね」
人々の祈る姿を見ているとそんな風に思った。神に祈りつつ、王都を守る結界を維持している聖女にしっかり守ってほしいという懇願がきっと含まれている。できれば姿を見せて安心させてほしいと思っているかもしれないが、リナが聖女でとして認められる時に姿を見せず名前の公表もしないことが約束されていた。竜王国で生きていくことも秘密になっている。ここでリナが聖女であると知られては、ギュンターに留まることになり、竜王国に帰れなくなってしまうだろう。そう考えると、人々がどれだけ祈りを捧げていてもリナは聖女であることを口にすることはしない。
リナの考えていることがわかったのか、ロイドがそっと手を握ってきた。リナの居場所はロイドの隣なのだと無言で伝えてくる。その優しさにほっとしていると、先ほど慌てて走っていった神官が複数の神官を連れて戻って来た。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
そのまますぐに神殿の奥へと移動する。
いきなり複数の神官に案内されて連れていかれるリナは、祈りを捧げに来た人々の注目を浴びてしまったため、フードでできるだけ顔を隠すように歩いた。念のためのフード付きのマントを身に着けてきて正解だった。当然ロイドもフードで顔を隠している。彼の顔は特に目立つので深く印象を与えてしまう可能性があった。
「こちらになります」
しばらく歩かされて神殿の奥へと進んでいくと、街の人がいた場所からも離れていき、騒がしかった場所から急に静かな部屋へと案内された。
そこは前にも来たことのある場所だった。
「よく来てくださいました」
部屋に入ると出迎えてくれたのは大神官ハーバル=エルガだ。
リナが結界の維持を成功させ正式に聖女として認められた時に大神官と会った部屋だ。もう1年経とうとしていたが、前に来た時と変わりない。
「お久しぶりです大神官様」
フードをはずして淑女の礼を取ると、大神官は穏やかな笑顔を見せてくれた。
「リナ様もお変わりないようで。ゼオルを通して日々お元気だとは報告を受けていましたが、直接会えたことを嬉しく思います」
リナも笑顔を見せると挨拶は終わりだ。
すぐにソファに座るように促されて、ロイドと並んで座った。
「今日ここへ来た理由はわかっています。ですが、今朝方起こったことなので、知らせを送っても数日かかると思っていたのですが、一体どうやって知られましたか?」
ここへ何のために来たのか予想していたハーバルだが、謎の襲撃を受けたのは夜が明けきらない朝。今は昼を過ぎようとしている時間だ。いくら何でもギュンターで起こったことを知るにはあまりにも早く、リナが来るとしても数日かかると思っていたようだ。
どう説明するべきか最初迷ったリナだったが、下手に言い訳をしても仕方がないと判断し正直に夢の話から始めた。
最初は疑うような表情をしていたハーバルだったが、リナの話を聞いているうちに確信したように表情を引き締めていく。
「もしかすると聖女としての力に関係があるのかもしれません」
「私もそう思います。王都の結界は私が一度強化しています。私の力が働いている結界への攻撃だったからこそ察知することができた可能性もあるでしょう」
すべては憶測だが、聖女の力が作用していることは確信に近かった。
「しかし、早く来ていただけたことは幸いです。今回の攻撃によって街に住む者たちは恐怖を覚え、神殿に助けを求めてきています。今のところ結界が維持されているので心配ないと説得しているので、女神像への祈りだけで済んでいます」
やはり人の出入りが多いと思っていたが、不安を覚えた人々が祈るために来ていた。
「可能なら聖女様に一目会って安心感を得たいと思っている者たちもいます」
「それはすべて断ってもらわないと困る」
ハーバルの言葉にすぐ反応したロイドは、静かに目を細めた。フードを彼も脱いでいるが、美しい顔で凄むと余計に迫力を感じる。
「そのことは承知しています。リナ様への贖罪も込めて竜王国での生活と、神殿での聖女としての仕事を放棄することを撤回するつもりはありません」
偽聖女として追放しておきながら、やはりリナの力が必要だからと無理やり連れ戻そうとした経緯を思い出しているようで、ハーバルは苦い顔をする。
「聖女として国を守る結界の維持はすることはします。ですが、それ以外の神殿での仕事はすべて神殿側が背負ってくれるという約束です」
リナも念押しするように言うと、ハーバルは深く頷いた。
「聖女様が姿を現さないことは王都に住む者たちなら誰もが知っていることです。色々な噂も流れましたが、今はそれも落ちついて結界が維持されていることで、安心感を得ていました」
本来なら新しい聖女が誕生すると神殿の発表とともにその姿は国民にさらされることになる。王都に住んでいない人々へは噂が流れ、聖女の巡礼も行われるのでその時に会うことも可能だ。だがリナはそのすべてを行っていない。ギュンターに戻ることを拒否し、聖女にしかできない役目は果たすが、それ以外は神殿が全面的に請け負うことになっている。
「ただ今回のことで皆不安を覚えたのです。聖女様の姿を見ることで安心感を再び得たいと思うのは当たり前だと思います」
それでもリナは人々の前に聖女として出るつもりはない。そんなことをしてしまえばギュンターの神殿に留まらなくてはいけなくなる。竜王国へ戻れなくなり、ロイドの隣にいることができなくなる。
それだけは絶対に嫌だ。
「今のところ他の攻撃がないため、女神像への祈りで心を落ち着かせてくれていますが、今後同じことが再び起これば、聖女を求める人々が増えてしまう可能性もあります」
「それをどうにかするのはそちらの仕事だろう。リナに押し付けるようなことをしていいわけじゃない」
冷たく突き放すロイドにハーバルは弱ったように眉根を寄せた。もともと神殿の失態でリナは偽聖女にさせられて、妹の補佐という形で一生飼い殺しにさせられるところだったのだ。そして、今はロイドの妻であり王竜に属する者でもある。いまさらリナを利用しようすれば、王竜も黙っていないだろう。
神殿としてはリナに戻ってきてほしい雰囲気だが、ロイドは頑なに拒否する姿勢だ。おそらく空を飛んでいる王竜も拒否の意思を示している気がする。
神殿もわかってはいるのだが、なにかしら聖女からのアプローチを示してほしいという考えがあるようだ。だが下手に手を出してしまうと、今後もずるずると何かをさせられる可能性もあった。
お互いの思惑で話が平行線をたどってしまい先に進みそうにない。
部屋の空気がだんだん重くなっていくのを感じてリナは内心ため息をつくと、軽いノックの音が響いた。
すぐに1人の神官が入ってくるとハーバルに近づいて何やら耳打ちをする。
「そうか。すぐにお通ししなさい」
どうやら誰か訪ねて来たようだ。
リナ達と話しているのにその誰かもここへ案内しようとしている。
「誰か来たのか?」
ロイドも気になったようで質問すると、ハーバルは立ち上がって部屋の扉へと歩いた。
「この話し合いに参加するべき方がいらっしゃったようです」
誰だとは明言することなく扉を開くと、部屋の前にいたのか1人の男性が立っていた。
「なんだ。すでに来ていたのか」
「バード殿下」
入ってきたのはギュンター王国第2王子バード=ギュンターだった。
リナの聖女騒動で第1王子は責任を負わされ王位継承権をはく奪されたため、今はバードが王位継承権第1位になっている。立太子としての指名も受けたため、次期国王として日々励んでいる王子が、大神官を訪ねて来た。
「元気そうだね。竜騎士殿も一緒とは」
すぐに立ち上がって淑女の礼を取ると、ロイドも並んで立ち上がった。
「ギュンターの王都で起こったことをリナがいち早く察知したので様子を見に来たまでです」
「聖女というのは王都の危機がわかるのか。それならどこにいてもすぐに駆け付けてもらえるな」
バードが明るく答えると、先ほどまでリナが神殿にいるべきかの問答がなかったかのように空気が軽くなる。バードの発言はリナが王都の危機を察知できるのならどこにいても構わないと言っているように聞こえたのだ。
本人は先ほどまでの部屋での会話を聞いていなかったので何気ない言葉だったのだろうが、一気に問題解決することになった。ハーバルを見ると、彼は諦めたように頷いている。
そのことにリナがクスッと笑ってしまうと、バードは首を傾げたが、場の重苦しい雰囲気は一気に消え去ったのだった。




