(番外編)挨拶
「リナ様に荷物が届いています」
馬の刺繍を施したハンカチが完成して不備がないかチェックをしながら眺めていると、扉をノックする音が聞こえた。リナ以外に部屋にいなかったため返事をすると、廊下にいたリカルドが扉を開けてくれたようで、大きな荷物を抱えたアスロが入ってきた。
声でアスロだとわかったが、抱えている箱で顔が見えない彼女は前が見えていないはずなのに、器用に近づいてきて刺繍道具が置かれているテーブルに箱を置こうとしていた。
それを一度止めて慌てて道具を片付けてから箱を置いてもらう。
見た目に反して軽い物だったのか、アスロはあまり苦労した感じを見せなかった。
「これは何?」
荷物が届いたと言っていたが、誰から何が届いたのかわからない。
「シルフィーネさんという方から届け物だそうです」
箱と一緒に封筒が届いたという。
「シルフィーネ?」
聞いたことのない名前にリナは首を傾げた。竜の街に出かけることはあるが、その名前の知り合いを思いつかなかった。ギュンター王国の知り合いにもいない。
リナは侯爵家を追い出されて竜王国に来たことを知る者は極僅かだ。同じ名前の知り合いがいたとしても竜王国の神殿に荷物が届くはずがなかった。
「知り合いにいないのでしたら、箱は空けない方がいいかもしれません」
リナはいろいろな人を思い浮かべていたが、シルフィーネという人物を思い出せず首を傾げた。するとアスロがすぐに箱を抱えて部屋を出て行こうとする。
「中身を確認していませんから、ここで開けるのは危険かもしれません。ロイド様にも確認を取ってから安全だと判断されるまで待ちましょう」
知らない人物からの謎の贈り物は危険があるかもしれない。そう判断して開けないことにした。
「待って、手紙があったでしょう。内容を読めば中身がわかるかもしれないわ」
箱と一緒に手紙が届いていた。もしかするとシルフィーネがどういった人物で、箱の中は何か書かれている可能性がある。
手紙を先に読むだけなら危険はないはずだ。
念のためリカルドも部屋に入れて、箱を部屋の隅に移動させてから手紙の開封をした。
「・・・・・まぁ」
手紙を読み始めてすぐ、リナは驚きの声を漏らすことになった。
「どなたか心当たりがありましたか?」
緊張した様子で問いかけてくるアスロに、リナは苦笑しながら顔を上げた。
「お会いしたことがないけれど、話には聞いていた人だわ」
そう答えるとアスロはきょとんとした顔をして、リカルドは困惑していた。
「箱はロイドが戻ってきてから開けることにするわ」
リナが楽しそうに言うと2人は顔を見合わせることしかできなかった。
そんな2人を眺めていると扉をノックする音が聞こえる。
リカルドがすぐに動いて扉を開くと、戻ってくるのを待つと言っていたロイドがそこに立っていた。
まるでリナが待っていることを知っていたかのようなタイミングだ。
「お帰りなさい。早かったのね」
王竜と一緒に空に言っているロイドは昼に戻ってくることもあれば日が沈みかけた薄暗い時間に戻ってくることもある。すべてはヒスイ次第ということもあるが、それでも早く戻ってくるのは少ない。
今は昼を過ぎているが夕方というには少し早い時間だ。
「ヒスイが戻ると言ったから」
理由はわからなかったようだが、王竜が神殿に戻ることにしたようだった。リナへの荷物が届いたことを察知して戻って来たのかはわからない。
「ちょうど荷物が届いたの。ロイドが戻ってきたら開けようと思って待つことにしていたのよ」
そう言って呼んでいた手紙を彼に差し出した。リナ宛の手紙になっていたが、ロイドも読むべきだと判断したのだ。
受け取ったロイドは手紙の内容に目を通してから、なんとなく困ったような顔をした。
「放っておいてくれるのが一番だと思うが・・・」
そんな呟きをしながらも、どこか懐かしそうな表情になっていた。
「どなたですか?」
ずっと様子を窺っていたアスロがどうしても気になったのか口を挟んできた。猫耳が興味を示すようにぴんと立っている。
「シルフィーネ=フローネスと言えばわかるか」
「・・・フローネスって、親戚ですか?」
先に反応したのはリカルドだった。彼はロイドの出生に関して詳しいことを知らない。暗殺対象として教えられた程度の情報は竜王国の竜騎士だということだけだった。
フローネスと聞いて親戚だと思うのは間違いではない。
「俺の母親だ」
ロイドが何の感情も示すことのない声で答えると、リカルドは首を傾げてどういうことだろうと言いたそうにしていた。
「他の仕事が残っていたのでリカルドにも手伝ってもらいます」
さらに質問しようとしたリカルドだったが、それよりも先にアスロが口を開いてリカルドの背を押しながら部屋を出て行こうとした。彼女はより詳しいことまでは知らなくてもロイドの事情を把握している。これ以上は聞いてはいけないと判断したようで、すぐにリカルドを連れて部屋を出て行った。
突然背中を押されて困惑するリカルドだったが、何かを察したのか抵抗することなく一緒に部屋から姿を消していった。
「それで、荷物というのは?」
2人きりになると、ロイドは手紙をひらひらと揺らしてリナに問いかけてきた。
「そこに置いてある箱よ。中身はまだ確認していないけど、結婚のお祝いだと書いてあったから一緒に開けたほうがいいと思って」
シルフィーネ=フローネス。現グリンズ国王の側妃になったロイドの生みの母親だ。ロイドが竜騎士になったことで自ら廃妃になることを選び、実家である伯爵家には戻らずに母親の実家、ロイドにとって母方の祖母の実家であるフローネス子爵家に身を置いている。
体を壊しているとはいえ、今は穏やかに生活しているという話は聞いていた。
「どこで結婚したことを聞きつけたのか知らないが、俺が竜騎士になった時点で母親とも縁が切れていると考えてくれていると思っていたのに」
王家との縁を切っているロイドは、竜騎士になったことで母親とも縁を切ることになってしまった。それは竜騎士になる条件に含まれていた。
そのため竜騎士になってから個人的に母親とやり取りすることはなかった。だが、マルスが竜王国とグリン王国を行き来して、時々母親の様子を見てくれていた。直接会うのではなく様子を見るような対応らしいが、母親が元気にしていることはロイドも知っていた。
逆にロイドのことを母親であるシルフィーネはどこかで情報を得ていたのだろう。結婚したことを知ったようで祝いの品を送って来たのだ。しかも送る相手はロイドではなくリナだった。
「友人リナに結婚祝いを送りますと、会ったこともないのによく書けたものだな」
ロイドは呆れているが、そんな彼を見てリナは微笑ましく思っていた。
シルフィーネが届け先にリナを選んだのは、母親として息子のロイドに贈り物ができないことを理解していたようだ。繋がりを切ってしまった息子への贈り物は届けても送り返されてしまうと判断した。だがリナを友人として贈り物をするのなら問題はないと考えたらしい。
「とりあえず箱の中身を確認しましょう」
大きな木箱で厳重に封じているが、アスロが軽々と持って来たので中身は軽いと思っている。
ロイドが箱を開けると、最初に飛びこんできたのは色鮮やかな布だった。
どれも質の良い布のようで持ち上げて広げてみるとワンピースであることがわかった。
それが何着も入っている。
「全部女物だな。本当にリナへの贈り物らしい」
貴族ではないのでドレスなどの豪華な物はなかったが、どれも普段使いとして着られる服が入っている。見た目は質素でも布の質が良いのはわかった。
それ以外にも髪飾りやスカーフなどの小物まで揃っている。本当にリナのためだけの贈り物になっていた。
「ロイドへの贈り物は避けたのかしら」
縁が切れていることを考えてロイドには何も送らなかったようだ。それも悲しい気がしたが、ロイドもわかっているようで自分の贈り物がないことに落胆はしていない様子だった。
さらにはこのそこまで覗いて荷物を確認していたロイドだったが不意に動きが止まった。
「・・・俺への贈り物は一応用意してくれたようだ」
箱の底をじっと見つめながらロイドが言う。
「何かあったの?」
男性物の服でも見つけたのかと思って一緒に覗き込んだリナは、そこにある物を見つけて一瞬固まることになった。
その隙にロイドがそれを手に取って箱から出した。
明らかに布の面積が他の服より少ないうえ、生地が薄すぎて向こう側が見えている。
こんなのを着たら、着た気にならない。
そしていつ着るべきなのかを理解すると、途端に顔が熱くなるのを感じた。
「こ、これはその・・・着る機会はないと思うわ」
「俺としてはいつでもいいぞ」
「ロイド!」
驚いて声を上げると、ロイドは楽しそうに笑っている。
「遠回しの俺への贈り物だろうな。受け取るべきだと思うが」
ロイドへの直接の贈り物ができないと判断した母親からのちょっとしたサプライズとでも考えたのだろう。だが、それを着た時の自分の想像したリナは恥ずかしくてさらに顔が熱くなっていた。
「その気になったらいつでも着てみればいい。俺は気長に待つことにする」
それは期待されているようにしか聞こえない。もう一度ロイドの手元を見たリナは、やはり無理だと思って贈り物を捨てるのは忍びない気がして、クローゼットの奥に仕舞うことを心に決めるのだった。
「・・・いつか、お会いできる日が来るかしら?」
箱の中から取り出した服や小物を眺めて、リナはふとそんなことを口にした。ロイドが自分の過去をはなしてくれた時にも同じようなことを口にしたが、それが叶えられるかは不明である。
すでに親子の縁が切れているため、ロイドは母親に会いに行くことはない。お互いにそのことは理解しているだろうが、それでもリナはシルフィーネに会ってみたいと思った。友人という名目で義理の娘に贈り物をしてくれた彼女は、きっと会えない覚悟をしながらもロイドに心を砕いているのだろう。
「そうだな。友人に会うくらいのことはしても問題ないと思う」
親子として会うことはできない。だがリナが友人のシルフィーネに会いに行くことは可能だと判断してくれた。不意にロイドの視線が動くと、何もないところを見てフッと笑った。
「他の国に行ったことのないリナと旅行をしてみるのは許可してくれるらしい」
「え?」
「ヒスイが国境付近までなら送ってくれるそうだ」
どうやら王竜ヒスイの声がロイドに聞こえてきたようだ。
「ギュンターに行った時のように数時間の滞在になるだろうが、一緒に行くことはできそうだ」
友人のシルフィーネに会いにロイドと一緒に少しの時間ならグリンズ王国に行くことはできるということらしい。それを聞いたリナは、ヒスイがロイドとリナのことを想って許可を出してくれたのだと理解した。
竜王国の人間であり、王竜に属する者となったことで他国の人間との関係性には慎重になってしまう。血の繋がった母親として会うことは避けるべきだが、他人として境界線を引くことで会うチャンスを作ってくれている。その心にリナは嬉しさが込み上げてきた。
「いつか行きましょう。たくさん話ができなくても、少しだけ会う形になってもいいから」
今のロイドを見せてあげたい。彼の妻がどんな人なのか見てほしい。幸せに暮らしているのだとわかってもらえるだけでいい。
リナが笑顔で言うと、ロイドも穏やかに笑った。
「お礼の手紙を書かないといけないわね」
友人として手紙を送ることにする。その時はリナが刺繍したハンカチも添えようと思った。
「相手もきっと喜ぶと思う」
ロイドはとても穏やかな微笑みを向けてきた。
不意に顔が近づいてきて、リナは自然と目を閉じる。優しく触れる口づけは今の彼の心を映しているように思える。それから夕食までの間、2人は送られてきた荷物を整理しながら、他愛ない話をして穏やかな時間を過ごすことになった。




