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師弟

グリンズに住んでいた頃、息子のリカルドを育てるため体の弱いレーリアは内職で生計を立てていた。外で働くこともした経験はあるのだが、やはり体力的に長続きしなくて結局家の中でできる仕事をすることが多くなった。そのため裁縫に編み物もでき、刺繍も得意だということでリナが今までしてきた仕事を引き継いてくれることになった。

とはいえ、普段の世話役としての仕事の合間に使用人の服を手直しするため、基本的にリナがやることになり、時間がある時に手伝うという形だ。

「でも、私は編み物の経験が少ないから自信がなかったの。レーリアが教えてくれると助かるわ」

「平民育ちの私の編み物でよければ教えられますが、貴族様はまた違う編み方があったらどうしましょう」

「編み方に身分は関係ないでしょう。品質の良い糸や布を使う違いはあると思うけど、基本は一緒でしょう」

「高品質の糸や布はやっぱり違いますか?」

「そうね。肌触りは違うと思うわ」

少し時間ができたため一緒に服の手直しをしながらそんな会話をする。

リナが元侯爵令嬢であることは伝えていた。やはりお嬢様育ちが自然と出ているのか、レーリア親子は最初からリナに品があることを見抜いていて、教えると納得したように頷いていた。

「それに、今は私も平民だから、高価な物は買えないわ。服もここへ来てから街で買い揃えたのよ」

侯爵令嬢時代は、侯爵家の金で買い物をしていた。流行りから遅れたりみすぼらしい恰好をするわけにはいかない。他の貴族たちの目はいつも注がれていた。

竜王国へ来て神殿で暮らすことになってからは街で購入した服を着ている。色合いや艶、肌触りは落ちていると思うが、丈夫さはやはり貴族よりも体を動かす平民の服の方が圧倒的に強いと思っている。

服の調達は侯爵家から追い出された時に持って来た貴金属を売って買っている。それだけでも十分な金額になるので、今もまだ残っているから必要に応じて買うつもりでいる。それ以外に神殿から日常で必要な物を買えるようにと資金の提供はあるのだ。

神殿はそのほとんどを寄付金で賄っている。王竜がいなければ街は危険に晒される可能性もあり、守ってもらっているお礼とも言える。普通に生活することは十分にできていた。

「これからは夏に向けてレースを編むのもいいかもしれないわね」

「服に縫い合わせてお洒落を演出するのもいいと思います。息子ではそういうことが出来なかったので、リナ様やアスロさんの服を工夫してみるのは楽しいでしょうね」

まるで娘ができたかのように嬉しそうにするレーリアは体調も良いらしく、神殿で働くようになってから体調不良で休んだことが今のところない。ここの環境は彼女に合っているようだ。

アスロもリナより年上だが見た目はリカルドと変わらないくらいに見えるため、いろいろとお洒落をさせてあげたいと母親の気持ちでいろいろと想像している。

彼女も神殿に来てだいぶ生活に馴染んできたとリナは微笑ましく思っていた。

息子と一緒に働けることも精神面で彼女の助けになっているのだろう。

リカルドは別の仕事を頼まれて今はいないが、彼も母親がすぐそばにいることに安心感があるはずだ。

体が弱く内職で生計を立てていたレーリアを見ていたリカルドは、平民でも騎士になれることを知って将来騎士になるための学校に行こうとしていた。だがそこは基本的に貴族が優先され、平民は極僅かの推薦をもらっている者だけという狭き門だったらしい。そのため独学で剣を身に着けて成人したら騎士の試験を受けようとしていた。各街で雇われる傭兵という道もあったが、安定的で高収入を目指すのなら騎士になることが目標だったのだ。

そんな彼に目をつけたのがマルスだった。出会いは偶然だったらしいが、騎士としての将来に見込みがあると判断したマルスが弟子にしたのだ。

彼なら成人してすぐに騎士試験を受けても合格させられると思っていたようだ。

結局グリンズ王国での騎士としての職に就くことは出来なくなったが、まだ成人していない彼をロイドは受け入れてくれた。贖罪の意味を込めてリナの護衛騎士にしているが、もうすでに神殿の使用人として馴染んでいると思う。他の使用人も差別することなく接してくれているのが一番よかったのだろう。

安心して過ごしている親子を見ていると、リナも自然とほっとした気持ちになっていた。

「そういえば、2人のためのハンカチを用意しているのだけれど、2枚分になるからもう少し待っていて」

使用人としてここで働くのだからリナからの贈り物としてハンカチに刺繍をしている最中だ。

仲の良い親子から、親子の馬を刺繍することにした。レーリアには優雅なたたずまいの母馬。リカルドには楽しそうに走り回っている子馬を刺繍する予定だ。2枚揃えると、走り回る子馬を優しく見守る母馬という構図にするつもりでいる。

「私たちのためにありがとうございます」

リナが心を砕いてくれることをレーリアは心から感謝していた。

その後ものんびりと会話を楽しんでいると、扉をノックする音が聞こえた。

レーリアが動いて扉を開ける。

「あら、あなたは」

「久しぶりですね。レーリアさん。元気そうでなによりです」

聞いたことのある声に、リナも手元の作業から視線を上げた。

「マルス様?」

廊下にいたのはロイドとリカルドの師匠であるマルスだった。彼はレーリアを助けるためグリンズ王国にボルドと一緒に行っていたが、レーリアを助けた後戻ってくることなくグリンズ国王に今回の報告をしていたはずだ。その後の処分が決まった後も姿を見せることがなかったので、グリンズに留まっているのだと思っていたが、急に神殿にやって来たようだ。

「リナさんも久しぶりですね」

そう言いながら部屋に入ろうとしたが、すぐにレーリアが止めた。

この部屋はリナ個人の私室として使っている部屋だ。夫であるロイドが入ってくることはあるが、それ以外の男性は出来るだけ入らないようにしている場所になっている。護衛をするためリカルドも入ることは許されているが、基本的に部屋の前で待機する。

何か話がある時は隣の夫婦の部屋に人を招くことにしているのだ。レーリアはそれをわかっていたのでマルスを部屋に入れないようにした。

「何かお話があって来たのですよね。隣の部屋で伺います」

立ち上がって部屋を移そうとすると、マルスはすぐに首を振った。

「先にロイドと会ってきた。彼とリカルドも交じって話をしたいと言ったら、別の部屋を用意すると言われたんだ。俺はリナさんへの挨拶も兼ねて呼びに来たんだよ」

先に竜騎士であるロイドに挨拶を済ませていた。彼が来たということはグリンズ王国の話だろう。そして、リカルドも一緒にということから、今回の襲撃に関することのようだ。

全部解決したと思っていたが、まだ何か残っているのだろう。

少しがっかりした気持ちになりつつ、別部屋で話をすることになっているのなら移動するしかない。

作業していた荷物の片づけをレーリアに頼んで、リナはマルスと一緒に移動することにした。

案内されたのはお茶会をするための部屋だった。談話室に行くのかと思っていたが、狭い談話室よりお茶会の部屋の方が広くて開放感はある。真剣な話をするにも気分的に楽かもしれない。

そんなことを思いながら部屋へと入ると、すでにロイドとリカルドが椅子に座り、アスロがお茶の用意をしていた。それにロゼストもいた。

神殿の管理人のような立場である彼がいるということで、神殿にも関わる話なのかもしれない。さらに大事が待っている気がして深刻な話しでなければいいなと思いつつ、前向きな嬉しい話であればいいと内心ドキドキした気持ちもあった。どこに座ろうかと空いている椅子を見ていると、ロイドが立ちあがって隣に座るように促してくれた。

アスロが椅子を引いてくれたのでそこに座ると、隣にロイドが座り、そのさらに隣にリカルド。ロイドの対面になる場所にマルスが座ると、その隣にロゼストが座った。丸テーブルを囲うように5人が座ると、アスロはお茶を用意し終えて部屋の扉の前に静かに立った。

それだけで話が始まるのだという雰囲気に変わる。

「俺がグリンズ国王にすべての報告をしたことはすでに伝わっているな」

誰が最初に口を開くのかリナは黙って待っていると、話を切り出したのはマルスだった。

「第2王子のジェーラル殿下が使者としてここへ来た。王妃と第1王子の処遇を話して、ジェーラル殿下が今後継承権1位になることで王族の存続も問題ないようだ」

ロイドが第2王子から聞いた内容を口にする。国王が決めたことに反論することなく話し合いはスムーズに終わった。第2王子も王妃の子供であることから、国としての混乱も少しは抑えられるだろう。ただキースト殿下にすり寄っていた貴族がいた場合、今後の身の振り方を最初から考えなくてはいけなくなる。しばらくは国内の情勢が不安定になる部分もあることだろう。それは国の中でのことなのでリナ達には一切関係がない。

「国のことは今後国王が采配していくことになる。今回のような愚かな行動をとる王族はもういないだろうし、しばらくは見守っていてほしいというのが国王の考えだ」

「当然王竜も竜王国としても、他国への干渉をするつもりはありません。国の中のことはその国が解決するべきこととして、大きな乱れを起こさないようにこちらは監視するだけです」

他国同士の争いなら王竜も干渉することはある。戦争が起こった時が一番の事例だろう。それ以外にも竜王国自体に争いを仕掛けてきた時は、もちろん王竜も応戦するが、圧倒的に竜王国が勝つのは誰もが知る常識となっている。

それほどの力が王竜にあるということなのだ。

「師匠がここへ来たのは、国のことを話すためではないでしょう」

グリンズ王国の実情はジェーラル殿下が話していった。そのことを再び話したところで意味はないというようにロイドが言うと、マルスは苦笑してからリカルドへと視線を移した。

「弟子を雇ってくれることにしたんだな」

「ちょうど人手が欲しかったのと、まだまだ粗削りですが剣の腕も磨けば良くなる可能性を十分に持っています。切り捨てるのは簡単なので、しばらく様子見ですね」

脅迫されての襲撃ではあったが、リカルドの罪を許したわけではない。贖罪の意味を込めて母親と一緒に働いてもらうことにした。そう説明すると、マルスは呆れたように息をついた。

「お人好しだな」

それはリナもロイドと話していて出てきた言葉だった。夫婦そろってお人好しだからこそリカルド親子を受け入れたのだ。そこに後悔はない。

「好きに評価してください。それと、今からでも引き取ると言われても使用人として受け入れたので、許可しませんよ」

リカルドはマルスの2番目の弟子だ。まだ日は浅いが見込みがあると評価されていた。引き取って立派な騎士に育てたいと言われるかもしれないが、罪を償うためにここに居る彼を手放すことはしないだろう。

「わかっているよ。俺としてはここに居てくれた方が2人とも安全だと思うし、リカルドが贖罪のためにここに残ると決めているようだから、無理に連れて行くようなことはしたくない」

グリンズに戻れば竜騎士の襲撃犯として国からの処罰を受ける可能性がある。母親もその巻き添えを食らう可能性があり、竜王国で使用人として働くという罰の方がずっと安全だ。

リカルドもすべて理解しているのか口を引き結んで頷いた。まだ15歳ではあるが、彼なりの覚悟がある。

「使用人としてロゼストが仕事を教えることにしています。剣に関しては時間がある時に俺が教えますし、護衛に関することはボルドが担当しています」

「ゼオルにもまだまだ教えることはありますが、神殿内の仕事に関しては私が全面的に教えていきます」

ロゼストは神殿の神官であり管理人という立場だ。ギュンターの神殿からやって来たゼオルを神官として受け入れ仕事を教えているが、それ以外にリカルドにも雑用の仕事を教えることになった。基本的に護衛騎士として動くリカルドだが、手が開けば神殿内の仕事もやることになる。教えることは沢山あるが、使用人で護衛であり、剣の修業もしなければいけないリカルドはかなり大変な立場にあると思う。

レーリアはリナの世話役としてアスロから仕事を学んでいる。

ここへ来てからそれほど時間が経過しているわけではないが、順調に仕事を覚えてくれていた。

「今さら弟子として引き取りたいなんて言わないよ。それよりも今回の騒動で俺の弟子が迷惑をかけたことすまなかった」

急に暗い雰囲気になって立ち上がったマルスが頭を下げた。

「お師匠様が謝ることではありません。僕が母さんを守るために決めたことで、勝手な行動をした僕が悪いんです」

慌てたようにリカルドが立ち上がった。

「俺は仕事があるから、時々しかお前に剣を教えられていなかった。そこに隙があったことでキースト殿下に目をつけられたと思っている。もっとお前のことを見てあげられたらと後悔しているよ」

国王命令で国を離れることもあったマルスでは、いつもリカルドを見守ってあげられなかった。そのためマルスの弟子という情報を得たキースト殿下が使えると思って利用してしまった。

マルスは部屋にいる全員を一度見回すと、もう一度頭を下げた。

「リカルドとレーリアの事、どうかよろしく頼みます」

リナはここでやっと肩の力を抜いた。

どんな話が待っているのかと冷や冷やしていたのだが、どうやら弟子とその母親を心配する師匠として今後のことをお願いしたかっただけのようだ。

ほっとしたことで喉の渇きを感じた。

せっかくアスロが出してくれたお茶を飲んでいなかったことを思い出す。少し冷めてしまったが、カップを取ってお茶を口に含んだ。

「これで全部終わりましたね」

ほっとしたように言うと、隣のロイドもほっとしたように頷いた。

新しい使用人を増やして、また穏やかな日々が待っているのだと思うと心が軽くなるのを感じながら、リナはゆっくりとお茶を飲むのだった。


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