姉気分
グリンズ王国第1王子の来襲を返り討ちにして3日が経ち、リナはお茶会用の部屋でゆっくりとお茶を飲んでいた。
すぐ隣にはロイドが静かに座り、同じようにお茶を飲んでいる。後方にはアスロが立ち、テーブルを挟んだ向かいには先日刺客として来襲してきたリカルドが座っていた。その後ろにスカイが気配を消すように佇んでいる。
リカルドの前にもお茶は用意されているが、椅子に座って俯いたままカップに手を付ける気配がない。
せっかくアスロが淹れてくれたお茶が冷めてしまうのは残念だが、今の彼に強制するのは難しいことも理解している。
「お茶が冷めるわよ」
一応声を掛けてみると、わずかに肩が動いた。だがカップに手が伸びることはない。
彼は捕虜という形で神殿に留めるとロイドが決めた。容赦ない判断を下すのではと思っていたが、マルスの新しい弟子であり、師匠から頼まれたということもあったのだろう。最大限の配慮をしてくれていることは明らかだ。血を流してほしくないと願っていたリナの意見も配慮の対象になった可能性はある。
不明の母親の件が片付けば、正式な判断を下すことになるだろうが、それまでは牢獄に放り込むことを避けてくれた。
ここには投獄するための施設はなく、2階の客室に監視付きで入ることになった。普通のベッドに食事もちゃんと出てくる。街の警備隊に預けて投獄されれば、こんな待遇はまず受けられない。
リカルドは戦意を喪失して、すべてを諦めているようだった。大人しく言われたとおりに与えられた部屋に入ると、何をすることもなく1日を静かに過ごしているようだった。
「処分はいつでもできる。師匠の連絡を待ってから今後の処遇を決める」
大人しいリカルドの様子は監視をしているスカイから毎日報告されていて、ロイドは様子を見ながら今後のことを考えていくつもりのようだった。そのことにリナは少しほっとしていた。
「リナ様がせっかくお茶に誘ったのに、ひと口飲むくらいできるでしょう」
後ろに立つアスロが不満そうに呟くが、リカルドは俯いたままだ。
3日経ったが、彼はろくに食事を摂っていなかった。母親の心配をしているからと、捕虜という立場から食べ物が喉を通らないのかもしれない。
襲われたリナだったが、まだ15歳で、母親を人質に取られて仕方なく動いていたリカルドを厳しく罰したいという気持ちは持てなかった。
侯爵令嬢時代、母親代わりで妹の世話をしていたが、それよりもさらに年下になる。何も言うことを聞かなかった妹に対して、リナは途中で諦めてしまったが、目の前の少年はまだ立ち直るチャンスがあると思えた。
何も口にしないリカルドは日に日にやつれていくのがわかった。このままではいけないと思いロイドに相談して一緒にお茶に誘うことにしたのだ。
「お茶に合うお菓子は料理人がわざわざ作ってくれた物よ。美味しいと好評だからあなたも食べてみて」
リナが頼んでタイトにわざわざ作ってもらったクッキーだ。お茶の横に添えられているが、それに手が伸びることはない。
リカルドは肩を僅かに動かしただけで俯いたままの視線が変わらなかった。だがリナの言葉には反応を示してくれている。
僅かな動きだがそこに彼の心を動かずチャンスがあるように思えた。
カップを置いたリナは立ち上がると、ゆっくりリカルドへと近づくことにする。
「リナ様」
すぐにスカイが動いてリナの前に立った。
「これ以上の接近は危険です」
たとえ武器を持っていなくても、素手で攻撃されることもある。ましてやリナは一度攻撃を受けそうになった。監視付きだからという理由で同じ空間でお茶を飲むことを許されたのだが、近づいていいわけではない。
それでもリナはスカイにそっと微笑んだ。
「大丈夫よ」
何がと問いたげなスカイの視線は当然である。
「彼は攻撃しないわ。まだ母親の安否もわかっていないもの。下手に動いてはいけないことを理解しているわ」
だからこそずっと大人しくしているのだ。
「ですが、ロイド様からの命令もあります」
そう言ってロイドに視線を向けるが、彼はカップをテーブルに置くと静かにこちらを見つめ返してくるだけだった。様子を見ているという感じだが、リナの行動を止めることをしないのは信頼されているからなのか、スカイが止めることを想定しているからなのかわからない。
なにも口出しをしてこないのなら、リナはスカイに向き直ってもう一度同じ言葉を繰り返した。
「大丈夫よ」
スカイが明らかに困った顔をする。
どうするべきなのかロイドに視線を向けると、黙って座っている彼は静かに目を伏せながら頷いた。
まるで自分は何も見ていないから好きにするといいと言っているかのようだ。
リナはそう判断してスカイに頷くと、彼は諦めたようにリカルドのすぐ後ろに立った。怪しい動きを見せたら即刻取り押さえるためだ。
リナはリカルドの目の前に置かれたクッキーの皿を引き寄せると、腰をかがめて俯いている顔の目の前に差し出した。
すると、驚いた顔をしたリカルドが顔を上げる。
「お母さんが気がかりなのはわかるわ。でも、お母さんが無事にここへ来た時、あなたが疲弊してやせ細って倒れていたら逆に心配をかけることになるわよ。ちゃんと迎えるためにも、今は食べないと駄目」
諭すように言っていく。
あとどれくらいでマルスたちが母親を連れてこられるのかわからない。そもそも見つけられたのか情報が無いため、リナ達もただひたすらに待つことしかできなかった。
それでもロイドの師であるマルスと護衛騎士のボルドは優秀だ。母親の監禁場所さえ特定できればすぐに助け出せるだろう。
彼らを信じることが今のリナにできることである。その間にリカルドが倒れてしまえば、せっかく助け出した母親と再会できても心配をかけるだけだ。
3日間食事はわずかに口を付けられているようだったが、明らかに少年の体には足りていない量だ。
「一緒にお母さんに会えるのを待ちましょう」
襲撃者であり捕虜ではあるが、どうしても悪人として見ることができない。お人よしだと言われても仕方がないだろうが、リナは少年を非難することができなかった。
「私には母親がもういないから、大切にしてあげて」
血の繋がった父と妹はまだ生きているが、絶縁をしていていないも当然だ。母親は他界しているので会いたくても会えない。
「え・・・」
明らかに動揺した瞳の揺れがあった。家族の話をしたことが良かったのかもしれない。
リナとクッキーを交互に見てはどうするべきか悩んでいる様子を見せた。
「僕を許すんですか?」
か細い声ではあったが、初めて言葉を交わせた。
「それはロイドが決めることだから私は何も言えないわ。でも、どんな処罰が出るにしても、あなたの母親のことが解決してからになるでしょう。その間はちゃんと食べて、寝て、過ごしなさい」
母親というより姉の気持ちだったのかもしれない。弟を持った経験はないが、妹がいたこともあって諭すような言い方になってしまった。
リカルドは少し迷うそぶりを見せたが、やがてゆっくりとクッキーに手を伸ばした。ひとつ摘まんで口に運ぶと、サクッといい音が聞こえた。
「・・・美味しい」
呟くような小さい声ではあったが感想が漏れる。
「それは良かったわ。たくさんあるからゆっくり食べなさい」
この子はまだ幼く素直なのだと思った。
クッキーをテーブルに置くとロイドの隣へと戻る。
「子供の扱い方は令嬢教育で習うものなのか?」
再びお茶を飲み始めると、隣から囁くように声が聞こえた。
まっすぐにリカルドを見つめているが、質問はリナに向けられている。
「妹がいたからなんとなく対応がわかるだけだと思うわ。もっとも妹は私の話などまともに聞いたことはないけれど」
いつも父親に泣きついて、リナが怒られて終わるのだ。そんな生活ではあったが年下の扱いはなんとなくわかっている。
「俺では委縮させるだけだったから、母親が来るまでどう対応するべきか考えていた」
ほとんど食事をしないリカルドに、ロイドはどう対処するべきか悩んでいたようだ。リナがお茶に誘いたいと提案したことも許可したのは彼の様子を見るためだったのだろう。
「自分が15歳だった時は、兄王子のいじめを跳ね返す日々だったし、母の心配をしている暇もなかったように思う」
成人して国を出るまで兄王子に虐げられていた。最初は耐えることしかできなかったが、マルスと出会い剣を学ぶと対抗手段を身に着けた。それでもいじめが収まることはなく、毎日が生き残るための試練であったのだろう。15歳の自分を思い出しても対応がわからず困っていたようだ。
リナは目の前のクッキーを手に取ると、ロイドの口元に差し出した。
「きっとクッキーを食べる暇もなかったのね」
10年前の少年ロイドを想い、その当時の彼に食べさせてあげられたらよかったのにと思ってしまう。そんなことは叶わないとわかっているからこそ、目の前の夫にクッキーを差し出した。
数回瞬きをしたロイドはクッキーを見つめてから口元を緩ませる。
そのままリナの手からクッキーを頬張った。受け取って食べるだろうと思っていたリナは、手にしているクッキーが半分消えたことに一瞬何が起きたのはわからなかったが、まるで餌付けするように食べられたクッキーを見つめて頬が熱くなるのを感じた。
そんなリナの反応にロイドは満足そうに微笑むが、途端に2人の後ろから派手な咳払いが聞こえてきた。
「そういうことは2人だけの時にしてください。特に子供には刺激が強いみたいですよ」
アスロがまったく関係のない方向を向きながら注意してくると、子供と指摘されたリカルドは仲睦まじい夫婦を目の前に頬を染めてポリポリとクッキーを食べている。
リナも同じように顔が赤くなっているだろうが、ロイドは特に気にすることもなく、残りのクッキーをリナの手から取るとそのまま口に放り込んでいた。
リカルドの様子を見るためのお茶会が、夫婦の仲睦まじい姿を見せつける場になってお茶の時間は過ぎていった。




