仕返し
リナが攻撃されたことでロイドは完全に感情を抑え込めなくなっていた。
生まれて初めてここまでの激しい感情を表に出していたと思う。
どれだけ虐められても、母親が虐げられても、いつも冷静に物事を考えて行動しなければいけなかった。そうしなければ、さらに足元をすくわれて酷い目に遭う。
冷静さを持つことは幼いながらに身に着けた生き残る方法でもあった。
だが、心から守りたいと思う相手と出会い、彼女と気持ちを寄り添わせる生活をしてきたことで、リナが傷つくかもしれない状況を冷静に判断している余裕がなかった。
リカルドがリナに標的を変えたとわかった瞬間、彼を追いかけて襟首をつかむと問答無用で後方へ吹き飛ばした。はっきり言って加減など出来なかった。リナはどういう状況でリカルドが飛ばされたのか理解できていなかったが、剣ではなく力任せの行動だった。
全身の血が激しく巡っているかのように体温が高くなっていくのを感じていた。
リナが声を掛けて触れてくれなければ、握っていた剣がリカルドの血に染まっていたのは容易に想像がつく。
リナは血を流すことを嫌った。ロイドが守ってくれたから無事でいられたと諭すように話してくれたことで、少しだけ冷静さを取り戻せた。それに頭の奥でヒスイが落ち着けと諭してくれたことが一番効果があったのだろう。
「・・・わかった」
それはリナに対してというよりヒスイの言葉に反応する言葉だった。
気持ちが落ち着いてくると、ヒスイの静かな気配が伝わってくる。竜騎士が感情に左右されて行動してはいけない。言葉ではないがそれを教えられているようだった。
すぐ隣に愛しい人がいる。それを改めて実感したロイドは心が完全に落ち着くと、リナに軽いキスを落としてから床に転がっているリカルドへと近づいて行った。
「覚悟は出来ているな」
もう戦う意思を失ったのか、リカルドは天井を見上げている。その瞳にはなんの感情も宿っていないようだった。すべてを諦めてしまったのだ。
このまま放っておいても問題はなさそうだ。あとは師匠であるマルスに任せたほうが良さそうだ。ロイドの次の弟子だと言っていたが、その存在を知らなかった。1年前ならまだ弟子になってそう長くないと言っていいだろう。今のうちにしっかりと再教育をしてもらいたい。
視線だけでそれを訴えるとマルスは心得ているように静かに頷いた。
転がっている少年に片膝をついて師匠であるマルスが話しかけるが、リカルドの反応はあまり良くない様子だった。先ほど怒られたことですべてを投げ出してしまった様子だが、それでも諦めることなくマルスが囁くように話しかけていく。その様子を確認してから、ロイドは他に片付けなければいけないことをすることにした。
リカルドの母親を盾に彼を利用してロイドを襲った黒幕。
神殿の入り口に立っているキーストは、リカルドが完全に戦意を喪失していることを知って、不満そうな顔をしていたが、ロイドが近づいてくることに気が付くと途端に焦った様子を見せた。
心の中には怒りが湧き上がってきているが、外にはそれを見せることなく無表情で歩いていくと、それが逆に怖さを感じさせていたのだろう。ロイドへの攻撃も出尽くしたのか、数歩後ろにさがった。
逃げる素振りを見せたキーストだったが、入り口をボルドとスカイがいつの間にか立ち塞いでいた。彼らもずっと隠れて様子を窺ってくれていたのだ。逃がしてはいけないと判断して立ってくれたようだ。
それに気が付いたキーストが忌々しそうに舌打ちをした。
「何をしているお前たち、さっさと逃げ道を確保しろ」
その言葉に周りを囲っていた騎士たちの2人が入り口に向かって走った。ボルドとスカイを排除してキーストを逃がそうとしたのだ。だが、剣を抜いた彼らが使用人2人を退けることは出来なかった。逆に膝を床につけさせられて終わった。ボルドも剣を抜き相手を圧倒すると、スカイは短剣で相手の剣をいなしながら目くらましの魔法を使って隙を作るとあっという間に背後に回って踏み倒してしまった。
「騎士団もこの程度とは情けない」
グリンズ王国にいた頃、王国騎士団を見てきたボルドが明らかな落胆を見せる。
マルスが所属していたことを考えて、もっと強い騎士なのだと思っていたのだろう。
残った2人の騎士が剣を抜いたが、ロイドが素早く近づいて騎士の手から剣を叩き落とした。床に金属がぶつかる甲高い音が響く。
「もう決着はついている。まだ抗うというのなら、こちらもそれ相応の対処をさせてもらう」
リナは血を流すことを嫌っているが、最後まで抵抗するのであれば命を奪うことはなくても、怪我はすることになるだろう。
剣先をキーストに向けると、彼は完全に青い顔をしていた。もう抵抗してはいけないとどれだけ愚かな王子でも判断できるだろう。
両手を軽く上げて降参している意思を示してきた。
「今回のことはグリンズ国王に報告させてもらう。俺が言わなくても師匠は国王命令でここでの様子を報告しているから、すぐに事の顛末が伝わるだろう。竜王国としても王竜への敵意を示した以上、それなりの覚悟はしておくことだな」
剣を納めるとロイドは宣言するように伝えた。王竜の怒りを買った以上、キーストは国に戻ってもまともな立場でいられるはずがない。竜王国との戦争もあり得る状況を作ったのだ。それを国王が許せばヒスイは必ず動く。
キーストの処分は国王に任せることにして、その結果を待つことにする。
自分の感情だけを優先した結果が、自分自身に返って来ることになるだろう。そうなることでどれだけ愚かなことをしていたのかこれからはっきりと自覚することになる。
「わかったらすぐにこの国を出ろ。自分の行いを振り返る時間はこの先十分に取れるだろう」
青い顔をしながらも、グリンズ王国第1王子はロイドを最後に睨んできた。だがそれも一瞬で騎士たちと一緒に入り口へと歩き出す。
ボルドとスカイが入り口から避けると、4人の騎士に護衛されながらキーストは神殿を去っていった。
「終わったな」
神殿の外へ出て行き街に向かう道に沿って森へと消えていく後ろ姿を確認すると、ロイドは疲れたように言葉を漏らした。
王妃の策略も面倒ごとではあったが、王子の来襲はもっと疲れた。そう思いながら振り返ると、床に座り込んで項垂れているリカルドとその隣に寄り添うように何事かを話しかけているマルスがいた。
キーストと一緒に追い出すべきだったが、マルスが話しかけていたので放っておいた。
マルスが弟子の肩を何度か叩くとリカルドはわずかに頷くような仕草を見せた。それを確認してマルスはほっとしたような表情をしてから立ち上がってこちらへと歩いてきた。
「あいつの事、しばらく預かってくれないか?」
「は?」
突然の申し出に変な声が出た。
「さっきの殿下の発言から、あいつの母親が今危険な状態にあることは察することができる。話を聞いたが、居場所はわからないらしい。見つけて助けることもできなかったから、大人しく殿下の言うことを聞くことにしたようだ」
ずっと話しかけていたが、どうしてこんなことをしたのか理由も聞きだしていた。
キーストがリカルドの母親を人質に脅していたことは発言で理解していた。それでも竜騎士に剣を向け、リナを傷つけようとしたことを許すことは出来ない。預かってほしいなどと言われて簡単に了承できるはずもない。
「師匠の頼みでも、たとえ子供だとしても、預かるのは許可できない」
竜騎士への攻撃は王竜への敵意とみなされる。王竜がリカルドを神殿に置くことを許すとは思えない。
「街に連れて行って、警備隊長のリグストンに相談した方がいいと思います」
「その時間がないからお前に頼んでいるんだよ」
リカルドの母親はキーストがどこかに隠している。彼らはすぐに国に戻ることになるだろう。その後用済みとなった母親を処理する可能性が考えられ、マルスはその前に母親を助けたいと考えているようだった。
「あれは俺の2番目の弟子だ。これから目をかけて育てていくつもりでいた人材でもある。ここで腐らせたくないし、助けられる可能性があるなら母親を助けて無事な姿を見せてやりたい」
リカルドが行ったことは罪として償わなければいけないことをマルスもわかっている。だが、母親が殺されてしまったと後から聞かされた場合、彼の心も壊れてしまう可能性が高かった。
「どんな処分にするかはそっちに任せる。どんな罪でも受け入れるように言い含めておいた」
「王竜は個人に対しては関心をあまり持ちませんが、竜騎士への攻撃は別です。それ相応の覚悟が必要になりますが、構いませんね」
「・・・せっかくの新しい弟子だったが、そこは任せる。俺が口を出せる立場でもない」
出来ればリカルドを生かしてほしいと思っていたのだろうが、ロイドの言葉に諦めたように頷いた。
「ボルド」
マルスの了承を得たことで、すぐに入り口に立っているボルドを呼んだ。
「師匠と一緒にグリンズへ行ってくれ。第一王子を追って師匠の手伝いを頼む」
グリンズ王国でロイドの母親の護衛騎士をしていた彼なら地理にも詳しい。使用人になってからもグリンズの情報収集を任せていた。王城内に監禁されている場合も彼なら動きやすい。
マルスとならすぐに見つけ出して救出もできるだろう。
「リカルドを、頼む」
それだけ言い残してマルスはすぐに神殿を後にした。その後をボルドも追いかけていく。
最後の言葉はリカルドへの処分を軽くしてほしいという彼の願いが入っていることを知りつつ、ロイドはそれに対して返事をすることなく師匠を見送るだけだった。




