見下す者
「リナ様。ロイド様が呼んでいます」
少し戸惑いのある表情で入ってきたロゼストが最初に告げたのはその言葉だった。
それだけで空を飛んでいたロイドがヒスイと一緒に戻って来たことがわかる。
ホールで押し問答をしていたロゼストがここへ来たということは、ロイドが今は第1王子と対面しているのだろう。
リナを呼びに来たということは、何か進展があったと考えていい。それにリナが行かなければ何も進まないような気がした。安全を考えて部屋で待機していたが動かなければいけない。
部屋にいる全員を一度見渡してから、リナは覚悟を決めたように頷いた。
「わかりました」
「俺が一緒に行ければいいが、第1王子と顔を合せるのは避けたい。こっそりついて行くことにする」
マルスは護衛を協力してくれていたが、相手が悪い。気づかれないように遠くから様子を見るつもりのようだ。
「私が側にいますから」
アスロは一緒についてきてくれるらしい。スカイは静かに頷いたので、彼もどこかで様子を見るようだ。
ロゼストとゼオルは戦闘能力がないことを考えて部屋に残ってもらうことにする。
聖女を行かせることにゼオルは抵抗があるようだったが、自分の力もわかっている。複雑な心境が顔に出ていたが頷いてリナを見送ってくれることになった。
「行きましょう」
そう言うと覚悟を決めて部屋を出た。
すぐ後ろにアスロが付いてきてくれる。これだけでも十分な心強さがある。
ホールに出ると神殿の入り口付近に数人の男が立っていた。騎士と思われる男性が4人。その中心に質の良い服を着ている男性。彼がグリンズ王国のキースト第1王子なのだろう。彼がまっすぐに見つめる先にロイドが静かに立っていた。
ロイドはリナが姿を現すと視線を向けてくるが、感情の読み取れない静かな顔をしていた。いつも優しげな視線を向けてくれる彼が感情を押し殺しているのだと思うと、寂しさが胸の奥に沸く。
ここで寂しい気持ちを表に出すことは出来ない。リナも心静かにロイドへと歩いて行った。
途中リナに気が付いたキーストがこちらに視線を向けてきて、リナを上から下までじっくり見聞するように視線を向けてくると、口の端を持ち上げるようにニヤリと笑ったのがわかった。その意味深な笑い方に、嫌悪感を覚えたが表情を変えることなくロイドの隣へ並び立った。
感情を表に出さないことは侯爵令嬢時代の教育で培ってきた。ひどいことや皮肉を言われても、穏やかな笑顔を向けてやり過ごすことも学んでいる。今は何の感情も表さないように静かにロイドの隣に立つだけだ。
だがロイドはすべてをお見通しのようで、隣に立つとそっと背中に手を添えてくれた。ちゃんとわかっていると言われているようで、大丈夫だとも背中に触れた手から伝わってくるようだ。それがキーストの視線を不快に思ったリナの心を癒してくれる。
「彼女が私の妻のリナです。リナ、こちらはグリンズ王国第1王子キースト殿下だ」
「初めてお目にかかります。リナ=フローネスです」
ロイドがお互いを紹介してくれたので、リナはスカートを摘まんで淑女の挨拶をした。
「ほう。少しはまともな挨拶ができる娘を嫁にしたようだな」
明らかな見下した言い方。どうやらキーストもマリアナ同様にリナがギュンター王国の侯爵家出身であることを知らないようだ。何も調べることなくロイドが結婚したという情報だけでやって来たのは、王族としてどうかと思う。
「我々が結婚したことを聞きつけて、祝いの挨拶に来られた」
ロイドはそう説明したが、マリアナのことは何も触れない。先に王妃の指示で侯爵令嬢が来たことをキーストも知っているはずだ。彼が何も言わないので敢えてこちらも口にはしないようだ。
「お越しくださったことに感謝いたします。急な訪問でしたので、何のおもてなしも用意できず申し訳ありません」
急に来たことへのちょっとした嫌味のつもりだが、キーストは顔色を変えることはない。リナの言った言葉の意味を理解していないのか、理解したうえで平然としているのかその態度だけでは見極められなかった。
「どんな娘と結婚したのかと思えば、少しは見られる方じゃないか。それとも、夜の慰みにはちょうど良かった相手ということか」
胸の奥が一気にざわついた。王族ともあろう人間の言葉ではない。すぐ後ろに控えていたアスロが一瞬殺気立ったのもわかった。ここで騒げば相手はグリンズの王族だ。国同士の揉め事に発展する可能性がある。それにリナは竜騎士の妻ではあるが貴族ではない。立場上弱いと言える。
ぐっと堪えるのがこの場の正しい判断だ。
そう思って黙っていると、急にロイドがリナを庇うように一歩前に出た。
「挨拶も済みましたし、せっかく竜王国までお越しになったのです。王竜に会っていくのが筋でしょう」
キーストが放った言葉を無視して、ロイドは奥にある王竜の間の扉を示した。
「妻が言った通り急な訪問のため、何ももてなせる用意がありません。それに、ここでは貴族も平民も変わりなく対応することになっているため、もちろん王族も例外ではありません。泊まれる部屋は広い場所を用意できますが、王竜の前ではみな等しい存在となります」
急に饒舌になると、キーストが断る隙を与えずにさらに言い続ける。
「竜騎士は王竜と常に繋がった存在のため、殿下から見聞きしたことはすでに王竜へと伝わっています。今の殿下の態度をどう捉えたかは王竜に直接会って判断されるとよいでしょう」
絶対に会えというロイドからの圧力に、キーストは視線を泳がせた。ロイドやリナには上からの態度ではあったが、王竜という存在が出てくると途端に弱腰になったのがまるわかりだ。これで次期グリンズの王としてやっていけるのか疑問でしかない。
「今回は竜騎士の結婚の挨拶に来ただけだ。王竜に会うこともないだろう」
「ここまで来てこの国の頂点に立つ王竜に会わないつもりですか?」
「そ、それはまた後日でもいいだろう」
「今日はグリンズから王族が来たことを知ったため、わざわざ戻ってきてくれた王竜に挨拶もせず帰るということですか?」
何とかしてその場を離れようとし始めたキーストに、ロイドは逃がさないと言わんばかりに言葉を重ねていく。先ほどリナを侮辱した反撃をここでしているように思えた。
「先ほど言いましたが、竜騎士は王竜と常に繋がっています。今の会話もすべて王竜には伝わっているので、ここで帰られるということはこの国の王への挨拶をしないグリンズ王族ということで、王竜を侮辱すると捉えられても構わないということでよろしいですね」
最後の問いはキーストの心にグサッと刺さったようだった。王竜への侮辱。敵意を向けられたと判断すれば、王竜はグリンズ王国に対して反撃をすることができる。
「そ、そんなつもりはない。お前こそ、そうやって王竜に結び付けてグリンズ王国を陥れるつもりなのだろう」
怯んで立ち去ってくれるか、王竜に会ってマリアナのように怯えて帰ってくれればいいと思い始めていたリナだが、キーストはまだ諦めを選ばなかった。
「そんなつもりはありません」
「いいや、王竜を利用して俺をきっかけにグリンズ王国への恨みを晴らす機会だと考えたようだが、そうはいかないぞ」
息を吹き返したようにキーストが今度は責め立てるように口を開いた。
「俺への当てつけだろう。さんざん虐められた復讐のつもりかもしれないが、お前はどう足掻いても側妃の子供であって、俺より上にはならない。王竜という強い力を得たことで上になったつもりだろうが、所詮は地べたを這うだけだ」
「虐めたことは認めるのね」
形勢逆転だとでも思ったのか息を吹き返したようにキーストが言うと、リナの後ろでぼそりとアスロが呟いた。
獣人で平民であるアスロだが、王族を前にしても平然としている。見た目はリナよりも年下に見える少女だが、やはり年上の頼りになる女性だと思えた。
「復讐するつもりなら、竜騎士になった時点でいくらでもできます。今になってそんなことをするほど子供でもありません」
キーストの言い分に呆れたようにロイドが言い返した。もういい加減下手に出るような態度は諦めたようだ。
「なんだ、その態度は。自分の立場がわかっていないのか?」
不満げに言うキーストに、ロイドはもう対応するのが面倒になったのかため息を漏らした。
「あなたこそ、ここがどこで、自分がどういう立場で、どういう状況なのかわかっていないでしょう」
「なんだと」
明らかに怒りを露わにして顔を赤くするキーストに反応して騎士たちが身構えた。
アスロが咄嗟にロイドと並びリナを庇う形を取る。
戦闘となればリナは邪魔でしかない。剣を抜かれたら部屋がある廊下へと走るか、王竜の間に駆け込むしかない。どちらが早く逃げられる方法かと考えていると、突然背後から低く威嚇するような咆哮が聞こえてきた。
それはホールの空気を一気に震わせて、鼓膜に突き刺さるような衝撃を与えた。
王竜の間からヒスイが怒りの声を上げたのだ。ここは王竜の領域。勝手な争いは許されない。しかも竜騎士に向かって刃を向けるということは、王竜への敵意とみなされる。怒りを向けられても仕方がない。
咆哮とともに、柄に手を添えていた騎士たちが一斉に片膝をついて崩れる。中心にいたキーストは驚いたようにのけ反ると、そのまましりもちをついた。
だが王竜の加護を授かるロイドは平気だろうが、リナとアスロもその場にいたのに、その咆哮に気圧されることなく立っていられた。
びりびりとした空気の震えと鼓膜に突き刺さる音は確かに捉えたのだが、その衝撃を受けなかったのだ。
それを不思議に思っていると、ロイドと視線が合ってなぜか穏やかに笑ってきた。
きっと王竜が何かしたのだろう。それをロイドに伝えたようだ。あとで説明してもらうことにしよう。
「さて、これで状況ははっきりしたようだな」
倒れているキーストを見下ろして、ロイドは静かに言葉を紡ぐだけだった。




