兄王子との再会
『来たぞ』
たった一言ではあったが、それだけで神殿で何かが起こったことはわかった。
師匠とボルドも加わって神殿の警備は強化されたため、ロイドは王竜と一緒に空を飛ぶことにした。
第1王子が何を考えてどんな行動をとるのかわからないため、空からも警戒することにしたのだ。しかし、グリンズ王国方面を警戒していてもそれなりの広さはある。国境付近を観察していても関係のない馬車の出入りもある。怪しい人間や馬車がいるかなど、ただ空から見ただけではわからないのが現実だ。
そんな中ヒスイが神殿での異変に気が付いた。
警戒していてもどこかですれ違っていたのだろう。気が付ける可能性が低いことをわかっていたので、特に落胆することはなかった。
だがすでに神殿に来ているのだとわかると、小さな不安が芽生えたのも事実だった。神殿の警備を強化しているので戻るまではきっと大丈夫だと信じていてもロイドの中に焦りが生まれそうになる。
だが、ヒスイに焦りは感じられない。急げと言ったところで意味がないこともわかっている。ロイドは大人しくヒスイの背に乗っていることしかできないのだ。
悠然としながらもスピードは十分にある。バランスを崩さないように落ち着いて乗っていることが今ロイドのすべきことなのだと思うと、自然と気持ちが落ち着きを取り戻していくのを感じていた。
「神殿の外にいるなら入り口に降りる。中に入ったようなら王竜の間に降りよう」
入り口にいる場合は直接王竜の姿を見せれば、牽制にもなって相手も怯む可能性が高い。マリアナ侯爵令嬢のように堂々と入ってきていた場合は王竜の間から入った方がいいだろう。
そう提案すると、ヒスイは答えるのに少し間があった。
『神殿に入ろうとしている。止めているようだが、到着する頃には入られているだろう』
今はまだ入り口で押し問答をしているようだ。おそらくロゼストが対応してくれている。彼は前回も対応していたが、結局押し切られるように中に入れてしまった。そのことを後々悔いていたのを知っているため、今回は粘っているようだ。
だが、ヒスイの予想が当たれば中に入られてしまうだろう。
「王竜の間に降りよう。それと、今のところリナは無事か?」
ロイドの妻となったリナが狙われる可能性から、ついつい彼女の安否を確認してしまう。使用人たちが守ってくれているのだから大丈夫だと信じてはいても確認をしたい気持ちは抑えられなかった。
『問題ない』
短い言葉にほっとする。
そんな会話をしていると神殿が見えてきた。上空で態勢を変えて王竜の間の天井へと降りると、天井をすり抜けて中へと入った。
マリアナ侯爵令嬢が来た時同様に、ヒスイの背を飛び降りると兜を脱いで王竜の間を飛び出した。
前回はホールを抜けて廊下で揉めているのを発見したが、ロイドは王竜の間を出るとすぐに足を止めることになった。
神殿の入り口付近でロゼストが静かに相手と言葉を交わしているようだった。すぐ近くにゼオルもいるが彼はどう対応したらいいのかわからないようで強張った表情のまま立ち尽くしている。それでも逃げるようなことをしないのは、リナを守ろうとする神官としての矜持があるからなのか、ここの神官となった責任感なのかもしれない。
ロイドはすぐに呼吸を整えてまっすぐにロゼストへと歩みを進めた。
足音に気が付いた彼が振り返ると、一瞬ほっとした表情を浮かべた。だがすぐに表情を引き締めて対峙している相手に声を掛けた。
「竜騎士ロイド様が戻ってきました」
竜騎士とわざわざ言ったのには意味があるのだろう。近づいて相手を確認したロイドは予想していなかった人物がいることに内心驚いた。
「この私を待たせるとは、竜騎士もたいしたことはないな。ろくなもてなしもできない神官の教育もした方がいいぞ」
威張るような言い方は、ロイドを虐めていた時と変わらない。国を出てからは一度も会っていなかった。その前でも返り討ちにしてから刺客を送ってくるばかりでほとんど顔を合わせることがなかったため、最後に会った時よりずっと大人びた顔立ちをしていた。だが、相手を見下すような雰囲気と態度は当時のままだと思えた。
「お待たせしました、グリンズ王国第1王子キースト殿下。竜騎士ロイド=フローネスです」
わかっているだろうが竜騎士となってから会っていなかったので名乗っておく。
竜騎士の選定が行われるという噂を聞きつけて成人すると同時に国を出たロイドは、竜騎士に選ばれたことで国王に廃嫡してほしいと手紙を送っただけで、王族たちと会うことはなかった。
出て行ったことに王妃も王子も清々していたのだろう。ロイドに対して何かを仕掛けてくることはなかった。放置されたことにこちらが清々した気持ちになれたことは誰にも言ったことがない。
このまま赤の他人でいてくれればよかったのに、結婚したという話を聞いて王子自らここへやってくるとはさすがに考えていなかった。
ロイドが挨拶をすると、キーストは明らかに蔑むような視線を向けてきた。
「どういう手を使ったのか知らないが、王竜を丸め込んで竜騎士になっただけではなく、結婚したと聞いたぞ。どこぞの街娘でも抱え込んで自分の子孫を残そうという考えが丸わかりだな」
明らかな侮辱。そして何も情報を集めることなく自分の憶測だけで行動している愚か者だと自ら晒していることに本人は気が付いていないのだろう。
王竜に対してだけではなく、リナのことも傷つける発言をしている。近くに立っているロゼストが無表情になり、ゼオルが顔面蒼白なったのがわかった。
「本日はどのような用件でしょう」
全部無視してロイドは質問を投げかけた。
まったく反応しないことにキーストが苛立ちの表情を浮かべた。
逆に噛みついてくるとでも思ったのだろうが、キーストは暴力的なだけではなく、いつも言葉での攻撃もしてきていた。それを知っているため対応もわかっている。すべて涼しい顔で聞き流せればロイドの勝ちだ。
「ふん、お前が結婚したと聞いたから、兄として祝ってやろうとわざわざ来てやったんだ。それなりのもてなしがあってもいいだろう」
明らかにキーストが上であるという態度に、ロイドは変わらないなと感想を持つだけだった。
「確認ですが、キースト殿下個人の意思でしょうか?」
「なんだ、国として祝福してほしいと思ったのか。側妃の子供のくせに図々しい」
側妃も立派な国王の妃のはずだが、彼らはそうは思っていない。だからこそ側妃の子供であるロイドのことも国王の子として認めていない。
兄という言葉を使ったのが建前であり、自分が上位だと示すための虚勢であることは明白だ。
それに、結婚の祝いだというが、祝いの品を持って来た気配はない。むしろキーストを囲っている騎士たちの威圧感がすごい。彼らもロイドのことを蔑んでいるのがひしひしと伝わってきていた。
「グリンズ王国第1王子にわざわざお越しいただき、祝福の言葉を頂いたこと感謝いたします。竜王国の王竜に選ばれし竜騎士としてお礼申し上げます」
一応祝福されたとして礼を言うと、ロイドは体を横にずらしてホールの奥にある扉を示した。
「せっかく竜王国まで来られたのですから、王竜への面会も許されるでしょう」
『必要なら連れてこい』
ロイドの言葉に反応するようにヒスイの声が頭に響いた。王族だからという理由ではない。ロイドに害をなす存在は王竜への敵意を見せる者。ヒスイもどこかやる気十分な声をしているように感じた。
王竜の姿に怯んで帰ってくれたら簡単に終わっていいのにと思っていると、キーストは一瞬顔を強張らせた。やはり王竜には恐怖心があるようだ。
「・・・王竜よりも先に、私に紹介するべき相手がいるだろう」
目を泳がせながら別の話題を絞り出してくる。
「結婚したのならその相手と会わせるのが筋ではないか?」
それよりも先に国の王である王竜に挨拶をするのが先だと思う。
それは口にせずロイドはロゼストに視線を向けた。
それだけで何を指示されたのかわかったようだが、彼は少し戸惑ったような顔をした。それもそうだろう。リナを呼んできてほしいと視線だけで訴えたのだが、危険性を考えて躊躇したのだ。
だがロイドは口元を緩ませて軽く頷いた。自分が戻って来たことと、王竜も近くにいる。大丈夫だと言葉にしなくても長年の付き合いのあるロゼストには伝わったようだ。
少し諦めたような表情ではあったが、頷いてからゼオルを伴って廊下を歩いていく。
「妻が来るまで時間があるでしょう。どうぞあちらの部屋でお休みください」
小さいながらも談話室がある場所を示すと、キーストはそちらに視線を向けた。だがすぐに腕を組んで憮然とした態度で答えた。
「ここで待つ」
その言葉に違和感があった。王族としてもてなせと言っておきながら部屋に入ろうしない。王竜にも会わずに神殿の入り口で立ち止まったキーストは何を考えているのだろう。
不可解な行動に嫌な予感を覚えながらロイドはこの後どう動くべきかを、静かに考えていた。




