平穏な日
「え、もう帰られたの?」
「別の用事が出来たようで、すぐに出て行った」
「まだ検問所が開く前に?」
「師匠の腕なら森を抜けるのは問題ない。挨拶ができなかったことは申し訳ないとは思っていたかもしれないが」
朝目が覚めると、ロイドは庭ではなく隣の部屋で寛いでいた。
雨が降っているわけでもなかったので驚いたが、部屋を出た時にマルスと会って、彼が神殿を出る挨拶をしに来たことを聞かされた。そのことに驚いたリナだったが、いつもの事なのかロイドは平然としている。
剣の鍛錬をしない分時間に余裕ができたため、今は2人のんびりとソファに並んで座り、寛ぎながら話をしていた。
朝食をアスロが運んできてくれるまで時間はまだある。
師匠のことで話しておきたいことがあると言われて、リナもソファに座ったのだ。
「あの人が俺の剣の師匠であり、グリンズ王国で騎士団に所属していたことは話したよな」
「偶然出会ってロイドの剣の才能を見出してくれたのよね」
ロイドの過去を話してくれた時に簡単なことは聞いた。今は騎士団を辞めて旅をしながら依頼を受ける冒険者のようなことをしている。
時々ロイドの様子を見に神殿に訪ねてくる弟子思いの人だと思っている。
「師匠が騎士団を辞めた理由は、俺がいなくなったことで剣を教える弟子がいなくなったことと、騎士団の中に自分よりも剣の腕が立つ人間を見つけられなかったからということだった」
将来は騎士団長になれる程の実力を持っていたマルスだが、昇級することよりも剣の腕を磨くことに重きを置いていた。そのため剣を教えるロイドがいなくなったことで騎士団にいる理由をなくした。
「表向きはそういうことになっている」
「表向き?」
マルスが騎士団を辞めた理由は他にあるようだ。
「国王命令で、俺の監視役として定期的にここへ来るのが本当の目的だ」
「・・・監視役?」
どういうことなのかすぐには理解できなかった。
「俺が竜騎士になったことで、グリンズ王家との縁が切れた。国王は俺を廃嫡したが、やはり完全に存在が消えたわけじゃない。気がかりに思うところはあったんだろう。王族ではあったが、俺は王家に関与する秘密を共有しているわけでもないから、放っておいてくれればよかったんだが」
兄王子に虐められても見て見ぬふりをするように干渉してくることのなかった父王。放置しておくのなら最後まで見放してくれていればよかった。ロイドの表情はそう物語っている。
「ロイドの監視役としてマルス様が選ばれたということね」
「国王は俺が師匠から剣を教わっていたことを知っていた。他にも騎士団長も勘付いていたらしいから、そこから情報を得ていたと思う。剣の師であるマルスなら俺に近づけてもいいと思ったんだろう」
遠くから様子を窺うのではなく、気心の知れた相手を近づけさせて詳しい状況を探らせるのが目的だったようだ。
「今回師匠がここへ来て俺が結婚していたことを知った。急いで戻って報告する必要があると判断したようだ」
急に神殿を去ったのはロイドの近況報告をするためグリンズに戻ったようだ。
そこまで説明されて、リナはふと疑問に思うことがあった。
「どうしてロイドはマルス様が監視役だとわかったの?」
もしかして王竜であるヒスイが何かに気が付いたのかもしれない。
「ここへ来た日、何の悪びれもなく堂々と俺の監視役に抜擢されたと本人が明言した」
「えっと、それはばらしてもいいことなのかしら?」
何の迷いもなくあっけらかんと報告してきたらしい。
「本来は秘密にして近づいてくるべきだが、隠し事が嫌いというよりも、隠していてことが後でばれると、その後いろいろと問題が起こるだろう。それが嫌だったらしい。俺やヒスイが何か勘付く前に公表しておいた方がいいと考えたんだ」
ずっと隠し通せる自信がなかったのか、気が付かれるという確信の方が強かったようだ。マルスは全部王命だと言い放っていた。
「それでもマルス様を受け入れたのはなぜ?」
「師匠が駄目なら他の者を監視役に寄こしてきただろう。それなら、最初から師匠を受け入れたうえで、こちらの状況を教えつつ、グリンズの情報ももらうことにした」
つまりマルスはグリンズからの監視役であり、竜王国からのスパイもしていることになる。
「師匠も自分の状況をよくわかっている。下手な動きをして命に関わることになるより、大人しく従ったうえで情報を流してくれることを選んだ」
おそらくロイドが交換条件を出してくることを見越していたのかもしれない。だからこそ最初から監視役になったと明言していた。なかなかの策士である。
「師匠が王家に俺の結婚を伝えたからと言って、すでに縁の切られた存在だ。静観していてくれるのが正しい判断だと思っているが、相手がどう出るのかわからない」
監視を付けてロイドの動向を探っているだけなら放っておくつもりでいる。特にロイドからグリンズ王国に何かするつもりもないのだから。だが、ロイドが結婚したことを王家がどんな風に捉えるのかわからない。
「何もしてこなければそれでいい。ただ、リナのことを探ってくる可能性もある」
元王族のロイドの結婚相手。一体どんな人物なのか気になるだろう。
リナの出身国や、元貴族であることは知られても問題ない。問題があるとすれば聖女であるということ。ギュンター王国もリナが聖女であり国外にいることを他国に知られるわけにはいかない。極秘事項が漏れることはないと信じるしかない。
「こちらでも警戒しておいた方がいいだろう」
「私もゼオルと相談しておくわ」
ゼオルを通してギュンターの神殿と連絡を取っている。神殿側もリナに関しての情報を徹底的に守ってもらう必要があるだろう。
「俺の事情に巻き込むことになった。すまない」
急にロイドが謝ってきた。自分の生まれがここに来て厄介ごとになってしまい、それにリナが巻き込まれたと落ち込んでいるようだ。だがリナはそんなこと気にしていない。
そっと手に触れるとロイドはどこか疲れたような顔を向けてきた。
「巻き込まれたとは思っていないわ。それに、私の聖女としての事情であなたを巻き込んだことがあるでしょう。今でも巻き込んでいると思うわ。だから謝る必要はないの」
夫婦なのだからお互いに事情を抱えていても、それを一緒に支え合って乗り越えていければいい。リナはずっとロイドに助けられてきた。聖女であってもなくても、彼はきっとリナを受け入れてくれていた。だからこそ、ロイドの出生がどうであれ、リナも彼を支えたいと思う。
「巻き込みたくないから離縁したいとか言わないでね。私はここ以外に行く当てがないから」
国に戻るつもりは当然ない。新しい土地を探して旅をすることになるだろう。たが、ここに身を置いてしまった以上、離れることなど考えていなかった。
「そんなこと考えてない。ずっと俺の隣にいてくれないと困る」
ロイドが苦笑しながらリナの肩に額を押し付けてきた。縋るような様子に、なんだか子供っぽさを感じて可愛いなと思ってしまった。
くすっと笑うと、リナの考えが読めたのか、ロイドは顔を上げてどこか不満そうにした。だがすぐに顔を近づけてきてリナの唇を奪っていく。
子供っぽいとは思ったが、彼はリナの夫だ。触れてくる温もりをすぐに受け入れてしまう。
「このまま寝室に戻りたい気もするが、もうすぐアスロが朝食を持ってくるだろうな」
唇が離れるとロイドが眉を寄せて唸った。甘い雰囲気になっているがすでに朝を迎えている。朝食の準備も進められ、いつも通りにアスロが食事を運んでくるはずだ。
こんな場面を堂々と彼女に見せるのはさすがに恥ずかしい。
リナが少し慌てながらロイドと離れようとすると、彼はなぜか楽しそうに体を離していった。
それからあまり時間が経たずアスロが来た時、いつもと違う2人の雰囲気に気づいたのか、それでも聞いてくることはしないで首を傾げながら朝食の準備をしてくれることになった。




