思い出の母
話が終わると2人の間に静寂が過ぎていった。
リナは初めて聞いたロイドの過去にすぐに何かを言える気持ちにはならず、ずっと彼の手を握ることしかできなかった。
初めてここへ来てロイドと出会った時、ロゼストが少しだけ彼の話をしてくれた。その時に誰にも心を許すことのない雰囲気を持っていたと言っていたことを思い出す。
王竜にだけは心を開いていたが、それ以外は誰にも素っ気なく明らかに拒絶していることがわかった。
リナも第一印象は冷たい人に見えていたことも思い出した。だが話をして、一緒に過ごしているとそうではないこともわかったのだ。
辛い過去があっても、彼の心根は優しい。
それはきっと、どれだけ虐められても、父親が関心を持たなかったとしても、母親と仕えてくれた者たちがいたからなのだと思える。
「側妃様はその後どうなったの?」
ロイドは竜騎士になったことで国を出てしまった。残してきた母親はベッドから起き上がることさえできないほど弱っていたはず。息子ともう会えないことを知ったら悲しみの中最期を迎えたのではないだろうか。
そんな風に思って胸が重くなるのを感じていると、不意にロイドが笑ってリナを見た。
「大丈夫。側妃は今でも生きているよ」
「え・・・」
リナの考えがわかったようでロイドは重ねた手を優しく撫でてきた。
「正確にはもう側妃ではなくなってしまったんだが、俺が竜騎士になった時に王家の縁が切れたことで、側妃も何か思うことがあったのだろう。国王に廃妃にしてほしいと訴えたそうだ」
そんなことができるのだろうか。疑問に思っていると、彼はリナの考えを見越したように説明してくれた。
「グリンズ王国には側妃という存在があるが、それは世継ぎを確実に残すために作られた制度だ。今までも側妃を複数人受け入れた国王はいた。その中で男児を産めなかった妃はどうしても立場が弱くなる。そのため廃妃制度も作っていて、他に嫁ぐことが許されない代わりに、妃を退くことができる」
側妃とはいえ国王の妻であったことを考えると、利用価値はあると判断する者がいるだろう。そのため政略的に再婚させられる者も出ることを考えて、離縁した廃妃は再婚が許されず、どこかで隠居のような生活をすることになる。
「男児を産んだが、竜騎士となってしまった俺は王家との縁が切れてしまった。つまり側妃は後継者を失ったことになる。それを理由に廃妃を申し出たらしい」
ロイドはすでに竜騎士となっていたため、その後のグリンズ王国を調査してその事実を知った。
「今は?」
「俺の母の母親の子爵家。つまり俺の母方の祖母の家に住んでいる。実家である伯爵家にはいられなかったようで、子爵家で余生を楽しんでいるはずだ。その子爵家がフローネス子爵になる」
体調はそれほど回復したわけではないようで、ベッドにいる時間が多いらしいが、それでも側妃でいた時よりはずっと気持ちが楽になったのだろう。屋敷の中や庭を散歩できるほどには回復しているという。
「俺がフローネスを名乗っているのは、王家から遠く、母との縁を切れなかった証拠かもしれない。今は縁が切れて関係がないから、フローネスは勝手に名乗っているだけなんだが」
母親の実家ではなく、祖母の実家からもらっているのは、母親がそこにいるからだ。
すでにグリンズの人間でなくなったロイドだが、血の繋がったずっと見守ってくれていた母親との縁だけは心のどこかで切ることができなかった証になるのかもしれない。たとえ会うことがなくても、フローネスを名乗ることで、母の子供であるという証を密かに持っている。
「ヒスイは何も言わなかったから、これくらいは許してくれたんだと思っている」
視線を背後に向けると、こちらをじっと見つめている王竜がいる。ロイドの心情を王竜も理解してくれたのだろう。そのうえでフローネスを名乗ることに口出しはしてこなかった。
「ヒスイ様はきっと細かいことを気にしないのよ」
国との縁を切ったことで、ロイドが王竜に属する者となったと判断したのだろう。どんな風に名乗ろうとそれはロイドの問題で、ヒスイは気にしていないような気がした。
リナがそう結論付けると、王竜の尾が揺れた。それが肯定されているように思えて嬉しくなる。
「母とはずっと会っていないが、実は師匠が時々様子を見に行ってくれていたんだ」
「マルス様が」
マルスは騎士団に所属していたが、ロイドが王竜になった時と同じころ騎士団を辞めていた。今はあちこち国を旅しながら魔物討伐をしたりする冒険者のようなことをしている。
「師匠は俺にこっそり剣の指導をしてくれていたが、騎士団内では噂になっていたらしい。側妃の第3王子は騎士から剣を学んでいると」
騎士団の中でも正妃の力は強かったようで、側妃の警備などはいつも雑な扱いをされていた。ロイドとのかかわりも極端に少なかったため、ロイドが急に剣の腕を磨き始めると、誰もが剣を教えている騎士がいると噂していたのだ。そのためマルスは誰にも見られないように気を配りながらロイドに剣を教えていた。そこまでしてくれたのはロイドの件の腕を見込んでの事だったようだ。
「ばれることはなかったのね」
「師匠も上手く誤魔化せていたらしい。でも、立場が怪しくなってくると俺に剣を教える機会が極端に少なくなった。義母兄を打ちのめした後からは、ほとんど独学に近かった」
それでもロイドは剣の腕を上げていったのは一種の才能だろう。
時々顔を出すマルスから教えを乞う以外は、ずっと1人で剣と向き合ってきた。
「俺が竜騎士になったことを聞きつけて、側妃が廃妃となったらすぐに騎士団を辞めた」
マルスにも何か思うところがあったのだろう。それは本人にしかわからないが、騎士団を辞めたマルスは自由になった身で旅をしながら冒険者として身を立てていった。
「ここへ来た時は必ず母のことを勝手に話していく」
「ロイドが気にしていることをわかっているのでしょう。何も言わなくても近況を確かめてくれているのね」
母の様子を見てきてほしいと頼んだことは一度もなかった。マルスは勝手に行って様子を確認すると、ふらっとここへ来て勝手に話して帰っていく。
「きっと弟子として可愛がってくれている証拠よ」
ロイドがマルスを師匠と呼ぶように、マルスもロイドを弟子として愛情を持っている。だからこそ母親に会わないロイドの変わりを務めてくれている。
ロイドは複雑な顔をしていたが、やはり母親の話を聞けることはありがたいと思っているのだろう。竜騎士となったことで下手に他国との関りを持てない。国を監視して争いが起こらないようにする王竜の相棒であるロイドが他国に深く関わればバランスを崩す可能性がある。
「私がゼオルを通してギュンターの神殿と連絡を取っているのと同じことをマルス様がしていると思うのが一番しっくりくるわ」
リナも聖女として神殿との連絡は欠かせない。だが竜王国で暮らすことを決め、ロイドと結婚したことで、竜王国の竜騎士の妻がギュンターと深く関わりを持っていると疑われかねない。それを防ぐためにゼオルを隠れ蓑にしている。
ゼオルは竜王国の神殿の神官という立場になったが、元ギュンター王国の神殿の神官。ギュンターにいる元同僚との手紙のやり取りをしていることを装って連絡を続けていた。
母親との直接的なやり取りはないのだろうが、マルスを通してロイドは母親の安否を確認できている。
「いつか、まだまだ先になるかもしれないけれど、ロイドのお母様にご挨拶をしたいわ」
息子が結婚したことを知らない母親。それは少し寂しい気がする。
チャンスがあれば、会っておきたいと思った。
「・・・そうだな。いつか」
無理だろうと彼の横顔が物語っているが、母親への愛情は彼の中にもちゃんとあるとリナは思っている。
最初母親を『側妃』と他人事のように話していたが、廃妃となってからは『母』と言っている。無意識かもしれないが、そこに彼なりの愛情があると思った。
だからこそ、リナが会う時はロイドも一緒に2人で挨拶ができることを心から願った。




