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故郷と過去

買いたかった物を買えて機嫌よく部屋へと自分の荷物を抱えて歩いていたリナは、後ろから呼び止められて振り返った。

「こんにちは、マルス様」

「様はいらないよ。俺は貴族ではないし、気楽に話してくれた方がいい」

ロイドの師匠であるマルスが困ったような顔をして頭を掻きながら歩いてきた。

「ロイドのお師匠様なのですから、マルス様と呼ぶべきかと」

「そんなこと君が気にする必要はないさ。他の使用人たちと同じでいい」

マルスは神殿に滞在している客でもある。そんなに砕けた感じでいいのだろうか。彼は何度も神殿を訪ねて宿泊している経験があるようで、使用人たちも気さくに対処しているようだ。

だがリナにとっては初対面に近いうえに夫の剣の師という立場を考えると、あまり砕けた対応をしていいのか困ってしまう。複雑な心境を抱えたまま、とりあえずリナは話を先に進めることにした。

「私に何か御用ですか?」

話しかけてきたということは困り事でもあるのかもしれない。そう思って尋ねると、マルスは視線を少しの間彷徨わせてから口を開いた。

「リナさんと少し話をしたいと思ったんだが、時間はあるだろうか?」

「私と?」

「ロイドのことで確認したいことがあって」

夫のことを話題にされては断ることは出来ない。

「荷物を置いてきますから、談話室でお話を伺います」

一体どんな話をしたいのかわからなかったが、とりあえず話を聞くため、買い物をしてきた荷物を部屋へと持って行くことにした。その途中でアスロと会えたので談話室にお茶を用意してほしいと伝えておく。

談話室は王竜の間の近くにあり、街から来た人が休憩してもいいようにいつでも解放されている。だが来る人があまりいない神殿では、客人が来た時の対応場所として使うことが多かった。朝も使ったが、日中の今も神殿を訪れる街の人間がいないので、マルスとの話はできる。

リナも妹のミルがやって来た時に使わせてもらったし、ギュンターの第2王子で今は王太子指名されたバード=ギュンターが来た時にも対応した部屋だ。

狭い部屋ではあるがソファとテーブルが用意されていて、話をするだけならちょうどいい。

荷物を運んだリナは身だしなみをチェックしてから談話室へと向かった。

ロイドの剣の師匠ということで、やはり良く見られたいと思ってしまう。

「確認したいことと言っていたわね」

リナと話がしたいと呼び止めたマルスは、リナのことを聞きたいのではなくロイドのことで確認したいことがあると言っていた。本人ではなくリナに聞いてくるというのが疑問ではあるが、マルスと話すいい機会だろうと思うことにする。

「失礼します」

談話室へ向かうと、マルスはすでに部屋のソファに座ってお茶を飲んでいた。お茶を用意してくれたアスロも部屋に待機してくれていて、リナが入ってくるとお茶を出してくれる。

「ありがとう。あとは私が自分でやるから、アスロは仕事に戻って」

そう言うとアスロは一瞬マルスに視線を向けてから静かに頷いて部屋を出て行った。

「俺は随分と信用されていないようだな」

アスロが出て行った扉を見つめながらマルスがぼやくとリナは首を傾げた。

「え?」

「ロイドの師匠とはいえ、男と2人だけで部屋にいることが気に入らないようだ。出て行く時の視線で話があるなら手短にしろと物語っていたよ」

確かにアスロに部屋を出ていいと言った時、彼女はマルスを見たが、その一瞬だけで何を言いたかったのか理解できたということらしい。

「おそらく部屋の前で待機しているんじゃないかな?何かあればすぐに駆け付けられるように。時間がかかっているようなら声掛けをするつもりかもしれない」

扉を見つめたリナは、部屋の外に彼女がいるのかわからなかった。剣を極めているマルスだからこそ、気配で気が付いているのかもしれない。

「リナさんはみんなに大事にされている証拠だな」

マルスはそう言うとお茶を飲んで、どこかほっとしたような満足そうな笑みを浮かべた。

「ロイドも本当に君のことを大切に思っているようだし、あいつが心開ける相手が増えたことはいいことだ」

「心開ける相手ですか?」

ロイドは最初からリナに優しくいつも丁寧に扱ってくれている。

ここへ始めてきてロイドと出会った時、ロゼストも彼が心を閉ざしているようなことを言っていた。

最初からアプローチを掛けられていたようなので、気が付けなかったリナに問題があるのだろうが、心を閉ざしているイメージがなかった。

首を傾げて出会った頃を思い出していると、マルスのまっすぐな視線がリナを捉えていることに気が付いた。

「確認したいことがあると言っていましたね」

どうやら本題に入りたいようだ。頭を切り替えて口を開くと、彼は一度呼吸を整えてから話し始めた。

「君はロイドの過去をどこまで知っている?」

「ロイドの過去ですか?」

「あいつがグリンズ王国出身だということは知っているよな」

「はい」

ロイド本人から話を聞く前に、ロゼストから聞いたことがあった。だが彼の過去に関して、リナは深く本人から聞いたことがない。時々部屋で話をするときは、竜騎士になってからの話ばかりで、ここへ来る前の話はほとんど話すことがないし、ロイドが積極的に話すことがないのでリナも無理に聞くようなことはしなかった。婚約から結婚までの期間が短かったが、夫婦となってからゆっくりお互いのことを知っていくのもいいと思っている。

そんな風に考えていたのだが、マルスはロイドの過去をリナが知っているのか確認してきた。

「グリンズでどんな生活をしていたのか、話を聞いたことはあるのか?」

「竜騎士になる前のお話はロイド自身が話してくれることがありませんから、私も聞くことはしてこなかったです」

敢えて話さないことなら無理に聞きだすことをしていない。リナもギュンターの聖女という隠れた肩書を持っている。いろいろと事情もあって竜王国へ来たのだが、ロイドは何も言わずにリナを受け入れてくれていた。水面下ではいろいろと調べていたようだが、そのおかげで聖女の問題を解決できたのだから、感謝するしかない。

だが、リナはロイドのことを調べられる力も協力者もいない。彼が直接話してくれないと何もわからないと言ってもいいだろう。それでもリナはロイドに過去を無理に問うことはしないでいる。

「聞きたいと思わないのか?」

「気になる時はあるでしょうね。その時は質問すれば答えてくれると思います。それ以外で根掘り葉掘り聞くようなことはしないつもりです」

「夫婦なのに、夫のことを何も知らないで妻だと自負しているのか」

その言葉は質問というより、マルスの率直な感想のようだった。お互いのことを何も知らない夫婦が皆に認められていていいのかと疑問に思ったようだ。

わずかに心の奥に疼きを感じた。鈍い痛みが胸の奥に広がっていく。

ロイドが話してくれるなら聞くつもりでいる。楽しい過去なら気楽に話してくれると思うが、彼は竜騎士になる前の話を敢えてしないようにしているように思えた。それが夫婦として問題だと言われてしまえば、返す言葉がなかった。

待っていてはいけないのだろうか。そういう夫婦は夫婦として成り立たないと否定されてしまうのか。

マルスは2人の結婚に祝いの言葉を贈ってはくれていない。それは彼の中でリナ達を夫婦として認めていなかったということなのだろう。

そんな疑問が頭の中を駆け巡る。貴族令嬢として教育を受けて来たリナは、結婚相手の事情を深く追求するような妻にならないように教育を受けていた。どんな相手だろうと夫の言葉に従い、夫を立てることが優先される。余計なこと言わずに隣で笑っていることも夫人の務めである。

その教育の名残がロイドの過去を聞いてはいけないということに繋がったのかもしれない。

平民なら妻である誰もが口出しすることが当たり前なのだろうか。そんな話を聞いたことがないため、頭の中が混乱してしまう。

「私の行動は間違っているということですか?」

何も聞かないお飾りの妻だと思われたのかもしれない。質問すると、マルスは気まずそうな顔をして頭を掻いた。

「別に夫婦それぞれだと思うが、ロイドはグリンズ王国でいろいろあった身なんだよ。俺から直接話すのはどうかと思うからロイドから聞いてくれ。それと、俺は君たちが結婚したことを認めていないわけじゃない。だからそんな顔をしないでくれ」

どんな顔をしているというのだろうか。首を傾げると、自覚していないのかと言わんばかりにマルスがため息をついた。

「俺が君をいじめているみたいな顔をしているんだよ。俺はただロイドのことをしっかり理解しているのか確かめたかっただけだよ」

認めているとは言っているが、指摘してくる時点で否定されていると思うのは普通ではないだろうか。

言っていることと行動がちぐはぐな気がしてくる。認めているのなら祝いの言葉だけでも欲しかった。

そんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえた。

返事をしようとして、喉が張り付いたようにすぐに声が出てこない。お茶を飲んで喉を潤して返事をしようとすると、それよりも先に扉が開かれた。

「人の妻と2人きりで一体何の話をしているんですか?」

入ってきたのは話題になっていたロイドだった。

王竜との巡回を終わらせてそのまま来たのか、兜を脇に抱えて睨むような視線を師匠に向けてくるロイド。今まで話していた内容を知っているかのようだ。

その視線を受けてマルスが両手を上げた。

「ちょっと確認してみたいことがあっただけだよ。もう話は終わったから俺は部屋に戻る」

何も手を出していないとアピールするように軽く両手を振って立ち上がる。

ロイドが体をずらして扉から離れると、マルスは強い視線を意に返さず部屋を出て行った。

入れ替わるように入ってきたロイドは、すぐにリナの隣へと腰を降ろして顔を覗き込んできた。

「大丈夫か?」

ロイドにもいじめられているひどい顔に見えたのかもしれない。心配そうに声を掛けてくる。

「大丈夫よ。マルス様と少しお話をしただけだから」

時間にするとそれほど長くない話だった。だが彼が出て行きロイドに声を掛けられると、一気に疲れが体に伸し掛かってくるのを感じた。マルスとの会話に緊張していたのもあるかもしれないが、やはり内容がリナの気持ちをかき乱しているようだ。

大丈夫だとは言ったものの、すぐに立ち上がって部屋に戻ろうという気力が湧かない。

「師匠に気を遣う必要はない。放っておいても数日すれば勝手に出て行く人だから」

子弟としては随分雑な扱いをしているような気もするが、これが彼らの関係なのかもしれない。

「・・・ロイドのことを話していたの」

気にするなと言われたが、マルスと話した内容はリナの頭の中にずっと残っていて、そこで感じたものが胸の奥に渦巻いてしまっていた。それを吐き出すように言うと、ロイドは不思議そうな表情をした。

「俺の話?」

どんなことを話したのか彼は知らない。現れた時は盗み聞きでもしていたのではと思ったが、完全に聞こえていなかったようで、自分が話題になっていたことに首を傾げている。

「ロイドの竜騎士になる前のことを、私が知っていて理解しているのかと」

彼が話してくれるまでリナから追及するようなことはしてこなかった。無理に聞き出すことをしたくなかったし、彼を信頼しているからこそだったのだが、周りからすると不審に思われることだったようだ。

これだけでリナが何を言いたいのかロイドは理解したようだった。同時にマルスがリナに疑いの目を向けて否定したのだと悟った。

「すぐにでもここから追い出した方がいいな」

「え?」

低い声が聞こえてきて顔を上げると、明らかに怒りを露わにしたロイドがいた。だがすぐに冷静を取り戻すように瞼を閉じると、誰にでもなく口を開いた。

「・・・わかっている。俺の失態だ」

急に会話が成り立たなくなったことで、王竜と話しているのだと気が付いた。

「あぁ、反省するべきは俺なのだろう。理解しているから、そんなに責めてくるな」

困ったような顔をした後、ロイドと視線が合った。

「リナ」

「はい」

「師匠のことは後でこちらで対処する。それよりも先に君に謝るべきだとヒスイに指摘された」

「謝る?」

話がよくわからない。首を傾げると、ロイドの手がリナの頬に触れる。

「俺の過去をちゃんと話しておくべきだった。リナの事情を俺は知っているのに、俺のことを君に話そうとしなかった。そのことを謝罪したい」

「それは、ロイドが話すべき時に話してくれると思っていたから」

時に任せていたのはリナなのだ。彼が謝ることは何もない。

「いいや、俺は君に甘えていた。何も聞いてこないことで、話さなくてもいいのだと勝手に結論付けてしまった」

「それなら、私も話を聞きたいと言うべきだったのよ。そうすればロイドは話してくれたでしょう。それを後回しにしていたのは私自身だから」

話したいと思える時が来たら話してくれる。その信用でリナは何も聞かなかったが、それが本当に信用していると言えるのか、マルスに指摘されると返す言葉がない。

リナにも反省すべき点はあるのだ。そう思いながら頬に触れている手に自分の手を重ねた。

「お互いに謝っていても埒が明かないな。ちゃんと話をしよう。聞いてくれるか?」

ゆっくりと顔を近づいてきて額と額が触れ合う。近い距離に恥ずかしさを感じることなく、彼が側にいることが嬉しいという感情の方が大きかった。

「はい」

返事をして2人で微笑む。

マルスは、ロイドの過去はいろいろあったと言っていたが、彼の口からどんな話が出てくるのか想像もできない。それでも話を聞いて受け入れる準備は出来ていると思っている。

顔を離すと彼が少し寂しそうな顔をする。顔を離したからか、これから話す内容への不安なのかわからなかったが、ロイドに大丈夫だと伝えるつもりでリナは手を伸ばすと、指先でゆっくりと彼の頬を撫でる。

驚いた顔をしたロイドだったが、どこか力が抜けたように笑うと立ち上がった。

「ヒスイのところで話をしよう。王竜のいる場所で、ちゃんと君と向かい合って話がしたい」

リナも聖女のことを話す時王竜が側にいた。あの時の再現のつもりなのか、ロイドがそう提案してきた。それを受け入れるように頷くと、差し出された手を取って2人は王竜の間へと行くことにした。


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