心穏やかに
第2王子のバード殿下に手紙を渡すと、彼はすぐに神殿を立ち去った。
日のあるうちに街に戻らなければ神殿に泊まることになる。足止めを食らう前に急いで出発したのだ。
街に続く道へと姿が見えなくなるまで見送ったリナは、神殿の中に入るとホールにロイドが立っていることに気が付いた。
「ロイド様」
「王子は帰ったのか?」
「たった今お帰りになりました」
神殿にバードが訪ねて来たという報せでももらったのか、王竜とともに空へ行く時の恰好をしていた。左脇には竜の兜も抱えている。
「無事に話が出来たのか?」
王族が訪ねて来たからというより、リナを心配して急いで戻ってきてくれたようだ。
「大丈夫でした。バード殿下はギュンターで起こった聖女選定の今の状況を報告しに来てくれただけですから。それに、私がここに居ることを国王陛下も承諾しているということです」
笑顔で答えるとロイドはほっとした表情をした。とても心配してくれたことがそれだけで伝わってくる。
「年に1度の祈りを神殿で行わないといけませんが、それ以外はギュンターに行く必要はありません」
聖女が決定したと神殿から国民に報告をされるとき、聖女の姿もお披露目されるのだが、それはしないことになるだろう。名前も顔も公表されることなく聖女が存在するということだけが公表される。
きっと国民は最初戸惑うだろうが、結界が無事に働いていることが神殿から発表され平和が続けば問題ないと思ってくれるだろう。
他の聖女としての仕事はすべて神殿がカバーしてくれる。リナは何の心配もせずに竜王国で暮らしていけばいいのだ。
これでやっと落ち着いた日々を過ごすことができるようになると思うと、心からほっとすることができた。
すると、ロイドが近づいてきてそっとリナの頬に手を伸ばした。
指先が労わるように頬に触れると、それを許すようにリナは目を閉じた。彼の隣にいられる安心感が体の中に満ちていく。
目を開けるとさらに近いロイドの顔にドキリとしたが、彼はそのままリナを抱きしめて腕の中に閉じ込めてしまった。
すぐにでも離れられそうな優しい抱擁だが、突き放すつもりはない。されるがままロイドの腕の中にいると優しい手つきで背中を撫でられる感触があった。
「・・・よかった」
心の声が漏れたかのような呟きに心配させたお詫びを込めて、リナもロイドの背中に手を回す。
2人で抱き合う静寂はお互いの体温と心音が伝わってきて恥ずかしさよりも愛おしさが勝った。幸せを噛みしめるようにロイドに縋っていると、ゆっくりと彼が体を離した。離れていく体温に少し寂しさを感じながらも顔を上げると、先ほどよりもさらにロイドの顔が近いことに気が付く。
反射的に目を閉じると唇に吐息がかかるほどの近い距離を感じた。
触れ合いを期待して待っていたが、それ以上ロイドが近づいてくることはなく、数秒で離れていく気配がした。
不思議に思って目を開けると、ロイドはリナではなく別の方へと視線を向けていた。
同じ方へ顔を向けると、ホールから各部屋へと続く廊下の先に一か所だけ扉が少し開いていて、そこから顔が3つこちらを覗くように出ていた。
驚きに固まると、3人と視線が合う。
「もう、ロイド様は大事なところで気が付くんだから。こっちの事なんて気にしないで続ければいいのに」
「仲睦まじくていいではありませんか。ですが、ホールでの行為は見せつけていますよね」
3人が串団子のように連なって顔を出している。下から順にアスルが口を尖らせながら言うと、ロゼストが微笑ましく言う。一番上のスカイは黙って同意するように頷いていた。
見られていたことに途端に恥ずかしさが込み上げてくる。とにかくロイドから離れた方がいいだろうと一歩下がろうとすると、彼は逆にリナを引き寄せて腕の中にさらに引き寄せた。
胸に顔を押しつけるような形になって、ロイドの規則正しい心音がはっきりと聞こえてくる。それがリナの心を落ち着かせてくれた。
「お前たちは暇なのか。仕事があるだろう」
冷静な声でロイドが指摘すると、すたすたと足音が遠ざかっていくのが聞こえた。何も言わずに退散していったようだ。
「それからタイト、お前もだ」
「・・・夕食の買い物に行ってきます」
3人とは別の方向から料理担当のタイトの声が聞こえ、軽い足取りで立ち去っていくのがわかった。どうやら彼も別の方向からのぞき見をしていたらしい。
神殿にいる全員に見られていたのだと理解すると落ち着き始めていた心臓が再び早鐘を打ち始めた。そして今度からは場所を考えて行動しないといけないと反省することとなった。
「とりあえず、詳しい話を部屋で聞こう」
全員いなくなったことを確認したロイドが体を離すまで、リナは羞恥と反省を繰り返していた。
「そうですね。バード殿下の話をしましょう」
第2王子が帰ったという報告をしただけで、より詳しい内容の話をしていない。今後のリナの神殿での生活や、聖女としての役割など相談しなければいけないことはある。
いつまでも恥ずかしがっている場合ではないのだ。
気を引き締め直していると、そっと手が差し出された。ロイドがエスコートしてくれるようだ。
手を重ねると彼の優しい微笑みが向けられる。美しい顔での微笑みは心臓に悪い。彼自身そのことを知っているのだろうか。今度指摘してみようかと思いながら、彼に促されるままリナは歩き出した。




