未来の種
「聖花を咲かせる?」
「聖花は聖女でなければ咲かせることはできません。そして、咲いた聖花は1か月後の審判を受けた後に枯れるのですが、その時に聖花の種を落としてくれます」
種はリナも見たことがある。黒い小さな種は息を吹いたらどこかに飛んでいきそうなほど小さく、撒くときには緊張した。
「種は聖女選定が行われるたびに神殿で保管されている物を使います。そして新しい聖女が誕生すると同時に、咲かせた聖花から次の聖女選定のための種を回収することになっています」
聖花から落ちる種は10粒程度。それだけでは当然次の聖女選定に使う量には足りない。そのため、聖女となった者は、その後も神殿で聖花を咲かせ種を回収する役目を持っていた。
「聖女選定では多くの令嬢が神殿に呼び寄せられていましたよね。あの人数分は最低でも必要になりますね」
リナがいた時も50人以上の貴族令嬢がいたように思う。すべての令嬢を把握しているわけではないが、できる限り国中の令嬢を集めたのではと考えていた。聖女選定に選ばれる令嬢は貴族であり、20歳前後と言われている。その中で聖花を咲かせることができなければ、他の貴族令嬢や平民の中で相応しいと思われる女性を神殿側が選んで呼び寄せるのだ。
今までの歴史の中でも貴族令嬢の聖女は多いが、ごくまれに平民の中から選ばれることもあったと聞いたことがある。
「今回使われた種は、前聖女が残してくださった種です。数は少しですがまだ残っています。でも、次の聖女選定には足りません。当然今回の聖女様に種を残してもらう予定でいましたから」
それがリナは国を出てしまい、ギュンターに戻る気もない。これでは聖花から新しい種を生み出してもらうことができなくなった。
「他の神官たちはリナ様を連れ戻すことだけを考えているようでしたが、僕は聖花の種を残してもらえるようにお願いをするつもりで来ました」
リナの説得に駆り出されたゼオルだが、連れ戻す手伝いよりも未来の聖女のための種を作ってもらうことの方が重要だと思ったようだ。
「お願いです。種がなければ次の聖女を探すことができなくなります。リナ様で聖女を終わらせることはしたくありません」
聖女を探す大事なものだ。リナの寿命が終われば、新しく聖女の力を持つ令嬢が生まれる。その時に判断する材料が必要になる。
「私しか、聖花の種を残せないから、あなたはここへ来たということですね」
神官たちに脅されて言いなりになっていたゼオルだが、聖女の存在よりも聖花の種を残すことに重要性を置いた彼なりの抵抗なのかもしれない。
「連れ帰って強制的に聖花を咲かせてしまうという考えもあったと思うのですが」
リナの質問にゼオルは首を横に振った。
「無理やり聖女を利用しようとして聖花が美しく咲くという保証はありません。それに種も落ちるのかわかりません。そんな不安の中より、リナ様が選んだ道を否定することなく、聖花の種をもらい受ける方が、きっと安全です」
「私が断れば、種さえも手に入らないということは考えていないのですか?」
「それは・・・」
考えていたようだ。ゼオルは目を泳がせて俯いてしまった。
「その時は・・・残った種で次の聖女を探すしかありません」
リナの説得を試みることも考えていたのだろうが、ギュンターに戻らないと宣言しているほどの覚悟を持ったリナに種だけ欲しいと言って聖花を咲かせてもらえると甘く考えてはいないようだ。
「ひとつ、確認したいことがあるのですが」
今までの話をしていて気になることがあった。
「なんでしょう」
「これまでの神殿でのことは、大神官様はご存じですか?」
ギュンターの神殿には下位神官と上位神官がいる。その神官たちを取りまとめる神官長という役目の神官が7人いて、その上に神殿全体を取りまとめる大神官が1人いる。今回の聖女選定では大神官は姿を現さず、下位と上位神官たちが令嬢の世話をしていた。神官長は最初のあいさつで顔を見ただけだ。
「大神官様はご高齢ということもあり、今回は神官長を中心に聖女選定を執り行うようにと言われていました。大神官様へは定期的な報告だけで、どこまで詳しい情報が耳に入っているのかわかりません」
リナの聖花がすり替えられたこと、偽聖女という烙印を押されて国外追放になったこと、そしてリナが本物の聖女であり竜王国へ逃げてしまったため連れ戻そうとしていることなど、報告は偽装されている可能性があった。
「今回のことは大神官様は何も関与していないと考えていいのですね」
聖女を自分たちの思い通りに操ろうとしたのは一部の神官だけ。大神官はその魂胆に加担することはなかったのかその確認をしたかった。
「大神官様が聖女を操って好き勝手するような方ではありません」
はっきりとした言葉に大神官への信頼が感じられる。聖女を利用したいは一部の神官だけで、頂点に立つ大神官は不正をするような方ではなさそうだ。
「そうですか。わかりました」
そう言うとリナはロイドに視線を向けた。
「話は終わりました。あとのことはお任せしてもいいですか?」
「彼らは明日にでもギュンターに送り返す。今夜はこのままになるだろうが、うるさいようなら黙らせるから心配しなくていい」
「ま、待ってください。聖花を、新しい聖花の種を作っていただくことは」
ここまで話をしたのだから聖花を咲かせてくれると思い込んでいたのだろう。ゼオルは驚いた表情をした後に縋るように訴えてきた。だがリナはそれに応えることなく部屋に戻るために歩き出した。
「リナ様、聖女様!」
ゼオルの声を背に、振り返ることなく歩みを進めていると、隣にロイドが歩調を合わせて寄り添うように来てくれた。神官たちは使用人とロゼストに任せたようだ。
「部屋まで送る」
「・・・ありがとうございます」
その返事がリナにとってはやっとだった。
体力はまだ大丈夫だと思えるが、精神的にものすごい疲れを感じていた。神殿側というより一部の神官たちの思惑で振り回された聖女選定。それに便乗するように妹のミルもリナを嵌めた。
ミルが訪ねて来た時も追い返して疲れを感じたが、今回はそれ以上に心が疲れてしまったことを感じていた。
ホールを出て部屋までの廊下を歩いていても、どこか足がふわふわとしているような感覚があった。
「リナ」
声を掛けられて振り向こうとした時、体が大きく傾いた。足を踏ん張ろうとしたが膝が笑っているのか力が入らずに崩れるように床に倒れそうになる。だが腕を伸ばしてきたロイドがリナの体を支えてくれたことで、倒れることを免れた。
「無理はするな」
優しい声とともに足が床から離れ、ロイドの腕の中にリナは簡単に収まってしまった。
「ロイド様」
「部屋までこのままだ」
有無を言わさない言葉にリナも降ろしてほしいとは言えなかった。再び自分で歩くとしても、足に力が上手く入るか不安だったのもある。
「リナ」
もう一度声を掛けられて顔を上げると、思っていた以上に顔が近かった。だが、ロイドの労わるような優しい瞳に顔を逸らすことはできない。
「泣きたい時は泣いていい。辛いと思ったら辛いと言えばいい。君は1人じゃないことを忘れるな」
「え?」
「俺が側にいる。ヒスイだって気にかけているし、神殿で働く者たちはリナの味方になりたいと思っている」
聖女選定の真実を知り、衝撃を受けていたリナは周りがどんな気持ちでリナを見守っているのかわからなかった。ロイドの言葉に、心配をかけているのだとやっと気が付けた。
「婚約者が苦しんでいるのに、放っておくほど俺は薄情な人間になったつもりはないぞ」
顔が近づいてきたかと思うと、額にキスが落とされた。
驚いたが嫌だとは思わない。それよりもリナに寄り添おうとしてくれる彼の気持ちが嬉しかった。
言葉に表すことができず、リナはロイドの首に腕を回して抱きついた。
「・・・ありがとう」
込み上げてくる感情が何なのかよくわからない。心が傷ついて悲しいように思うが、ロイドの優しさに嬉しさも感じる。泣きたいのか笑いたいのかわからない感情が押し寄せてきていた。
「今日はもう何も考えずに休んだ方がいい。君が眠るまで側にいるから」
「結婚前の男女が同じ部屋にいるのはよろしくないのではありませんか?」
「同じベッドで寝るわけじゃない。特に問題ないだろう。リナが嫌だと言うならやめておくが」
ギュンターではたとえ婚約者でも結婚前に男女が同じ部屋で一夜を過ごすのは良くないとされている。ロイドは何とも思わないのかさらりと言い返してきた。彼の祖国では問題視されないのかもしれない。
「それに、結婚前の婚約者がこんなに密着している時点で、部屋がどうと言うこともないだろう」
そう言われて抱えられたまま抱き合っている今の状況に、急いで離れようとしたがロイドがリナを降ろしてくれるわけもない。わずかな距離が開いただけだった。
「そんなに慌てなくても、部屋に着くまでだ」
顔を赤くしているリナとは対照的にロイドは落ち着いた足取りで部屋へと歩みを進めていく。これは完全にからかわれてしまったと思ったリナだが、反撃できる状態でないこともわかってしまったため、大人しく運ばれるしかなかった。
その後本当にベッドで寝着くまでロイドが側にいてくれたことを恥ずかしく思いながらも嬉しい気持ちもあったリナはその夜を穏やかに眠ることができた。




