対面
部屋に入るなり、先に待っていたミルがソファから立ち上がった。
ロゼストが小さい応接室があると言っていたが、言葉通りにあまり人が入れない広さの部屋だった。3人掛けのソファが向かい合って置かれ、真ん中にローテーブル。部屋の奥に窓があるだけで余計なものが置かれていない。それなのに入った瞬間に狭いと思うのは、リナが使っている部屋と比べてしまったからかもしれない。
王竜の間のすぐ近くにある部屋は、神殿を訪れた人が少し休憩する場所として開放されている部屋でもあるという。リナが来た時はずっと王竜の間で王竜を眺めていたため、この部屋を利用することがなかった。
「お姉様」
立ち上がったはいいが何を話したいいのかわからなかったようで、ミルは迷いながら姉を呼んだ。
「お久しぶりです。元気そうでよかったですわ」
リナは返事をすることなく向かいのソファに腰を降ろした。正直どう答えることが正解なのかわからなかったため、無言を貫いた。貴族令嬢としては挨拶を返すべきなのだろうが、すでに貴族籍を抜け、目の前にはリナを陥れた張本人。挨拶をする理由がなかった。
静かに座ったリナに戸惑うような表情をしながらもミルも座る。
少しの間静寂が流れた。
目の前のテーブルには何も置かれていない。
客であるはずのミルにお茶の一つも出さないのは、この神殿にいる誰もがミルを歓迎していないと表している。つまり皆がリナの味方なのだと暗示しているように思えて、何もないテーブルを見つめて口元が自然と綻んだ。
安心感が胸の奥に芽生えると、リナはまっすぐにミルに視線を向けた。
「私にお話があるようですが」
「えっと、そんな畏まった言い方しないでお姉様。私はただお姉様を迎えに来ただけなの」
「迎えですか?」
今は平民のリナと侯爵令嬢のミルという立場に違いがある。姉妹であっても今まで通りに話すことはしなかった。
偽聖女として追放する原因を作ったことへの謝罪ではなく、迎えと言い出したことで頬が引きつりそうになった。
「何のことでしょうか?」
敢えてとぼけた質問をすると、ミルは突然目に涙をためて訴えかけるように口を開いた。
「お姉様が国を追われたことは残念に思っています。あの後殿下に口添えしてお姉様の罰を軽くしてもらえるように訴えました」
目の前にいるこの女はいったい何を言っているのだろう。リナの中で疑問が生まれると同時に心がどんどん冷えていくのがわかった。
「お姉様の国外追放は取り消して、せめて聖女を偽った償いとして私の補佐をしてもらえるように頼み直したのよ」
リナが神殿を追い出されるときに、神殿に残ってミルの補佐をさせたいと訴えていたことを思い出す。このままでは飼い殺しにされると思ったリナは咄嗟に殿下が出した国外追放という判断を受け入れた。
その追放処分を取り消して、再びミルの補佐にしようとしている。
どこまでもリナを利用することしか考えていない発言だ。
それでも不思議と心は冷えても怒りは湧き上がってこなかった。すべてを受け入れ国を出ることを決断したときに、ギュンターでの出来事は過去のものとして整理をつけていたのかもしれない。
だからこそ、怒りよりも冷静な気持ちがミルの提案を拒否しようとしていた。
「あの時私は殿下の判断を自らすべて受け入れました。それはあそこにいた大勢の人が証明してくれるでしょう。ですので、今さら国に戻るつもりはありません」
国外追放を言い渡されてリナが拒否したうえで追い出されたのなら、戻るチャンスはあるのかもしれない。だがリナはすべてを受け入れて自ら国を出た。いまさら戻ってきてもいいと言われても、はいそうですかと受け入れるわけがない。
「すでに私は竜王国に生活の拠点を移しました。いまさら戻れると言われても戻る理由がありません」
聖女の補佐に慣れると喜んで戻ると、目の前の妹は本気で思っているのだろうか。
感情的にならず、諭すように話しを続ける。
「そ、そんなこと言わないで。ギュンターはお姉様の生まれ故郷でしょう。侯爵家にも戻れるように私からお父様に言っておいたから」
リナの話を聞かず偽聖女という情報だけを信じたブラウテッド侯爵は、あっさりリナと縁を切って侯爵家から追い出した。
偽聖女が生まれた家という汚名から逃げるための手段だったと思っている。ミルが泣きながら縋ったのかもしれないが、あいにくあの家に戻ることも考えていなかった。
「私の話も聞かず、簡単に切り捨てた侯爵家にいまさら戻るつもりはありません」
きっぱりと断りの言葉を述べていくが、ミルは諦める気配を見せなかった。
そもそも自分が本物の聖女だという前提で彼女は話をしている。それがどれだけ愚かなことなのか気づこうともしていないことに、リナは内心落胆するしかなかった。
いつまでも平行線をたどりそうな話に、リナは聖花の話を持ち出すことにした。
「聖花が枯れたそうですね」
その言葉に何とか言いくるめようとしていたミルの動きが止まった。
「本来聖花は枯れるものではありません。それが枯れたということは咲かせたと主張した聖女は、聖女ではなかったということを意味します」
聖花は聖女の力を注がれることで美しく咲き続けることができる。その状態を1か月以上保つと、神殿での祈りを捧げる儀式へと移ることができる。王都を囲う結界が聖女の祈りで強化されれば正式に神殿から聖女としての認定を受けるのだ。
聖花が枯れた時点でミルに聖女としての資格は失われた。神殿側も王家にばれないように隠し続けているが、1か月が過ぎれば聖花をもう一度見せなければいけない。何事もなかったように聖花がもう一度咲かせておくためには、本物の聖女であるリナを補佐にして聖花を維持させることが必要だ
「ま、まだ正式な発表はしていないわ。誰も聖花が枯れたなんて知らない。発表される前に聖花がもう一度咲き誇れば問題ないのよ」
なぜ聖花が枯れたことを知っているのかという問いをする余裕がなかったのか、彼女は簡単に枯れたことを認めてしまった。彼女は自ら偽物聖女であることを告白していることに気が付いていない。
「ということは、殿下はまだ知らないということ。殿下に偽りの報告をし続けるつもりなのですね」
第1王子はミルと恋仲にある。まだ正式な婚約者になったわけではないが、周囲は薄々気が付いていた。
殿下はミルの言うことを信じて行動している。リナの話など最初から聞く耳を持っていなかった。
リヒト殿下に知られる前に聖花を咲かせておけば、ミルはまだ聖女でいられる。
勝手にぼろを出してくれるので、なんとなくギュンターの状況がわかってきた。
王家はまだ何も知らず、リヒト殿下もミルを聖女だと思っている。その状態で密かにここへ来たのなら、神殿が力を貸している可能性が高い。侯爵家も協力しているかもしれないが、リナが本物でミルが偽物だということは知らないだろう。ただ可愛い娘の願いを父親が叶えて動いていると考えたほうがいい。
「神殿と手を組んで、自分が聖女になれるように仕立て上げる。そのまま第1王子の婚約者となれば将来の王太子妃にもなれる。殿下は言うことを聞いてくれるお人形状態なら、国の運営にも口を挟めるというのが神殿の狙いかしら」
この先どうなっていくのか予測をしながら口にしていくと、ミルが1人でこんな計画を立てるとは到底思えないおそらく。計画を提案したのは神殿側。ミルは何も考えずに計画に乗った気がした。自分の好きなように行動できればミルは他のことなど気にしない。だから何度もリナが諭しても聞く耳を持たず、他の者に縋ってリナが悪者になっていた。
「お姉様、何言っているの。私はただお姉様が心配で戻れるように尽力しているだけ・・・」
「先ほども言いましたが、私はすでに竜王国に身を置いてこの国の住人となりました。いまさらギュンターに戻りたいとは思っていませんので、聖女の補佐をしたいとも思っていません」
言葉を遮って言い切ると、ミルの顔色が悪くなったのがわかった。ここまで拒絶されることを想定していなかったのだろう。リナを蹴落としておきながら平然と戻って来いと言える彼女の神経を疑いたくなるが、おそらくすべて神殿の指示で動いているのだろう。
そう思えば強引な話しの進め方も理解できなくはない。
「ひどいわ、お姉様。私たち2人だけの姉妹なのにもっと一緒に助け合ってもいいじゃない」
顔色は悪いがまだ続けるつもりのようで目に涙をためて訴えるようにしてきた。
こんな演技に騙さるリナではない。
あまりにもめちゃくちゃなやり方にいい加減話を打ち切りたいなと思うと、自然とため息が出た。それと同時にミルの肩がびくりと跳ねる。
怯えるような雰囲気が現れたことで、一気に畳みかけることにした。
「ミル=ブラウテッド侯爵令嬢。あなたは自分が今でも聖女であると主張するのですよね」
「殿下は私を聖女として認めてくれているわ」
「でしたら、こんなところにいないで聖女として自分の仕事を全うしてはいかがですか?」
「え?」
聖女として認められていると主張するのなら、そのまま聖女としての仕事をすればいい。
「聖女だというのなら聖花を咲かせられるでしょう。美しく咲かせ続け、王都の結界を強化すれば誰も文句は言いません。どうぞ私に構わず聖女としての役目を全うしてください。私を迎えに来る必要などどこにもありません」
「だ、だから、私の補佐として国に戻る提案を」
「戻るつもりはないとはっきり言いましたが、ご理解できなかったようですね。何度も言いますが、私はすでに竜王国の住民。ギュンターに戻るつもりは一切ありません」
厳しい言い方だがはっきり言わなければいけない。ここでミルとの繋がりも切る必要がある。
「すべての提案を受け入れるつもりはありませんので、どうぞ国にお帰りください」
口元がわなわなと震えているが、ミルはそれ以上何かを言い募る言葉を持っていなかったようだ。何度か口を開くが声さえ出てこない。
話は終わったという意思表示も込めて立ち上がるとそのまま部屋を出て行こうとする。
「お姉様!」
ミルの叫びに足を止めるが振り返らなかった。
「私を1人にするなんてひどいです」
この期に及んで何を言っているのだろう。ため息が出そうになった。それを飲み込んで無言で部屋を出て行こうとしたが、扉に手を伸ばした瞬間、扉が勝手に開いた。
「話は終わったのか?」
現れた人物にリナは一瞬言葉を詰まらせた。
そこにいたのは王竜と一緒に空へと出かけて行ったはずの竜騎士ロイドがいた。




