ブラウテッド侯爵家
部屋へ戻ったリナは最初に部屋の中央に置かれた丸テーブルに芽も出ていない聖花の鉢植えがあることを確認した。やはりミルの聖花を移動させていたのだ。
それを無視して荷物をまとめるとすぐに神殿を出る。その足で実家であるブラウテッド侯爵家へと向かった。
国外追放を言い渡されたのはつい先ほどとはいえ、偽聖女という烙印を押されたのだ。おそらくすぐにブラウテッド侯爵家へ報せが届けられているだろう。
父がどんな反応をするのか予想しながら戻ったリナは、屋敷に入った瞬間誰も出迎える気配がないことに気が付いた。
「使用人にも指示が出ているのね」
偽聖女となったリナへの父からの対応だろう。使用人たちは一切リナに関わってはいけないと指示が出ているようだ。
いつもなら玄関先で荷物を運んでくれる者がいるのだが、今回は自分で部屋まで運ばなければいけない。
それほど荷物が多いわけではないので軽いカバンを持ったまま自分の部屋へと行くことにした。
途中数人の使用人を見かけたが、誰1人としてリナに気が付いても声をかけることなく足早に去っていく。
徹底しているなと思いながら自室へと戻ったリナは、荷物を置くとクローゼットを開け放った。
侯爵令嬢ということでドレスの数はそれなりにあると思っている。だがあまり派手な衣装はなく、シンプルで妹のミルと比べれば地味なドレスばかりだ。甘え上手なミルは自分が欲しいと思ったドレスは父に甘えながら頼むという手法で買い漁っていた。
彼女のクローゼットは今や入りきらないほどの量があり、派手で華やかな物ばかりだ。
母親を病気で亡くしてから、父は幼かったミルを甘やかすようになり、使用人たちも少しくらいの悪戯や失敗を注意することなく笑って許すようにしていた。
そのため妹はすべてが自分の思い通りになるものと思い込んで育ってしまった。
侯爵家の長女という立場で厳しく育てられたリナは、母親を亡くしてからミルに対して姉として、母代わりとして厳しく接することがあった。そのたびに妹は泣いて父に縋りついていたので、後でリナが父から怒られるという謎な状況に陥っていた。
そんなことを繰り返しているうち、リナはミルに対して口うるさく言うことを止めてしまった。
その代わり時々侯爵家の令嬢として、貴族としての立場と行動、責任があることだけは忘れるなと言っていた。
「まったく響いていなかったみたいね」
今回の聖花のすり替えは、聖女という立場を軽く見ている証拠でもあっただろう。
リヒト殿下との仲は深まっているように見えたので将来の妃になれただろうに、そこへ聖女という称号も彼女は欲したようだ。
「だからといって、神官たちがミルの言うことを聞いたのは不思議よね」
聖女の意味を理解している神殿の神官が、偽物であるミルを聖女に仕立てた理由は未だにわからない。おそらく何かの利害の一致があったのは確かだろう。そうでなければ聖女になる可能性が高いリナを国外追放させるのは納得がいかない。
リヒト殿下も何か考えがあってリナを切り捨てたと思われる。
「そうじゃないと、ただミルの言うことだけを正しいと思っている頭の痛い子になるわよね。そんな王子がこの国の将来の王だなんて、大丈夫かしら」
誰かに聞かれたら不敬だと言われそうだが、今は部屋に1人なので気にしない。
クローゼットの中から動きやすくて汚れが目立たなそうな服を選ぶと、持ってきたカバンとは別の少し大きめのカバンを用意して詰めていく。
必要最低限の荷物だけをカバンに詰め込んでいると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
カバンを閉じて持って行ける重量かどうかを確かめていると、扉が開かれて伺うように顔を覗かせてくる侍女が、戸惑いを見せながら声を出した。
「リナお嬢様。侯爵様がお呼びです」
「そう。ありがとう」
呼び出しがかかった。屋敷に戻ってきてすぐに父に顔を出すべきだったのだろうが、使用人たちの対応から情報はすでに伝わっていると判断して、荷物をまとめる方を優先していた。顔を見せない娘にしびれを切らした父が使用人を使って呼び出してきたようだ。
国外追放となればこの屋敷からも出て行かなければいけない。
その準備をするのは当然だ。カバンに詰めた荷物をもう一度確認してから、リナは父が待つ部屋へと足を向けた。
「失礼します」
父は執務室にいた。
ノックをして声をかけてから扉を開けると、重苦しい雰囲気に満ちた部屋に、腕を組んで不穏な表情を向けてくる父がいた。
「お呼びでしょうか?」
とりあえず素知らぬ顔で質問してみた。
「呼び出された理由がわからないのか」
怒りに満ちた声が逆に問いかけてくる。それを聞いてリナは肩をすくめた。
「すでに神殿からか、もしくはリヒト殿下から連絡があったのではありませんか」
そうでなければ屋敷に帰ってきて使用人が対応しないのはおかしい。リナの状況を知らされているのは間違いない。妹の聖花を横取りして聖女になろうとした愚かな姉という間違った情報を父は信じている。
だからこそ、今怒りを隠そうとせずにリナの前にいるのだ。
部屋に入った瞬間、リナはすべてを諦めていた。
「実の妹の聖花を横取りしようとするとは、侯爵家の人間としても失格だぞ」
父であるアセル=ブラウテッドはリナの反論など聞く気はないようだ。最初から妹の味方だ。
母親を失った幼いミルを可愛そうだと思った父は、ミルを甘やかしながら育てていた。その一方で公爵家の長女としてリナには厳しくしていた。
長子としての立場と責任を感じていたリナは、期待されているのだと思って受け入れていたが、妹に対するあまりにも甘い父の対応に将来を心配することがあった。そのため我が儘を言うことが多くなっていたミルを最初は注意していた。だがすぐに父に泣きついてしまうため、リナの言葉の意味を理解することはなかった。
「偽聖女などという不名誉な烙印を押されたお前を、侯爵家の一員として認めることはできない。殿下より国外追放を言い渡されたのだろう。これを機に、我が侯爵家との縁も切れるつもりでいろ」
そこに父親として娘を切り捨てる断腸の思いは感じられなかった。最初からリナのことを何も信じていないのだと察すことができる。
リナが聖花を咲かせたという事実は神殿でも侯爵家でもなかったことになってしまった。
一度目を閉じたリナは、次に瞼を上げると、強い意志を持って口を開いた。
「わかりました。国外追放を言い渡されている身です。もうここへ戻ってくることはありません。今までお世話になりました」
言い訳などしない。それは逆に惨めになるだけだ。
踵を返したリナをアセルは引き止めようとはしなかった。わかっていたとはいえ心の奥に小さな傷ができたことをリナは無視して部屋を出て行った。