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「平和ですねぇ」

穏やかな秋の陽ざしを浴びて刺しゅうをしていると、お茶を運んでくれたアスロが窓の外を眺めて呟いた。

「そうね。これと言って特に何も起きていないから、余計にそう思うわ」

ロイドがギュンター王国の結界を見に行って5日。神殿や王城からの使者が来るわけでもなく、リナを探しているのかさえ怪しく思えてくるほど何も起きていなかった。

ロイドの指示でスカイがギュンター王国の調査に向かったが、今のところ新しい情報は入って来ていなかった。

「このまま何事もなく済めばいいのだけれど、きっとそうはいかないわね」

聖女が決まったという報告も来ていない。リヒト殿下はミルが聖女だと宣言するようにリナを国外追放したが、ミルが聖女に決まったという話も神殿から出ていない。聖花が咲いたという噂も漏れていないようで、もちろん枯れたということも隠されているようだ。聖女として最終的に認められるまで、新しい聖女は探し続けられるだろう。

リナの行方を捜しているが、まだ足取りがつかめていないと考えたほうがいいかもしれない。

「よし完成」

手にしていた刺繍が完成すると広げてみる。白い生地に赤い虎のハンカチが完成した。ハンカチの角に小さな虎が楽しそうに跳ねているような刺繍だ。

「誰の分を作っていたんですか?」

「これはスカイの分よ」

ロイドは毎日王竜と一緒に空へと飛び立ってしまっていてリナは街に行くチャンスを失っていた。他の使用人やロゼストと一緒に行くことも考えたが、彼らにも仕事はある。邪魔をしたくなかったので部屋でずっと刺しゅうをしている日々だ。

今回は猫の耳を持ったスカイから虎の刺繍を施してみた。彼の赤毛にちなんで本来黒と黄色の虎柄ではなく、赤い虎にしてみた。今はギュンターの調査で神殿を開けているから、戻って来た時に渡す予定だ。

「私の猫は丸まって寛いでいる感じでしたが、スカイの分は動き回っているような感じに見えます」

「あちこち動いている彼にはピッタリかと思って」

スカイのハンカチの前にアスロにもハンカチをプレゼントしていた。彼女には穏やかに眠っている姿の三毛猫を刺繡してみた。

「きっと喜びますよ。戻って来た時が楽しみですね」

ずっと部屋に閉じこもっているような生活になってしまって思った以上に早くハンカチが完成している。刺しゅう自体も小さなものにしているので、それほど時間もかからない。このままではあっという間に他の使用人の分も出来上がってしまいそうだ。

次は料理人のタイトの分を作る予定にしている。他にも2人の使用人がいるということだが、まだ会ったことがないので、顔合わせができてから彼らをイメージして作りたいと思っている。

「ところで、ロイド様の分はないのですか?」

「彼は別の物が良いかなと思って」

お世話になっている竜騎士としてハンカチを贈ることを最初は考えていたが、急に婚約者となったことで保留になっていた。使用人と同じハンカチではいけないと思い、別の物を用意しようと今考えている最中だ。

「ギュンターでは恋人や婚約者に刺しゅう入りのハンカチを贈るのが主流なのよ。他の国の風習を知らないから、何かいい贈り物はあるかしら」

ロイドはグリンズ王国の出身だと聞いている。婚約者からの贈り物は違うかもしれない。

「あいにくグリンズの風習は知りませんが、これから寒くなってくる季節だし、手袋とかいいかもしれませんね。編み物ができるのでしたら、マフラーはどうでしょう」

「そうね。暖かい物を贈った方が喜んでくれそうだわ」

竜騎士として王竜の背に乗る時は上空を飛ぶため寒い気がしていたが、王竜の加護があるおかげで寒さや風の影響を受けることがないらしい。そのためマフラーや手袋が必要になるのは普段の生活ということになる。ほとんどの時間を王竜と過ごしていては使用する頻度はあまりないかもしれない。それでも婚約者からの手作りの贈り物はあった方がいいだろう。

「竜王国での風習とかもあるのかしら。これからここで生活していくことを考えたら勉強しておきたいわ」

自分の出身国の風習をそのままここでやる必要はないし、下手をすると逆に失礼なことをしている可能性もある。竜王国ならではの習慣があるのならそれに習うことも必要だと思った。

「この国はいろいろな国の人族や獣人族が混ざっていますから、各国の風習が混ざった生活になっていると思います。そこまで深く追求してくる人もいませんし、自然と馴染めばいいと思いますよ」

色々な事情を抱えて他国から移住してきた者たちが集まってできたような国だ。王竜がこの国の頂点ではあるが、王国のような王というわけではない。王竜は国に住んでいる人々にすべてを任せている。彼らは自分たちで考えて決まり事を作り代表を立てて生活している。王竜は報告を受けることはあるが、基本的に介入することなく見守る立場だ。

リナもギュンターでの習慣を無理に捻じ曲げることなく、この国での生活に馴染んでいけばいいということだ。

「そうなのね。もう少し街に出かけて生活環境に慣れていくことが必要になりそう」

買い物のために街に行く程度でほとんどを神殿で過ごしてしまっている。これから少しずつ街の人々と交流を重ねる必要があるだろう。

「話が逸れてしまったわね。ロイド様の贈り物はもう少し考えてみるわ」

使用人の贈り物ばかりでロイドには何もないのかと拗ねられても困るので、早めには決めたほうがいいだろう。

そんなことを考えながら出来上がったハンカチと道具を一緒に仕舞う。アスロが淹れてくれたお茶を飲みながら休憩しようと思っていると、扉をノックする音が聞こえてきた。

「はい」

返事をするとアスロが扉を開けて相手を確認してくれた。

「ロゼストが来ました」

相手の確認をすると、彼女は少し気まずそうな雰囲気を醸し出していた。

「リナ様にお客様が来たそうです」

「お客様?」

リナを訪ねてくる客などいないだろう。そう思った矢先、嫌な予感と客とは呼べない心当たりが浮かんでしまった。

「・・・来たのね」

部屋にロゼストを招き入れれば、彼もまた難しそうな顔をしていた。

「誰が来たの?」

「ギュンター王国のミル=ブラウテッド侯爵令嬢と名乗っていました」

「ミルが・・・」

予想では神殿の神官が来ると思った。それか王家の使者の可能性もあると考えていたが、まさかリナを国外追放へと追いやった張本人が現れるとは思わなかった。

「リナ様が神殿にいることは確信しているようです。きっと調査をしたうえでここへ来たのでしょう。会わないという選択はいささか無理があるように思います」

神殿にはすでにリナがいないと言って追い払うこともできたのだろうが、彼女はきっとすべて調査したうえで乗り込んできたのだろう。門前払いしたところですぐにまたやってくる可能性は高かった。

ロゼストもわかっていたようでホールで待たせていると言った。

「会うしかないわね」

ついにこの時が来たと思うしかない。

「どこか部屋を用意してもらえるかしら?」

泊まる部屋ではなく、直接会って話をするための場所が欲しかった。

「小さいですが応接室は用意されています。そちらに案内します」

リナがここへ来た時そんな部屋に通されなかったため、応接室があることを知らなかった。客を招く部屋はあったらしい。

「できれば2人だけで会えるようにしてほしいの」

そう言うとロゼストもアスロも驚いた顔をした。

「いけませんリナ様。相手は嘘をついてリナ様を偽聖女に仕立てた女です。何を企んでいるかわかりません」

「そうですよ。もしかすると力づくで連れ去ろうとする可能性があります。誰か側に、元傭兵のタイがいれば安全ですよ」

強面で筋骨隆々の料理人は見た目だけで相手を威嚇できる。下手なことができないと思わせるには十分な存在だ。

2人の心配はもっともだが、リナは敢えて妹と2人だけで話がしたいと思った。そうすることで彼女の本音を聞きだせる。

「ありがとう。でもミルと2人だけで話をしてみたいの。追放された時も大勢の人の前だったし、その後すぐに国を出たから彼女とゆっくり話をしていなかったのよ。向かい合って今どんなことを考えているのか聞いてみようと思うわ」

せっかくここまで来たのだ。神官でも王家の使者でもないミル本人がいるのなら、彼女と直接話せる機会はもうないかもしれない。

覚悟を決めたように言うと、ロゼストとアスロは顔を見合わせて困った顔をしたが、すぐに意を決したような表情をしてこちらを見た。

「わかりました。ただし、部屋のすぐ近くに我々も待機します」

「タイにも来るように伝えますから、リナ様の思う通りにしてください」

「ありがとう2人とも」

ロイドは王竜と一緒に空の上。スカイは調査で出かけている。頼れるのは3人だけだ。戦闘能力は元傭兵のタイだけになるがきっと何とかなる。

願いにも近い思いを胸に、リナは久しぶりに会う妹に対して強い覚悟を持って部屋を出て行った。


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