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夜の訪問

刺しゅうに意識が向いていたリナは、ノックの音がしたことに気が付けなかった。

「リナ、いないのか?」

その声ではっとしたように顔を上げて慌てて扉に駆け寄った。

「はい。います」

扉を開ければ、聞こえてきた声の主が目の前に立っていた。

「何度かノックをしたんだが」

「ごめんなさい。刺しゅうに夢中になり過ぎてしまって」

会いたいと思っていた人物が目の前にいることで、無意識に顔が綻んでいたことにリナは気が付いていなかった。ロイドはリナが出てきたことにほっとした様子をしていた。

「もう寝ているかと思ったが、一応顔を見ておきたいと思ったんだ」

すでに日が沈み辺りは暗闇に包まれている時間だ。夕食も済ませたリナは就寝まで刺しゅうをすることにしていた。部屋には照明用の魔法石が用意されていたので、その明かりを頼りに作業は出来る。

刺繍ができる環境に予想よりも集中していたようで、時計を見れば寝ようと思っていた時間が過ぎていた。そのおかげでロイドと会えたのだが、少し複雑な気分になってしまった。

だが、顔を見たかったと言われれば嬉しさのほうがじわじわと上回っていくのがわかった。

「どうかしたのか?」

込み上げてくる嬉しさに気恥ずかしさも感じていると、ロイドが首を傾げた。

「いいえ、何でもありません。それより、おかえりなさい」

帰って来たのに挨拶をしていなかったことに気が付いた。無事に戻って来た労いの意味も込めて言えば、一瞬ロイドはきょとんとした顔をしたが、すぐに横を向いて口元を押さえた。

「こういうのも、良いものだな」

「?」

帰ってきた時に婚約者がいて、彼女からお帰りなさいと言われたことに嬉しさを覚えているなど微塵も考えていなかったリナは首を傾げるしかなかった。

ロイドは咳払いをしてから穏やかだった空気を変えてしまう一言を放った。

「ギュンターへ行ってきた」

嬉しさに心が満たされていたリナだったが、急激に体を強張らせる。様子を窺うようなことは話していたが、それでもリナを追い出したあの国の話が出てくると体が反応してしまった。

「え?」

「と言っても、上空を飛んできただけだ。ヒスイに結界の状態を確かめてもらった」

聖女の守護として王都には結界が張られている。魔物を寄せ付けないためのものだが、戦争時には敵を通さない結界としても役立った。人々の目には無色透明で視えない壁となっている。聖女や訓練を重ねた神官たちは見るというより感じるのだ。王竜も結界を感じることができるようだ。

「弱まってきているのは確かなようだ。だが、すぐに消えてしまいそうなほどではない」

ロイドも感じるくらいならできるそうだが、王竜の方がより詳しく状況を見極められた。亀裂や破損はなく、結界全体が薄らいで強度が下がってきていると判断した。

「聖女の祈りがないと、いつか消えてしまいますね」

毎年聖女が結界の強化を祈ることで保たれてきた。リナが聖女として認められず、聖女が見つからないとなれば、結界もいつかは消えてなくなるだろう。

「王都の様子は上空からだとわからなかったが、不穏な雰囲気はなかった。誰も結界が弱っていることに気が付いていないのかもしれない」

「気づけるのは神殿の神官たちだけでしょう。王家に報告が上がっていなければ、国王陛下も知らないかもしれません」

結界が消えれば国の一大事だ。500年前から続いていた護りを失うことになる。結界が消えてから王家に報告が上がってもすべては後の祭りだろう。

結界が消える前に聖女を定められなかった神殿の信頼も失墜するだろうし、リナが聖女だったと知られれば、追放した第1王子も相当な責めを負わされる可能性は高い。

だからといって今から戻って自分が本当の聖女だと名乗ろうとは思っていない。そんなことをしても、王子が認めるとも思えないし、聖女だという確信を持っている神官たちにいいように利用されるのもごめんだ。

「リナ」

名を呼ばれてはっと顔を上げる。いつの間にか1人で深く考え込んでしまっていた。目の前にいるはずのロイドのことを放ってしまっている。だが彼は嫌な顔をすることなく、そっと手を伸ばしてリナの頬に触れてきた。

「1人で考えることはない。ここには君の味方がいる」

「あ・・・」

国を追い出されて、家族との縁も切られたリナは頼る人間もいないまま1人でここまでやって来た。

すべて自分で何とかしなければと思っていたのだ。だがロイドが婚約者となりロゼストに神殿の使用人たちもリナを守ろうと協力してくれている。彼らの存在を忘れてはいけない。

「ごめん、なさい」

「謝る必要はない。俺たちがいることを思い出してくれればそれでいいんだ」

心配しているのがよくわかる表情に優しい声。彼を頼ってもいいのだと思うと気持ちが軽くなる。

「・・・ヒスイも君を全面的に守ると言っている」

竜騎士はいつでも王竜と繋がっている。今の会話も聞いていたのだろう。ロイドを通して王竜の言葉が届けられた。

触れられた頬にそっと手を重ねると、彼の温もりとともに王竜の心遣いまで伝わってくるようだった。

優しさに包まれて安心していると、不意に彼が距離を詰めたのがわかった。

顔を上げればすぐ目の前にロイドの顔がある。

この先何が起こるのか予想できたリナはそっと瞼を閉じた。

しかし、いつまで経っても触れると思っていた唇に何の感触もない。

不思議に思って目を開けると、なぜかロイドは横を向いていた。

どうしたのだろうと思いながら視線を追ってみると、薄暗い廊下の奥にこちらの様子を見ているアスロがいた。

彼女の部屋がそこにあるのか、扉が少しだけ開かれてその隙間からこちらを覗くように顔だけ出していた。その目は大きく見開かれてすべてを見逃さないとでも言いたげだ。

リナ達の視線に気が付いた彼女ははっとしたような顔をした後、片手をこちらに振ってきた。

「私のことはお気になさらず。どうぞ続けてください」

「完全な野次馬だな」

アスロはそれでも好奇心いっぱいだと言わんばかりにこちらを見ていたが、ロイドがため息をついてリナから離れた。

「廊下でイチャイチャしていたら当然気になるでしょう。いろいろしたいと思っているなら、お部屋でしてくださいよ」

2人に距離ができたことでアスロは残念そうにしながら廊下に出てきて文句を言っている。

リナは途端に頬を染めたが薄暗い廊下で気付かれたかどうかわからない。

ロイドはこめかみを押さえて考えこんでいるようだ。邪魔されたことに怒っているわけではなくタイミングを削がれたことに内心落胆していることをリナは知る由もなかった。

「とりあえず今日はゆっくり休むといい。明日以降ギュンター王国の動向を探りながら今後の対策を話し合おう」

「わかりました」

雰囲気が崩れたことで話は打ち切られた。

アスロが残念そうにしながら部屋に戻っていくのを確認してから、ロイドも隣の部屋へと戻ろうとする。

彼の部屋はリナの隣だ。部屋から直接隣の部屋に行くことのできる通路まで完備されている。何かあればすぐにロイドの部屋へと駆けこめる仕組みだ。

そのことに思い至ると、ここで話をしなくてもよかったのではと思った。だがロイドはたとえ婚約者でも夜遅くに女性の部屋に直接入るのを避けたようにも思う。真面目な人だなと思って部屋に戻ろうとして扉のノブに手をかけた時、リナを呼ぶ声が聞こえた。

振り返って顔を上げると、隣の部屋に入ろうとしていたはずのロイドが目の前にいた。

そしてリナが口を開くよりも先に顔が近づいてきて、掠めるように頬にキスを落として離れる。

「おやすみ」

「お、おやすみなさい」

無意識に返事をすると、彼は満足したような顔で今度こそ部屋へと姿を消した。

「・・・心臓に悪いわ」

美人と表現していい顔が迫ってきて不意打ちのキスをされれば心臓が激しい。

部屋に戻ったリナはベッドに潜ってみたものの、しばらくの間眠ることができなかった。


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