引っ越し
「お荷物はこれだけですか?」
「ここへ来た時からそんなに増えていないから、これしかないわね」
部屋の中を見渡しても、目の前にカバンが1つあるだけ。それ以外はもともとこの部屋にあった家具や、後から足してもらった棚くらいだ。少しばかり寒さに備えた物を買い足していてもすべてカバンに入ってしまった。我ながら少ない荷物に感心してしまう。
「こんなに荷物が少ないと、なんだか心配になります」
カバンを抱えたアスロがため息をついていた。少しだけ猫耳もしょげている。
リナの荷物なのに、彼女の方が気落ちしていて申し訳ない気持ちになってしまった。
「ずっとここに居るつもりでもなかったから、次の旅に備えて荷物は最小限にしてあったの」
ロイドの婚約者となったことで竜王国に留まることになったが、そうでなければ竜王国内を旅してから、次の国に行くつもりでいた。
「もうそんなこと考える必要ありませんよ。これから冬に向けていろいろ買い足していきましょう」
ロイドと婚約したことはすぐに神殿にいる全員に知らされた。誰もが最初は驚いていたが、すぐにリナを受け入れてくれた。アスロは、神殿で働く唯一の女性だったこともあって、リナがずっといてくれることを知って抱きついてくるくらい喜んだ。
荷物を抱えて部屋を出て行くアスロを追うようにリナも部屋を出る。
「お部屋はこれから1階になります。ロイド様の隣の部屋ですよ」
婚約者になったことで、リナはお客様ではなく神殿に住んでいるロイドや使用人たちと同じ1階に移ることになった。リナがギュンター王国の聖女であるということで、今後狙われる可能性も考慮しているはずだ。ロイドの隣の部屋というのは安心感が違う。
「昨日は徹底的にお掃除しましたけど、何か不備があったらすぐに言ってください」
ずっと使われていなかった部屋のようで、婚約者となったことで部屋を移ると言われた。その前に掃除をすると聞いて、その間にリナは使っていた2階の部屋に置いてある荷物をまとめておくように言われていたのだ。
荷物は少ないのですぐに片づけることができたが、1階ではアスロが部屋の中の掃除をして、ロゼストとスカイが家具を運び出して庭で埃を落としているのを見かけた。それ以外にも屈強な体躯の男性がいたが、誰かと後でアスロに聞いてみると、料理担当をしている人だと言われた。
他にも使用人はいるそうだが、今は出かけていて神殿にいないと聞いている。
「お部屋の案内が終わりましたら、神殿にいる使用人との顔合わせをしましょう」
これからお世話になる場所だが、すべての使用人を把握していなかった。獣人族のスカイとは一度顔を合わせただけだし、あの屈強な料理担当とは見かけただけで会ったことがなかった。
「留守にしている使用人は2人いますが、彼らは戻って来た時に紹介しますね」
1人は獣人族で、もう1人は人族だという。どちらも男性で、神殿で働いている女性はアスロだけだ。そのためリナが神殿に住むことになった初めての同性ということもあって、心から喜んでくれている。
説明をされながら1階のリナが使う部屋へと案内される。
「今日からこちらがリナ様のお部屋になります」
入った瞬間、今まで使っていた部屋とは比べ物にならない広さにまずは驚いた。
「思っていた以上に広いわ」
「今までの部屋は素泊まり用ですから。ここは普通に暮らしていくための場所なので、快適な広さですよ。それに、使用人の部屋よりもずっと広いです」
部屋の広さに驚いたが、それ以外にも用意された家具もしっかりしたものが置かれている。大きな窓にベッド、クローゼットまで完備されているようで、開け放たれている扉にはリナが持って来た荷物だけでは余裕がありすぎる広さがあった。
まるで侯爵家にいた時の自分の部屋を思い出させてくれる。
広さならこちらの方が広いかもしれない。
「足りないものがあったらいつでも言ってください。新しい家具を置く余裕はまだありますし、服も買い揃えていきましょう」
「そうね。ここに住むのならそうしないと」
冬に向けての買い物もしていいだろう。厚手の服を街に買いに行く時はロイドも一緒に来てくれるだろうか。
そんなことを考えていると扉をノックする音が聞こえた。振り返ると開け放たれている扉の前にロゼストが立っていた。
「引っ越しは無事に終りましたか?何か手伝うことがあればと思って来てみたのですが」
部屋を替えただけだが、リナの荷物が多いのではと思って来てくれたようだ。だが、カバン1つに収まってしまうリナの荷物では手伝えることは何もない。
「簡単に片づけられるので大丈夫ですよ」
本来ならアスロも必要ないくらいの荷物だ。
クローゼットに服を仕舞い、必要な小物を棚やテーブルに置けば終わってしまう。
「片づけが終わったらホールへ来ていただけますか。改めて神殿に住んでいる使用人の顔合わせをしておきたいと思いまして」
先ほどアスロも言っていた。スカイと料理担当者を紹介したいようだ。
「わかりました。すぐに終わらせます」
「それと、この部屋は気に入っていただけましたか?」
荷物を整理しようと思っていると、ロゼストが部屋を見渡しながら聞いていた。
「こんなに広い部屋を用意してもらえると思っていませんでした」
侯爵家にいた頃の自室よりも広い部屋に驚きと嬉しさがある。
「この部屋は少しでも快適に過ごせるようにと特別に作られた部屋なんですよ」
「特別に?」
「何と言っても竜騎士の奥様専用の部屋ですから」
ロゼストとの会話に割って入るようにアスロがなぜか胸を張って言い放った。
「奥様専用・・・」
少し考えてからそれが意味することを理解したリナは途端に顔が熱を持つのを感じた。
「私はまだロイド様の婚約者というだけで、この部屋を使っていいのかしら」
頬の熱を押さえるように両手で包み込んで言ってみたが、説得力がないなと自分でも思ってしまった。婚約者なら将来の妻としてこの部屋を与えてくれたのだろう。
「リナ様はロイド様にとって大切な方ですが、私たちにとっても大切な方になります。それに、この部屋はロイド様の部屋の隣になっていて、そこの扉が隣の部屋に繋がっています。何かあればいつでもロイド様のところへ行けるようになっています」
部屋に入って左側に少し小さい扉があった。少し屈まないと頭をぶつけそうな扉だが、それが隣のロイドの部屋と繋がっているという。
リナはギュンター王国に捜索されている存在だ。聖女として連れ戻される可能性もある。家族に裏切られ王家に追放され、神殿を信用していない今、あの場所に戻りたくない。
リナを護るための意味も込めてこの部屋へ移動することになったのだろう。
「これでいつでもロイド様に会えますね。思う存分イチャイチャしていいですよ」
キャッキャとはしゃぎながらアスロはいろいろと想像しているようで楽しそうだ。
「ちなみにですが、先代の竜騎士は結婚していません。その前の代も独身だったはずです。竜騎士の結婚は調べた限りではおそらく100年近くなかったと思います」
ロゼストの説明では先代の竜騎士は50年程竜騎士をしていた。その前も同じくらいの間竜騎士がいたと考えると、それくらいの年月は竜騎士の妻は存在しなかったことになる。その間ずっとこの部屋は使われていなかった。
「100年ぶりとはいえ、年に一度くらいは簡単なお掃除はしていましたから、大きな問題はないはずですよ」
掃除はアスロの担当だ。毎年の掃除はしていたとはいえ、今回リナが使うことになって徹底的に綺麗にしたようだ。
家具も仕える物はそのままに、ベッドは壊れては困るということで、比較的新しい物に取り換えられていた。
「お部屋も広いし、今のところ問題はないと思います。素敵な場所を用意してくれてありがとうございます」
リナが礼を言うと、ロゼストは満足そうに頷いていた。
「ロイド様は王竜様と一緒に出掛けていますので、戻ってきたらここに顔を出すでしょう。使用人の挨拶も終われば、今日はゆっくり休んでいてください」
リナが聖女であることを王竜が認め、ギュンター王国がリナを探して動いている可能性がわかってから、ロイドは王竜とともにギュンターの様子を見に行くことにした。
王都の様子を見に行くようだったが、王竜は明らかに目立つ。できるだけ上空から見てくるだけのようだが、王都には聖女の結界がある。その結界もどうなっているのか調べてくる予定だと聞いていた。
ロイドが王竜と一緒に出掛けている間リナは神殿を離れないようにするつもりだ。
たとえ王家の指示でリナを王国に連れ戻そうとしても、竜王国の神殿から無理やり連れて行くような真似はできないと思っている。
「そうだわ」
荷物をカバンから出そうとして、リナは思い出したことがあった。
カバンを開いて一番上にあった白い布を手に取る。
「ロゼスト様」
名前を呼べば部屋を出て行こうとしていた彼が振り返る。
「これを。しばらくの滞在でお世話になっていた意味で作っていたのですが、これからお世話になる意味も追加しますね」
そう言って手渡したのは鷹が羽を休めて枝に止まっている刺しゅうが施されたハンカチだった。
ロイドと刺しゅうの糸を買いに行った時、お世話になっている人たちにプレゼント用としてハンカチの布と糸も購入していた。手の空いている時間に1枚は仕上げていた。
「ありがとうございます。ハンカチをもらったのは初めてです」
最初驚いた顔をしたロゼストだが、嬉しそうにハンカチを受け取ってくれた。
「それから、私のことはどうぞロゼストと呼んでください。リナ様はロイド様の婚約者ですし、私より立場が上になりますから」
王竜の加護をもらい唯一の存在である竜騎士。その妻となるリナも王竜に属する存在となるため、ここでは貴族で言う女主人ということになる。
「私は神官という立場にはいますが、神殿の管理人といった立場です。この神殿が貴族のお屋敷なら、私は執事のようなものでしょうね。ですから、どうぞ呼び捨てでお願いします」
ロゼストの方が長く神殿にいるが、リナを邪険に扱い威張るようなことをすれば、ロイドだけではなく王竜にも睨まれてしまうと笑いながら言っていた。だが、目が笑っていないことをリナは気が付いてしまった。
「わかったわ。これからは気を付けるわね」
まるで使用人を相手にする侯爵令嬢時代を思い出す。
「後ほどホールで他の使用人とも顔合わせをしますので、それまではゆっくり寛いでいてください」
そう言ってロゼストは今度こそ部屋を出て行った。
「それじゃあ、荷物を片付けてしまいましょう」
部屋に残ったアスロと一緒に少ないながらもカバンから荷物を取り出してリナは新しい部屋に馴染んでいくように荷物を片付けていった。




