聖女として
もうすぐ夕食の時間だと思いながら刺しゅうの手を休めることなく動かしていたリナは、夕食を運びにきたアスロではなく、神殿の入り口で出会ったスカイが部屋を訪れたことに驚いた。
「ロイド様が呼んでいます。王竜様も一緒です」
夕方に呼び出されたことは一度もなかった。一緒に買い物をしていた時に不手際でもあったのかもしれない。リナとしては思い当たる節はなかったが、促されるままに速足で王竜の間へと向かった。
広い王竜の間には台座に王竜が座っていて、その足元にロイドが静かに立っていた。
特に深刻な雰囲気はない。何かやらかしてしまったのではと不安に思いながら来たのだが、そうではなさそうだ。
「お呼びだと伺いました」
台座まで歩いていくと、ロイドが台座から降りて右手を伸ばした。
「少し長い話になりそうだ」
右手が伸ばされた先にテーブルがあり両側に椅子が2つ置かれていた。テーブルにはお茶が用意されていて、それほど時間が経っていないのかカップから湯気が立ち上っていた。
何か大事な話があるのだとすぐにわかった。
それもリナに関する何かだろう。そう考えると思いつくのは1つだけだ。彼女がどうしてギュンター王国を出て竜王国へ来たのか、その理由だと思えた。
偽聖女にされて侯爵家も追い出されたリナのことをロイドは調べていたのだろう。
楽しい時間はリナを神殿に滞在させるための方便だったのではないか、そう思うと心が冷めていくのがわかった。悲しいや悔しいという感情よりも諦めの方が強いことも自覚できた。
静かに頷いて椅子へと歩いていく。その間に会話はない。ただ王竜の視線だけは背中に突き刺さるように感じられた。
椅子に座って目の前のカップを見下ろす。飲んでみると温かい紅茶だ。冷えてしまった心を癒すように体に染みわたっていく。
「お話というのはなんですか」
ここはリナから切り出すことにした。黙っていても仕方がない。
そう思って前を向いた瞬間、どきりとした。
何か深刻な話が始まりそうな気がしていたのだが、向かいに座ったロイドは予想外に穏やかな表情でこちらを見ていた。
まるでリナを優しく見守るようなまなざしにドキドキしてしまう。
「あの・・・」
「君がここへ来た日、ヒスイが不思議な力を感じると言っていた」
「不思議な力、ですか」
なんの話が始まったのかよくわからなかった。首を傾げるとロイドの話が続いていく。
「嫌な力ではなかったようだ。それもあってヒスイから君をここへ滞在させる提案を受けた」
不思議な力以外にも、リナは王竜を恐れることなく接していた。いろいろな条件が重なって神殿の滞在が許可されたのだ。王竜に気に入られたというのも事実ではある。
「俺はヒスイが言った不思議な力が気になった」
語りかけるようにロイドが話していく。
「ギュンター王国から来たということを思い出して、あの国では今聖女選定が行われていることを思い出した」
表情に出さないようにしながらも、内心緊張で心臓がうるさい。
この人はどこまで調べ上げたのだろうか。
「聖女に選ばれるためには聖花という特別な花を咲かせなければいけないらしいな」
確認するように言われて頷いたが、彼は聖女選定の基準をきっとすべて把握しているのだろう。そして、聖女選定の話を切り出してきている時点で、リナが関係していることを確定している。リナも覚悟を決めて口を開いた。
「聖花を咲かせ、その聖花が美しく咲き続けること。それができた候補の令嬢はその後神殿で祈りを捧げます。それによって国を守っている結界が強化されることが証明された時、初めて正式な聖女として大神官様から任命されます」
探るような説明をされるよりもリナは聖女になるための基本を話した。これは話すことが禁止されている内容ではない。聖女選定の時に神殿に集められた令嬢たちには神官から伝えられ、令嬢たちが口外しても問題ないとされている。
「現在神殿では聖女になるための一歩として、聖花を咲かせようとしている令嬢たちが集まっています」
リナが咲かせた聖花はミルに奪われてしまった。あれから半月ほどが経っている。聖女の力をもらえない聖花はすでに枯れている可能性が高いだろう。そうなれば、もう一度令嬢たちの中から聖花を咲かせる者を探しているはずだ。
だが、リナが聖花を咲かせた以上、他の令嬢が聖花を咲かせることができたとは思えない。今頃神殿では何が起こっているのか竜王国にいるリナにはわからなかった。
「その聖花を咲かせるときに、ひと悶着あったらしいな」
ドキリとした。聖花を咲かせたがすり替え事件があったことを目の前の彼は知っているのか。
「そこに君もいたんだろう」
質問というより確定事項を聞いているのだとわかった。
「・・・すべてご存じなのですね」
「いろいろと調べたからな」
隠すことなく、そして悪びれることなくロイドは認めた。
深呼吸をしてから、リナはあの日のことを振り返るように言葉を紡いでいった。
「聖花を咲かせたのは私です。不正がないように監督する神官が1人ついていましたが、彼もそれを確認したうえで、聖花を持って上司に報告に行きました」
その後、すり替えられるなど思っていなかったリナは聖花を咲かせた安心感とこれからの使命感を胸に部屋で休んだ。
「大広間で聖花のお披露目と咲かせた令嬢の確認をすることになって向かったのですが、そこで思いもしなかったことが起きました」
リナが咲かせたはずの聖花はなぜかミルが咲かせたことになっていた。そして、聖花を咲かせたと報告をしたリナはミルから聖花を奪って報告したことにされていた。最初は何が起こったのかわからなかった。混乱する頭で状況を少しずつ把握していくと、ミルと神官が結託していることは明らかだった。
「王子は利用させられているような雰囲気ではありましたが、私の話を聞かず、妹の話だけですべてを決定づけて、私を偽聖女として国外追放しました」
ミルは引き留めようとしていた。聖花を咲かせたのはリナなのだから利用したいと思うのは当然だろう。それを見抜いて王子の判断が覆る前に神殿を立ち去った。
「聖女になれなかった悔しさよりも、私を利用しようとしている妹や神官たちから離れられたというスッキリした気持ちの方が正直勝っていました」
我が儘でリナの話を聞こうとしないミル。いい加減解放されたいという気持ちがあったのだろう。
そして、侯爵家に戻ったリナは今度は父親から縁を切られた。
「父も妹の話を優先する人でしたので、追い出されたことはすべてから解放されたようで気が晴れました」
自分を縛るものはもうない。逆に、侯爵家の後ろ盾がないので自分ですべてのことをしなければいけなくなったが、それでもリナの心は晴れ晴れとしていた。
「とりあえず国を出ることは絶対ですので、行ってみたかった竜王国へ行って、見てみたいと思っていた王竜に会いに来たのです」
「王家に訴えることもできたと思うが」
聖花を咲かせたのはリナだ。神殿やミルが主張したとしても、聖花は聖女の力を得られずに枯れてしまう。確実にウソがばれるのだから、王子ではなく国王にこのことを話せばリナの対応も変わったはずだ。
「言いましたよね。悔しい気持ちよりもすべてから解放されて気が晴れていたと」
国王への告げ口などしたいと思わなかった。どうせ聖花は枯れてしまう。それを考えればいつかはミルも神殿も処罰を受けることになるだろう。わざわざリナが騒ぎ立てる必要はない。
「だが、このままでは聖女として認められないことになる」
ギュンターは聖女の守護の力が必要だ。リナが国を離れれば守護の力も消えてしまうのではないかと心配しているのだろう。
「詳しいことはわかりませんが、聖女の守護結界は年に1度神殿で祈りをささげることで保たれると言われています。そのため聖女に選ばれた人は神殿の管轄下に置かれます。ですが、神殿から出られないわけではありません」
国内の神殿を巡礼したり、他の街や村の訪問も行っていた。ずっと結界を保つために神殿に居なくてはいけないという決まりがない。
「ただ、国を出た聖女の話は聞いたことがないので、今後どうなるかはわかりませんが」
結界が消えてしまえば、聖女は国から出てはいけないという証明になる。そうなればリナはギュンターに戻ることも考えていた。家族や神殿、王家の裏切りがあったとはいえ、国民は悪くない。彼らの生活に不安を与えるのは避けたい。
聖女としての力を乞われるのなら神殿に戻る必要もあるが、その時はリナを陥れた神官たちをちゃんと処分してからになるだろう。
結界に異変が起きるまで、ギュンター以外に行きたい場所ややってみたいことをするつもりでもいる。
リナの今の気持ちを伝えると、ずっと静かに聞いていたロイドが王竜へと視線を向けた。
神から授かった聖女の力を放棄して国を出ているリナにどんな反応をするのか少し怖い。
神の使いとされる王竜なら、怒るのだろうか。
窺うように視線を向けると、王竜は台座に静かに座ったまま動かなかった。
「なるほど」
少し待っていると、ロイドが納得したように呟いた。
視線を彼に向けると、穏やかな表情でリナを見ていた。
「ヒスイは国の中で起こっていることに口出しはしない。国同士の争いごとや、ヒスイへの悪意、竜王国への侵害などには対処する」
つまりギュンター王国で行われている聖女選定は国内の話なので関与するつもりはないということだ。
少しほっとする。
「今後ギュンター王国がどうなっていくのかヒスイもわからないらしい。ただ、君が本物の聖女だと誰かが気づく可能性は大きいだろう。そうなると探し出して連れ戻そうとするはずだ」
それがリナの今後の心配でもあった。聖女がリナだと知った者たちが探す可能性は大いにある。ただ、それが正式な捜索でリナへの謝罪を含めて迎えに来るのなら、こちらもそれなりの対応を取れる。一番懸念しているのは、密かに連れ戻して聖女としての力を欲する者がいる可能性だ。
神官たちは信用できない。リナが侯爵家を出た時にもミルの監督をしていた神官がわざわざ引き留めに来たのだから。
王家も第1王子の配下であれば警戒しなければいけないだろう。
「あら?」
色々と考えていると、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば、王竜は私が聖女であるとはっきり言っていますね」
最初は不思議な力があると言っていたが、いつの間にかリナが聖女である前提で話をすすめている。神殿から正式な聖女として認められていないのに、王竜はリナが聖女だと確定していた。
首を傾げてロイドを見れば、彼は口元に笑みを零して口を開いた。
「最初は不思議な力があるという感覚だけだったらしいが、数日ここに滞在してくれたおかげで、その力の正体はわかったようだ。ギュンターで聖女選定が行われていることも知っていたからすぐに結びつけることができたと言っている」
王竜の言葉を伝えてくれる。リナをここに滞在させていたのは力を見極めるためでもあったようだ。そしてその力が聖女の力だと気が付くことができた。気が付いても王竜は何も言わずにリナのことをそっとしておいてくれた。
「王竜は先に気が付いていたが、俺の方でもいろいろと調べていたから何も言わなかったようだ。こちらの調べが付いたことで種明かしをしてくれた」
ロイドも力のことが気になって独自にギュンター王国のことを調べていた。彼の場合はリナが聖女だということは情報から導き出しただけだが、王竜の言葉ですべてを納得しているようだった。
「君は正式にギュンターの聖女で間違いない」
王竜の公認を得た聖女。神殿から認められなくても、胸を張って言うことができるだろう。
聖女であると認められたことで、リナの中の裏切られた悔しさが少しずつほぐれていくような気がした。
「ありがとうございます。これで少しは気持ちの整理がつきそうです」
今後のことを考えなくてはいけないが、それでもリナの中に聖女としての誇りが少しずつ生まれてきていたことは間違いなかった。
嬉しい気持ちを表に出すようにリナは心からの微笑みを王竜に向けるのだった。




