楽しい滞在
神殿に来て滞在することになって10日が経つと、神殿の環境にリナもだいぶ慣れてきていた。
神殿での生活に苦痛はなく、逆に楽しい日々を過ごしていると思える。
朝は目が覚めると裏庭の様子を窺うようになった。雨さえ降らなければそこでロイドが毎朝剣を振っているのだ。それを窓から眺めることもあれば、庭まで行って近くで見せてもらうこともある。彼は特に気にしていないようで、リナが来ても何も言わずに剣を振っていた。ただ、最初の頃は何気なく覗きに行っていたせいで薄着の時があり、そんなときはいつも置いているのか黒いマントを羽織らせてくれる。
紳士的な好意にドキドキするも、ロイドはすぐに離れて剣を振ってしまう。
彼の剣捌きはいつ見ても綺麗だと思えた。顔も整っていて剣技まで美しければ文句のつけようがない。
お互い会話はない静かな時間だが、リナはそれが好きだった。
その後朝食の時間に合わせて部屋に戻ると、アスロが朝食を持ってきてくれる。
その時に手直ししてほしい服も彼女が持ってきてくれるようになった。
エプロンは次の日には完成していて、ほつれていた場所を手直しすると同時にただ真っ白なエプロンでは寂しい気がして、あまり目立ちすぎないように裾の方に刺しゅうを施してみた。
余計なことをしてしまったかと思ったが、渡してみるとアスロは飛び跳ねそうなほど喜んでいた。
「ありがとうございます。こんなかわいいお花の刺繍まで入れてもらえて。大事にしますね」
言葉以上に猫耳がいつも以上にピンと張られて喜びを表しているのがわかった。
それ以降、アスロは他にも直してほしいという服を持ってきてくれた。すべてが使用人の制服のようで、男物も混ざっていた。
「他の使用人にも声をかけてみたんです。みんな裁縫は得意じゃないので、もしよければ直してもらえないでしょうか」
「たくさんあるとすぐには無理よ。時間がかかるかもしれないけど、それでよければ全部直すわ」
これでリナの仕事が確保された。
朝食後はホールへと足を向けて、王竜の間に入れるかどうか確かめる。王竜がいると扉を開くことができて、思う存分その姿を拝むことが可能になる。
ロイドも近くにいるのだが、彼はいつも何も言わずに黙って王竜を眺めているリナの様子を見ているだけだった。
その後、王竜は神殿を出て空へと飛び立っていくのだが、その背にロイドを乗せる時と乗せない時があった。
そして、乗せない時はリナが街へと出かける時なのだ。街に行くつもりだと伝えると、彼は気遣ってくれているのか必ずエスコートをしてくれる。いつもだと申し訳なくて断ってみたのだが、王竜の客人にもしものことがあってはいけないと言って譲る気がないようだった。
「今日は刺しゅう用の布と糸を調達したいと思っていました」
今日の予定を話すと、当然のようにロイドも一緒に街へと来てくれた。
「神殿にあるものでは駄目なのか?」
「だいぶ使ってしまったので補充をしておかないといけませんから。それに個人的にも欲しいものがあったのでそれを買いに行きたいのです」
使用人の服は神殿から配布された物だ。それを修理するには神殿が用意した布と糸を使っていた。ロゼストに相談して、リナが布と糸を買い足していいことになったので、予算をもらって買い物をすることになった。それ以外にもリナ個人で使いたいと思った物も買いたい。
「布や糸を売っている場所は知っているが、入ったことはなかったな」
案内するように歩いてくれるロイドだが、彼自身裁縫をしないので無縁の場所のようだ。
「何度か街の中を見ていますが、ここは他国の品物が混在していて、私も見たことがない物があって楽しいですね」
店へ行く途中で見かける店先に並んでいる品物を見ながらリナは興味深げに言葉を漏らした。
この街は他の国からの移住者で成り立っている。そのためいろいろな文化が混ざった独自の文化を形成するようになったらしく、品物なども数は少ないが流通してくる。
他国の流行りの物など、ギュンターに流れてくる物もあるが、それ以外にも様々な物が目の前にあるのだ。
「いろいろあり過ぎて使い道が不明な物も時々あるけれどな」
「そうなのですか?」
「国の中でもどこかの集落だけが使うような壺とか、謎のオブジェも見たことがある」
持って来た商人でさえ意味不明だと思いながら運んできていることがあるらしい。そんなものは売れるのだろうか。謎すぎるが、今はそれを気にしている時ではない。
「とりあえず街の中で一番品数がありそうな場所にしてみた」
そう言ってやって来たのは、他の店とそう変わりない大きさだが、店先から品物が溢れるように並べられていて、店の奥まで何があるのかわからないほど布が溢れている店だった。
各国の布や糸が集められていそうな雰囲気だ。
扉は解放されているが、品物で歩くスペースが極端に狭い店でもあった。
「ここで待っているから、好きな物を選んでくるといい」
いつも通りロイドは店先に立ったまま待つことを選んだ。店を振り返ったリナは今回ばかりはその方が正解だと思えた。
「お邪魔します」
圧倒的な布の数に少し気後れしながら店に入ってみる。
「まずは糸を探さないと」
服の修繕をするため以外に、破れた場所を目立たなくするための刺繍などもしていた。そのため糸は沢山買いたいと思っている。
「いらっしゃ~い」
間の抜けた声が聞こえてきたのは、奥に進んで糸の陳列を見つけた時だった。
「何かお探しですか~」
20歳くらいに見える若い店主と思われる男性が、気だるそうな動きで近づいてきた。
「刺しゅう用の糸が欲しいのですが」
「それならこの棚が良いですよ~。他にも少し変わった糸もありますが、どうでしょ~」
「変わった糸?」
「光を反射してキラキラ光る糸があるんですよ~」
間延びした声で説明しながら、店主は別の棚から糸を取り出してきた。
「反射する素材が練り込まれているので、これで刺しゅうをすると、浮き上がったように見えたりして、面白いと好評なんです~」
「初めて見ました」
窓から差し込む光にさらしてみると、確かに糸がキラキラと光って見える。全体的に使えば浮き上がったように見えるし、普通の刺繍に混ぜて使えば、その場所だけ光って見えるらしい。
面白い仕掛けになるが、こんなものが流行っているとは聞いたことがなかった。
「竜王国での流行りですか?」
「違いますよ~。これはアストル魔法国での流行りです」
「魔法国の」
ルクテーゼ大陸には魔術師たちが集まって構成されている国が存在する。国王などの王族が治める国ではなく、魔術師たちが国の運営をしているのだ。国の頂点に立つ者は魔法国で一番の魔力と魔法が使えることが条件で、血筋は関係ない。
「この糸は魔術師たちが作っているそうですよ~。魔法で生み出しているらしいので、魔力を持たない人では作れないんです~」
間延びした声で説明されて特殊な糸だというのに、そう感じさせない不思議な店主である。とりあえず普通の糸とは違うことだけ覚えておくことにした。
買って試してみたいという気持ちはあったが、他の糸をたくさん買う予定だったので、予算的に買えないだろう。
「特殊な糸なら値も張るのではありませんか?」
「他の糸より少し高いですね~」
そう言われては手が出せない。神殿で仕事をもらったとはいえ、働いて給金をもらっているわけではないのだ。懐に余裕ができた時に自分のために買うことにしようと結論付けた。
「他の糸を買います」
そう言って、刺しゅう用の糸をいくつか選んだ。他にも仕事で使う服の修繕なので丈夫な糸も買う。それを選び終わると、今度は布を探していく。
こちらは白を中心に丈夫そうな布を選んだ。それ以外にもハンカチ用の布も買った。
今日ここへ個人的に来ようと思っていた理由はこれだ。ハンカチを作りたかったのだ。
仕事をもらっているとはいえ、すっかり神殿でお世話になっている身となった。できれば何か形にしてお礼をしたいと思った。リナが得意なのは刺しゅう。やはりハンカチがいいだろうと思い、糸の補充と一緒に材料を買いに来たのだ。
ロゼストからもらった予算とは別に、リナが持っている手持ちのお金で購入する。
すべてを買い終えるとこれで残りの服を手直しできるとほっとした気持ちが湧いてきた。買いたかった物を変えた安心感と満足感が心を浮き立たせているのがわかった。そんな自分に苦笑しながら、リナは買った物を抱えて店を出て行った。




