口説くこと
「これでよかったのか」
リナが王竜の間を出て行くと、ロイドはため息をついて王竜を仰ぎ見た。
『気に入っているのなら、早く捕まえてしまえばいいだろう』
「人には順序ってものがあるんだ」
頭の中に響くヒスイの言葉に、額を押さえてリナが出て行った扉に視線を向けた。
ヒスイの言う通り、ロイドはリナを気に入っている。王竜をみつめる大きな目は恐怖ではなく憧れに近い感情を宿していて、笑顔は少し幼さを残しつつも女性らしく品がある。最初は隠していたが、貴族出身だということで立ち居振る舞いも綺麗だ。
何よりも王竜を怖がらず、竜騎士であるロイドにも他の者と変わらない接し方をしてくれている。竜騎士は王竜に属する者。王竜と繋がり、竜騎士を怒らせればすなわち王竜を怒らせることになると人々は考えている。そのため竜騎士自体も恐怖の対象になることが多いのだ。
そんな中リナは普通の人と変わりない態度を向けてくれていた。
もしかすると竜騎士という立場を詳しく理解していないのかもしれない。それでも穏やかに接してくれる彼女に心惹かれているのは確かだった。
『順序とやらが必要なら、それを早く済ませてしまえばいい』
「そんな簡単に言われても」
ロイドの気持ちはヒスイに筒抜けなのだ。すぐにでも番になればいいと考えているヒスイに対して、相手の気持ちがこちらに向かなければ意味がないのだと説明する羽目になった。
人としての順序を守りたいと思った気持ちを汲んでくれたのか、あまり強く言わなくなったヒスイだったが、彼女が今後の行き先を決めていないことを知ると、滞在を伸ばす理由をわざと作った。彼女を口説くための時間を与えてくれたのだ。
余計なお世話だと言えればよかったのかもしれないが、ロイドとしてもリナが残ってくれたことに安心していたので反論などできなかった。
『あの娘がこの場所を飽きる前に、番になれるように努力することだな』
どうもヒスイは番になることにこだわっているようだ。
「いや、まずはお互いを知るところからではないのか」
『時間は限られているぞ』
ゆっくりことを勧められればと思ったが、ヒスイはすべてをすっ飛ばして夫婦になることを提案している。さすがにそれは無理がある。
「政略結婚じゃないのだから、それほど慌てない方がいいと思うぞ。あまり強引にすると逆に逃げられる可能性が高い」
リナも貴族出身なら政略結婚というものを理解しているはずだ。だがここに政治的なものは何もない。ヒスイが言うのだから仕方なくという形も取りたくない。
リナの気持ちがロイドに向いてくれて、好意を持ってもらえることが大きな一歩となる。
「滞在を伸ばしてくれたことは感謝するけれど、この先のことは俺に任せてほしい」
ヒスイに振り回される形でリナと接触するのは避けたいと思った。
ロイドの気持ちが理解できたのかわからないが、ヒスイは無言で翼を動かした。するとふわりと体が浮き上がり台座から離れていく。
『今日は我だけで行くことにする。お前はあの娘を口説き落とせ』
あまり理解してくれていないような言い方だが、とりあえずロイドに任せてくれるような雰囲気ではあった。
羽ばたきを繰り返すたびにヒスイの体がぐんぐん上昇していく。
やがて天井にぶつかるところまで行くと、不意に天井に魔方陣が現れて王竜の体を吸い込んでいく。
あの魔方陣があるおかげで神殿に天井があっても外に出られる仕組みになっているのだ。
詳しいことはわからないが、この神殿が建てられた時に魔術師の力を借りていたようだ。
「戻って来た時に進展がないと怒られそうだな」
進展しているのが一番喜びそうだが、たった1日で大きく進展するほどリナとは親しい関係ではないことをヒスイはもう少し理解してほしいと願ってしまった。
「とりあえず、せっかくもらったチャンスは利用しないといけないだろうな」
ヒスイのお膳立てを無駄にしたらさらに怒りを買うことになるだろう。それだけは避けたい。
いつもなら一緒に空へと飛んでいくのだが、今日はヒスイだけが飛び立っていった。基本的にはいつも一緒に飛ぶことが多い。義務というわけではないが、それが当たり前になっていた。
たとえ離れていても、ロイドとの繋がりは切れることはない。そのためロイドの行動はいつもヒスイに把握されている状態になる。
始めはその感覚に戸惑いもあったが、それもすぐに慣れると、見えなくてもいつも側に王竜という存在がいるのだという感覚だけが体に溶け込んでいった。
今もロイドの行動を感じ取っているはずだ。
「のんびりしていられないか」
とにかくリナと会わなければ何も始まらないだろう。今頃使っていた部屋に戻って荷物を置いているはずだ。客人として招かれたとはいえ、神殿のことを何も知らない彼女は何をしていいのかもきっとわからないはずだ。まずは神殿のことを説明しながらお互いの距離を縮めていくことがいいかもしれない。
そんなことを考えながら竜王の間を出ようとしていたロイドは、はたから見るととても楽しそうにしていることに気がついていなかった。




