滞在
荷物をまとめてホールに行くと、そこには誰もいなかった。
アスロが言うにはどこかにロゼストがいるということだが、見える範囲に彼の姿が確認できない。
「どこにいるのかしら」
何も言わずに勝手に帰ることもできない。泊めてもらったお礼も言いたかった。
しばらくきょろきょろと辺りを見渡していると、王竜の間の扉が静かに開くのがわかった。
ロゼストが出てくるのだろうと思っていると、扉を押して出てきたのは竜騎士ロイドだった。
「あ・・・」
てっきりロゼストだと思い帰る挨拶をしようとしたリナは、何を言うべきか咄嗟に思いつかず言葉に詰まってしまう。
ホールに立ち尽くしていたリナに気が付いた彼は、数回瞬きをしてから何か納得したような表情をした。
「帰るところだったのか」
「はい。泊めていただいてありがとうございます。検問所が開いていると思うので街に戻ります」
彼に挨拶をすれば神殿を出ても問題ないだろう。そう思って挨拶をすると送り出してくれる言葉が出てくると思っていたのだが、彼は予想外の言葉を放ってきた。
「王竜ヒスイが君と話がしたいそうだ。急ぐ用がなければ会っていってほしい」
「え、私に?」
急な誘いに戸惑うしかない。会ってみたいと思っていた王竜は昨日十分に堪能させてもらった。いつも神殿にいるわけではなく、そのほとんどを空の上で過ごしていると聞いていたが、今日はまだ神殿に留まっているようだ。
昨日初めて会っただけの小娘と言えるリナと話がしたいということらしいが、何の話をするのか想像すらつかない。
だが、また王竜を見ることが許されているのだと考えれば、幸運なことでもあった。
「わかりました」
すぐに了承すると、ロイドがほっとした表情になった。断られると思っていたのかもしれない。
扉を押し開けて入るように促される。
荷物を抱えて部屋へと入ると、昨日と同じ場所に王竜は静かに佇んでいた。
リナが入っていくとゆっくりと首を持ち上げてまっすぐな視線が向けてくる。
とても静かだが威厳を感じさせる視線。光を反射して輝く鱗は、いつ見ても美しいと思えた。
「おはようございます。一晩泊めていただきありがとうございました」
とりあえず挨拶と礼を言ってみた。この神殿の主は王竜なのだから、やはり言っておくべきだろうと思ったのだ。
王竜は人の言葉を理解できる。会話はできないが、それをカバーするために竜騎士という存在があるのだ。
「礼の必要はないそうだ。街に戻れなくなったのだから当然のもてなしだと言っている」
リナの言葉に隣に来たロイドが王竜の言葉を代弁してくれた。
「質素な部屋だから、貴族令嬢には似つかわしくないと不満だったのではないか?」
「え?」
今のは彼の意見だったようだ。そして、リナが貴族出身であることを彼は見抜いていた。
「気づかれていたのですね」
「立ち居振る舞いと雰囲気も貴族令嬢だろうと思えた。そうではなかったとしても、どこかの裕福で教育を施された娘であることは想像できた」
リナとだけ名乗り、平民であるかのように行動したつもりでいたのだが、幼い頃から令嬢としての教育を受けて来た動きそのものが貴族としての雰囲気を作ってしまっていたようだ。
おそらくロゼストやアスロもわかっていたのだろう。それでも何も言わないリナを2階の部屋に案内していた。
「確かに私はギュンター国で貴族令嬢という立場でした。ですが、諸事情で貴族籍を外れることになりましたので、今はただのリナです」
身についてしまった体の動きはすぐには直せないだろう。それでも今のリナは平民として扱われる立場なのは間違いない。
「そうか、この後どこか行く当てはあるのか?」
リナの僅かな説明ですべてを察してくれたのか、ロイドは追及してくることなく話を先に進めていく。
「いいえ、国を出ることになってまずは行ったことのない竜王国に行ってみようと思っただけです。王竜という存在は話しに聞くだけだったので、自分の目で確かめてみたいと思ってしまって」
「随分と大胆に出たな」
国同時の激しい戦争が起こっていた時代、突如現れて戦争を鎮めた存在。その力は圧倒的で恐怖の対象になるだろう王竜を見てみたいと思って行動したことをロイドはそう評価してきた。呆れられそうな気もしたが、彼の表情はどこか楽しそうだった。
わずかに首を傾げると、彼の優しさを含んだ視線とぶつかる。
その瞬間胸の奥にざわめきを感じたが、それを無視してリナは口を開いた。
「この後は、数日街に滞在するつもりです。竜王国自体に来たのも初めてなので、知らないこともたくさんあると思います。いろいろと見て回ってみようと考えています」
昨日のうちに街に戻っていれば、今頃街の中を探索していただろう。街以外にも山を中心に森が広がる国だが、いくつかの集落が点在しているということも聞いている。話にしか聞いたことのない世界を自分の目で確かめていくことはきっと楽しいはずだ。
まずは情報収集が必要になるだろう。街の散策とともに、近くの集落の情報も集めるつもりでいた。
「そうか。特に行き先を決めていないんだな」
リナが今後のことを話すと、彼は何やら考えるようにして王竜を仰ぎ見た。無言のまま竜と人が見つめ合う。
2人の会話は当然王竜も理解している。直接の会話は出来なくても、今リナの目の前で竜騎士と王竜だけの会話が成り立っているのかもしれない。
しばらく無言だったが、やがてロイドが目を閉じると軽く息を漏らした。それがどこか諦めを含んでいるように見えたのは気のせいだろうか。
「王竜が行き先を決めていないのなら、しばらくここに滞在するのはどうかと言っている」
「え?」
突然の申し出に一瞬何を言われたのかわからなかった。
ここに滞在というのは、神殿にいてもいいということのようだ。
「これは王竜からの提案だ。もちろん王竜の客人としてもてなすつもりでいる」
「そんな、恐れ多い」
「畏まる必要はない。王竜は君を気に入ったようだから、もう少し一緒に過ごす時間があることを願っている」
王竜に気に入れられてと言われても、昨日出会って帰る時間を忘れて眺めていただけだ。どこに気に入る要素があったのだろう。
首を傾げると、リナの考えが伝わったのか、ロイドがわずかに笑みを零した。
「好奇心でここへ来たかもしれないが、実際に王竜を目の前にして恐れなかった君に、王竜もご満悦のようだ」
彼の言葉を体現するように王竜が立ち上がって翼を広げた。
部屋全体の空間は広いので翼を広げても壁や天井にぶつかることはない。大きく広げられた翼は力強く、羽ばたけば竜巻でも起こるのではないかと思わせる。体を余計に大きく見せることもできるため、余計な恐怖心を煽る行為ではあったが、翼を広げて胸を張るような姿に、リナはただ感動を覚えていた。
「すごいですね」
ぽつりと漏れた感想を隣に立っているロイドは聞き逃さなかった。
「まったく恐れることがないな」
少し呆れたような感情も含まれていたのだが、王竜に意識が向いていたリナは気づくことができなかった。
「滞在費などは気にする必要はない。王竜の客人としてもうしばらくここで過ごしてみないか?」
「ご迷惑になりませんか?」
「王竜が招きたいと望んでいる。そんなことは気にしなくて大丈夫だ」
神殿にいれば宿代はいらない。出費は抑えられるが、他の場所に行く予定は遅れることになる。だが、急いでいる旅ではないことも事実だ。
「それなら、もう少しだけお世話になってもいいですか?」
迷いはなかった。他に行きたい場所ができるまで、もう少し神殿にいることは悪いことではない。街に行くことも可能だろうし、情報を集めるのもきっとできるはずだ。そう前向きにとらえてリナは返事をしていた。
「そうと決まればロゼストには伝えておく。部屋は泊まった場所でもいいだろうか?」
「構いません」
「そう言ってもらえると助かる。最もどの部屋も似たようなものではあるが」
部屋の大きさが違うだけで内装は変わりがない部屋ばかりだ。客人をもてなすには寂しすぎる部屋ではあるだろうが、そんなことを気にするリナではなかった。
「それでは、もうしばらくお世話になります」
そう言ってリナは笑顔になった。
そんなリナを王竜が嬉しそうに見つめていることをロイドが教えてくれるまで気が付くことはなかった。




