一つの種
手の上に転がる小さな黒い種。くしゃみをした瞬間にどこかへ飛んでいきそうで均等しながら指でつまみ上げると、そのまま鉢植えの土の上に置いた。
そっと土を被せると、リナ=ブラウテッドは長く息を吐きだした。
無意識のうちに緊張して息が浅くなっていたようだ。肺いっぱいに空気を吸い込んで吐き出したため、予想以上に長い吐き出しとなった。
「後はお水を与えて、祈りを捧げるだけね」
用意された水を土の上に撒いていく。これが種にとって芽を出しなさいという合図になるらしい。だがそれだけでは蒔いた種は目を出すことがない。
この種は特別な物だからだ。
「私が聖女の力を持っていれば、祈りで芽が出て花が咲くのよね」
そう説明されている。
リナが今蒔いた種は、聖女だけが咲かせることのできる聖花の種だ。
新しい聖女を選定する時にだけ使われる貴重で特別な種。
前聖女が亡くなったことで、新しい聖女の選定が始まった。リナもその候補に入ったため神殿に赴き、今まさに聖女の種を鉢植えに蒔いたのだ。
「どんな花が咲くのかしら?」
聖女に選ばれた者しか咲かせることのできない花。リナが聖女の力を持っていなければ芽が出ることもない。それでも楽しみに思うのは、他の令嬢が花を咲かせたとしてもどんな花なのかこの目で見ることができるという特別感があったからだろう。
絶対に聖女になりたいと思って神殿に来たわけではないリナにとって、新しい聖女の誕生と、見たことのない聖花が咲くのを間近で見られることの方が実は楽しみなのだ。
「祈るのはどうすればいいのかしら?」
「鉢植えの上に手をかざして、種から芽が出ることを願ってください。それとどんな花でもいいので、花が咲き誇っている想像もしてください」
聖花がどんな花を見せるのかわからないため、リナの想像する花をイメージしていいようだ。
後ろを振り返ると白い神官の服に身を包んだ男性が穏やかな口調で教えてくれた。
彼は聖女選定が終わるまでリナの補佐をしてくれることになっている。
歳はそれほど変わらないように見える若い神官だ。
「言葉にする必要はありません。神に感謝し、聖花が咲くことを祈ってください」
「わかりました」
気を取り直して鉢植えを見つめる。
そっと両手をかざすと目を閉じて、先ほど見た種から小さな芽が出てくることを想像した。
その後大きくなった聖花が白い花を咲かせるイメージをした。聖花なら白だろうかと思っただけだ。
そして、自分ではなくてもどこかで聖花が無事に咲いてくれることを願った。
目を開けても、土が入った鉢植えに変化はない。
「このまま毎日祈りを捧げてください。3日もあれば結果が出るでしょう」
芽が出るのは早くても3日後。そこで誰かの鉢植えに変化があればその令嬢が聖女へと一歩近づくことになる。
「どんな花が咲くのか、楽しみだわ」
リナ自身が咲かせるというより、どこかで聖花が咲けばいいという気楽な考えで呟いた。
その気楽さとは裏腹に、3日後彼女はとんでもないことに巻き込まれることになることを想像すらできなかった。