9.獣人たちの国・5
「大変、水、水持ってきて!」
「ヴィーラント、どうすればいい?」
子供たちの叫び声だ。何事かとドアに耳を近づける。
「しくじったな。大丈夫じゃ。みんな心配するな」
「アーロン神父、グダグダ言ってる間に冷やさねぇと、皮膚がはがれてきたぞ」
(……やけどをしたのかしら?)
ロジーネは思わず部屋から飛び出した。
礼拝堂には誰もいない。さらに外に出ると、井戸のところにみんなが集まっていた。
「あっ、人間」
少年が尻尾をピンとたてて、警戒する。
「どうしたの?」
「アーロン様がやけどしたの」
「やけど?」
見れば、アーロンの服の裾が燃えていて、腕の毛も燃えて地肌が見えていた。
「ひどい……」
「手がすべって油をかけてしまったんじゃ。すぐに火があたっての……。驚かせて済まない」
「謝っている場合じゃないわ。このまま冷やし続けて。できるだけ流水で。井戸から水をくみ上げる人と腕にかける人に分かれて」
「な、なんだよ。指図するなよ」
「私は薬師よ! 言うことを聞いて!」
ぴしゃりと言い放つと、子供たちは黙り、ヴィーラントを見上げた。
「……あんたが薬師だってのは本当か?」
「ええ。あなたが拾っていた薬草は、おそらく私の畑で育てているものよ。大渓谷の上に畑があるの」
言いながら、ロジーネはやけどに効能のある薬草を思い出す。
(あの辺りに生えていたものの中で言えば、アオキの生葉か、ドクダミの生葉……)
あいにく、ロジーネは今、乾燥した薬草しか持っていない。すりつぶした草の汁が欲しいのだが。
「……ヴィーラント。あなた、私を拾った時に、いくつか薬草を拾わなかった?」
「え? ああ」
「それを見せて。今ならまだ間に合うかも」
ヴィーラントが持ってきた箱には、たくさんの葉っぱが入っていた。
「あった。ドクダミの葉」
スペード型の葉を取り出し、近くに落ちていた石を水で洗い、それを使ってすりつぶしていく。緑色が濃くなり、汁が出てきた。
「……いけるわ」
ロジーネはドレスの隠しから、軟膏を取り出す。肌荒れを防止するワセリンだ。
「アーロンさん、傷跡を見せて」
赤くただれた皮膚に、ワセリンとドクダミの汁を混ぜたものを塗っていく。
「包帯とかあるかしら」
「僕、取ってくる」
少年が持ってきた包帯を巻き付け、治療は終了だ。
「これで様子を見てください」
「さっきの葉がやけどに効くのですかな?」
「ええ。生葉には殺菌作用があります」
「これなら、あちらの方にも咲いております」
ドクダミは地下茎で増え、生命力は強い。あまり陽の当らないこんな場所でも、しっかり根付いているのだろう。
「でしたら、利用方法をお教えしますね」
「……なんだかすごいのですな。痛みが引いてきましたが」
アーロンは、きょとんとした顔で言うが、さすがに効くには早すぎる。
「明日くらいにならないと効果はわからないと思いますよ」
「いや、じゃが、これは……」
アーロンは気になるのか、包帯を取ってしまう。すると、先ほどまでただれていた皮膚の赤みがすでに引いている。
「嘘でしょう? 早すぎるわ」
「いやはや、すごいですな。地上産だからでしょうな」
「え?」
「一般に、地下で育てた薬草よりも、地上から落ちてきた薬草の方が効き目がいいとされております。だからこそ、地上のものを集めているわけでしてな」
「それにしたって」
効きすぎだろうとは思う。
「だったら、私が今持っている薬、全部置いていくわ。地上の薬草で作ったものだから、効き目はあるはずよ」
熱さまし、咳止め、喉痛の薬。並べていくと、アーロン神父は顔をほころばせた。
「これは助かる。ありがとうな、お嬢さん」
「いいえ。私だって助けてもらったんだもの。薬が足りないって知らなくて、言い出すのが遅くなってごめんなさい。私に作れるものだったら作っていくわ。材料のある限りだけど」
アーロンとロジーネの会話を聞いていた子供たちは、顔を見合わせ、バツの悪い顔をした。
「あの、あのね、お姉ちゃん」
「ん?」
「さっき、石投げようとしてごめんなさい。アーロン様を助けてくれてありがとう」
ウサギ耳の少女が、ピコピコと耳を揺らしながら近づいて来た。
「いいのよ。私も驚かせてごめんなさい。人間が嫌われているなんて知らなかったの」
ロジーネが笑顔を見せると、他の子供たちも一斉に駆け寄って来た。
「俺も、ごめんなさい」
「考えてみれば、お姉ちゃん、そんなに強そうじゃないもんな。俺たちになにかできるわけないか」
「ねぇ、そのきれいな服、触ってもいい?」
あっという間にロジーネは獣人の子供たちに囲まれてしまった。反感を持ちつつも、突然現れた人間には興味深々だったようだ。
「お前ら、食事作りが途中だろう?」
ヴィーラントが割って入り、ロジーネに向けて手を差し出した。ロジーネはほっとして彼の手を取る。
「ねえ。料理、私も手伝ってもいいかしら」
「いいよ。一緒に食べよう。なっ、皆」
「うん!」
どうやら、ここにいる子供たちは、ロジーネのことを受け入れてくれたようだ。
けが人のアーロン神父を椅子に座らせ、ロジーネは子供たちに交じって料理をする。しかし、普段は使用人に任せきりのロジーネは、あまり役には立たない。
「違うよ。入れるのは塩!」
「それは砂糖だってば。お姉ちゃん、味付けには手を出さないで」
「ご、ごめんなさい」
遠慮のない子供たちに怒られながら、ロジーネは少し楽しくなっていた。
(明日にはお別れだとしても、少しでも交流できてよかった)
獣人はもう、人と関わり合うつもりはないのだろう。
それは歴史を鑑みれば、仕方のないことかもしれない。それでも、こっそりとロジーネが薬草を落とすことはできる。
それをヴィーラントが拾って、獣人国で役立ててくれるならいい。
そして少しでも、人間と獣人との間の溝が埋まればいいなとロジーネは思った。




