62.獣王の子と翼猫の子・5
サル獣人のメイドの案内で、ロジーネはユリアンナの部屋まで来る。
「ユリアンナ様は中におられます」
普通なら、侍女がユリアンナとの間を取り次ぐはずなのに、まるでロジーネにひとりで行けとばかりに一歩下がる。
「入ってもいいのかしら」
「……お伺いください」
歯切れの悪いメイドに不審なまなざしを向けつつ、ロジーネはノックをした。
返事がないので、メイドを振り向くと、「中にはいらっしゃいます」とだけ返される。
ロジーネは嫌な予感がしつつ、中に入った。
部屋の中は、昼間だというのに薄暗い。カーテンが閉められているようだ。
「ユリアンナ? 私よ。ロジーネ」
「……ロジーネ?」
ベッドサイドの明かりだけがついている。ユリアンナはハッと振り向くと、ロジーネの姿を見てほっとしたように息を吐いた。
「来てくれたのね。本当に来るなんて思わなかった」
「どうして? 行くって言ったじゃない」
「私の所になんて、来たくないんじゃないかと思って」
「……何を言っているの? ユリアンナ。ねえ、カーテンを開けてもいいかしら。暗いわ」
返事をもらう前に、ロジーネは片手でモニカを抱えたまま、カーテンを引っ張る。
陽の光が部屋の中を照らす。ユリアンナは眉をしかめて、ベッドに眠るアダムベルトに影を作る。
「眩しいわ」
「赤ん坊にも陽の光って当てないといけないそうよ。ただでさえ、獣人国は陽の光が少ないんだから」
陽の光を背中に受けたまま、ロジーネはふたりに近づいていく。
アダムベルトは光を目で追うようにして、手を伸ばしている。
「アダムベルト様、こんにちは。……かわいい。ユリアンナに似ているのね」
優しい顔をした赤ん坊だ。モニカの方が、少し気が強そうに見える。
「見てやって、モニカよ?」
笑顔で顔を上げたロジーネは、ユリアンナを見て息を飲む。
彼女の目は落ちくぼんでいて、疲れ切った表情をしていた。
「ユリアンナ?」
「見ないで。最近、よく眠れなくて、ひどい顔なのよ」
「だからカーテンを閉めていたの?」
「見られたくないのよ。人の目が怖い。みんな、私が役立たずの正妃だと思っているんだもの」
「そんなことはないわ」
「綺麗にしていなきゃいけないのに。アルノー様に呆れられたら、私は生きて行けないもの」
無意識になのか、ユリアンナが親指の爪を噛む。
ユリアンナは美容への関心が昔から高かった。爪も綺麗に伸ばしていたものだったが、今は艶もなくガタガタになっている。
「……ユリアンナ、アダムベルト様は侍女に任せて少し眠った方が……」
言葉を途中で止めてしまったのは、ユリアンナが睨んだからだ。いつか見たことのある視線。嫉妬の混じった……それは、かつて第三王子がロジーナに求婚したときに、ユリアンナから向けられたものと同じ。
(どうしよう。ユリアンナは今、正気じゃない)
とっさにそう思い、一歩後ずさる。
「逆に聞きたいわ。どうしてロジーネは元気そうなの? 赤ん坊を陽の光にあてなさいなんて、誰に教えてもらったの?」
「それは……」
ロジーネを助けてくれたのは、クリスタだ。ヴィーラントが不在がちな今、彼女の存在がものすごく助けになっているのは間違いない。けれどそれを、今ユリアンナに言っては駄目だと思った。
クリスタは、アルノーの元妻で、今も王位継承予定者の母なのだ。ユリアンナにとっては、聞きたくない名前だろう。
「ねぇ。じゃあ私がしばらく見ていてあげる。少し休んだ方がいいわ。顔色が悪いもの」
「……どうしてそうなの」
「え?」
「いつもいつも! そうやっていい子の発言をして! 私が悪いの? だからいつも愛されないの?」
「ユリアンナ落ち着いて、あなたはちゃんと……」
「ほぎゃあ、ほぎゃあ」
空気を察知した赤ん坊たちが、そろって泣き出した。
「ご、ごめん、モニカ。泣かないで」
ロジーネは慌ててモニカをあやすが、ユリアンナは自分の耳を覆った。
そして爆発したように、大声で叫んだのだ。
「ああもう! うるさい、うるさい、うるさい! どうして泣くの? どうしてなの? アダムベルトも私が嫌いなの?」
「ユリアンナ、落ち着いて」
「どうして誰も、私の泣き声には気づいてくれないのよ!」
それは、ユリアンナの心からの叫びだったように思えた。
でもこの時、ロジーネにはそれを肯定してあげることができなかった。
同じ年頃の赤ん坊を持つ母親として、泣く赤子の前でその子に手を差し伸べずに、自分の心情ばかりを吐露するユリアンナに対しての苛立ちの方が勝った。
「いい加減にしなさい! ユリアンナ、あなたもう母親なのよ?」
自分で予想するよりずっと、大きな声が出た。
泣きじゃくっていたはずのユリアンナが、ひゅっと黙る。それを見て、ロジーネもしまったと思った。
(駄目だわ。私が手を離しちゃ……)
「わかった。もう出て行って。ロジーネに、私の気持ちなんてわかるはずがない」
「ちょ、ユリアンナ」
「誰か来て! ねぇ、誰か、いないの?」
おそらくはドアの前で控えていたのであろうサル獣人のメイドが入ってくる。
「なんでしょう。ユリアンナ様」
「お帰りいただいて。アダムベルトが泣いているの」
「ユリアンナ、ちょっと待ってよ」
その間も、モニカとアダムベルトは泣き続ける。
「早く出て行って!」
ユリアンナが叫んだその瞬間、床が大きく揺れ、部屋に飾られていた花瓶が傾いで落ちた。
ガシャンという破砕音が響き渡る。
「きゃあっ、地震?」
ロジーネはとっさにモニカを抱きしめ、メイドも恐怖からか座り込んでしまった。
獣人国ではここ数年地震が多発しているが、今回のは揺れが大きかった。
幸い、一分ほどで収まったようで、すぐに部屋の外が騒がしくなる。
「ゆ、ユリアンナ様、ご無事ですか?」
我に返ったようにメイドが問うと、ユリアンナは青い顔のまま頷いた。
「私は大丈夫。……出て行って、ロジーナ」
「わ、分かったわ」
ロジーネも心臓がドキドキしていた。モニカを抱えて部屋を出る瞬間、ユリアンナの声を聞く。
「よしよし、泣かないのよ。アダムベルト」
その間、ユリアンナは一度も、ロジーネを振り向かなかった。




