54.揺れる王家・6
出仕するようになって、一週間後。
ヴィーラントは、獣王アルノーから呼び出された。
「入れ」
「失礼します」
謁見室には、アルノーだけではなく、ユリアンナもいた。ずいぶんお腹が目立つようになっていて、わざわざ用意されたと思われる、柔らかいソファに腰掛けている。
待遇に反して、その表情はどこか険しかった。
「呼び出したのはほかでもない。ユリアンナが、ロジーネに手紙の返事を渡してほしいそうだ。ついでに、ルドウィークの話も聞こうと思ってな」
ルドウィークの方がついでなのかと、一瞬気にはなったが、ユリアンナも身重の身だ。気づかうのは番として当然のことかと考え直し、ヴィーラントは頷いた。
「ルドウィーク殿下は幼さゆえの無鉄砲さはありますが、聡明なお方だと思います」
「お前の言うことはよく聞くらしいな。カスパルが言っていた」
ヴィーラントは頷き、アルノーを見つめる。
「殿下は理解者が欲しくて癇癪を起していたのでしょう。誰かに理解してもらいたいという欲は、誰にでもあります。高く飛べるものには飛べるものなりの悩みもありますから」
「ふん。俺にはわからんというのか。相変わらず生意気な奴だ。……まあいいだろう。うまくやってくれているなら、言うことはない。ルドウィークを頼むぞ」
「はい」
アルノーは鼻を鳴らしつつも笑顔を見せた。
「……で、ロジーネは息災か?」
「ええ。元気です。……お腹も徐々に膨らんできました。……月齢はユリアンナ様とひと月違いくらいでしょうか」
「そんなものだったかな」
「……ええ」
アルノーに水を向けられて、ユリアンナはようやく口を開いた。
ヴィーラントとユリアンナの接点は、ロジーネしかない。だから、ユリアンナが小麦栽培の記録を辞めてからは、顔を見ることもほぼなかった。
あの頃は、笑顔を見せていたユリアンナは、今は表情を曇らせ、ただお腹を撫でている。
アルノーが彼女を寵愛しているのはわかるが、部屋に閉じ込めすぎなのではないだろうか。
「ユリアンナ様、ロジーネからも手紙を預かっております」
「……ありがとう。ヴィーラント」
使用人のサル獣人が、ヴィーラントから手紙を受け取り、ユリアンナに渡す。そしてユリアンナからの手紙をヴィーラントは受け取った。
「よろしければ、たまにはロジーネに会いにお越しになりませんか? それとも、ロジーネを連れて来ましょうか」
同郷の人間と話して、少し気晴らしをすればいいのではないだろうかという思いでヴィーラントは言ったが、それにはアルノーが眉を寄せる。
「互いに身重の状態だ。あまり移動はさせない方がいいだろう」
「ロジーネは大丈夫ですよ。今も中層と上層を行ったり来たりしていますし」
「ロジーネは……」
手もとの便箋が、くしゃりと音を立てる。ユリアンナが握りしめたからだ。
「クリスタ様の味方なのかしら……」
「ユリアンナ、そうじゃないと言ったろう。ただ、都合がいいから、クリスタの元に置いているだけだ」
アルノーが弁明するも、ユリアンナは生気のない顔で、じっとアルノーを見つめる。
ふたりの間もうまくいっているようには見えなかった。
(やれやれ……王家は大変だな。ルドウィーク殿下もアインラート殿下もぎくしゃくしているし)
そうは思いつつヴィーラントに口出しできることではない。
「……ユリアンナ様のお手紙は、必ずロジーネに渡します。またお返事をお持ちしますね」
そう答えることが、ヴィーラントにできる精いっぱいで、その後はすぐに退出した。
*
ヴィーラントはルドウィークが寝室に入ったのを見届けて、家に戻る。
「おかえりなさいませ」
離れとはいえ、クリスタの屋敷には門番がいて、入退出のチェックがされる。使用人が数人いるゲートを抜け、離れの建物に入ると、ロジーネが迎えてくれた。
「お帰りなさい、ヴィーラント。遅かったわね」
「ああ、ロジーネは、体調はどうだ?」
お腹が目立つほど大きくなっても、ロジーネの行動力はあまり変わらない。クリスタに話を聞くと、何でも自分の目で見たがるから、行動を押さえるのが大変なのだそうだ。
ありありと想像できて、ヴィーラントは自然に笑ってしまう。
部屋に入って、並んでソファに腰掛ける。
ロジーネのお腹をそっと触って、「ただいま」とお腹の子供にも告げる。
ヴィーラントにとって、今一番幸せを感じるタイミングだ。
「そうだ。ユリアンナ様から前回の返事を預かってきたぞ」
「ありがとう。大丈夫なのかしら。ユリアンナ、思いつめるところがあるから心配なのよね。でも、アルノー様、私と会わせないようにしているみたいだし」
ため息とともに、ロジーネがつぶやく。
手紙の中身は、自分の身の回りのことだとロジーネは言っていた。今であれば、管理している小麦畑の話と、クリスタと共に行っている中層の住宅開発の話だろう。
この獣人国で、ロジーネは人間としては珍しい受け入れられ方をしている。
それは、彼女が育成スキルと製薬技術を持っていることに起因する。
何といっても、彼女がいるだけで作物の実入りが増え、不足していた薬も潤沢に行きわたるようになったのだ。人間に対して不信感ばかりの獣人だって、実際にメリットを見せられれば受け入れないわけにはいかない。
いわばロジーネは、『物事をいい方向に運んでくれる珍しい人間』なのだ。
その恩恵は、人間への悪感情をも上回る。
ユリアンナも、彼女と共に小麦栽培をしているときは、評判が良かった。しかし、クリスタが城を出て以降、人気は下降傾向にある。
『王の寵愛を受けるだけの、役に立たない人間』
これが、現在のユリアンナへの獣人の認識であり、ユリアンナがピリピリしているのは、それを肌で感じているからだろう。
「ねぇ。ユリアンナは胎動を感じているんですって。私もそろそろかなぁ」
ロジーネはユリアンナからもらった手紙を見ながら、のんきに言う。
「そうだな。動いたら俺にも教えてくれるか?」
「当たり前でしょ? あなたに一番に報告するわ」
(ユリアンナ様の現状を伝えれば、この笑顔も陰るんだろうか)
ヴィーラントはロジーネの隣に腰掛け、ゆっくり彼女の髪を撫でる。
生まれてから、今が一番幸せだ。番が隣にいて、自分の子を守り育ててくれる。加えて彼女は獣人国の環境改善までしてくれている。
(このまま、ずっと、黙っていれば……)
ロジーネは余計なことに憂うことなく、時を過ごせるだろう。
(でもそれでいいのだろうか)
ヴィーラントはどこかすっきりしないまま、今日のユリアンナの様子をロジーナに伝えることができなかった。
すみません。しばらく多忙にていったん更新ストップします。
もしかしたら次は年明けになるかもです。
読んでいただいている方には申し訳ない。よろしくお願いいたします。




