39.来る、繁殖期・2
ロジーネは翼猫姿のヴィーラントの背に乗り、空から獣人国を見下ろしていた。
外観上は、城は何事もなかったかのように穏やかだ。城門に降り立ち、通行証を見せる。
確認に行ってくると言ったサル獣人はしばらく帰ってこず、ふたりはしばらくその場で待たされることとなった。
「ところで、ユリアンナはどんな状態なの? それも教えられない?」
「王に言われて慌てて出てきたから、詳しくは俺も分からないんだ」
「そう。……心配だわ」
「お待たせしました」
サル獣人が戻って来て、入城の許可をくれる。いつもより手間取っているところをみると、まだまだ城内は混乱しているのだろう。
「翼猫、ありましたか?」
上階に向かっている途中で声をかけてきたのはカスパルだ。
「ああ」
「持ってきたわ」
「これは、ロジーネ殿。女性がこの時期に外に出ては危険ですよ」
「ヴィーラントから離れないようにするから平気よ。それより、どうなっているの? 薬師として、理由がわからなければ薬は渡せないわよ」
じろりとロジーネが睨むと、カスパルは困ったようにヴィーラントを見る。
「ロジーネはアーロン神父から薬の管理を任されている。ごまかしはできない」
「……仕方ありませんね。一緒に王の処に行きましょう」
カスパスは言葉少なに、背中を向けて歩き出した。ついていこうとすると、ヴィーラントに無言で手を握られる。
「なに?」
「危険だからな」
ヴィーラントの横顔は、真剣だ。考えてみれば、ユリアンナが襲われたのだから、彼がロジーネを心配するのは当たり前のことなのだ。
やがて大きな扉の前にくる。
「アルノー陛下。カスパルです」
「入れ」
中から返事があり、カスパルは扉を人がひとり通れるほどの隙間だけ開けて、素早く入った。そしてしばらくしてから「おはいりください」とロジーネ達を招き入れた。
「失礼します」
中にいたのはアルノー王、そして、豹獣人の兵ふたりと腕を縛られた正妃だ。
正妃は全身を汗だくにし、今も荒い呼吸を繰り返している。
「正妃様……。ひどい状態……!」
「ロジーネか」
アルノー王は不快そうな態度を隠そうとしない。
「陛下、いったいどういうことですか?」
「いいから、早く抑制剤を寄こせ。正妃に飲ませて、まずは落ち着けないと話も聞けない」
「状態を見せてください」
「状態なら城の薬師に見させた。発情期特有の興奮状態と、それを無理やり抑え込むことによる拒否反応で
発熱している。なだめるには薬が必要だとな」
しかし薬の在庫が城にはなかった。そのためにヴィーラントが下層にまで聞きに来たというわけだ。
「薬は持っています。正妃様。ロジーネです。失礼します」
「がるっ」
正妃の口から出たのは、獣の声だ。
顔を真っ赤にし、瞳は潤んでいて焦点が定まっていない。体内に熱がこもっているのか、常に苦しそうに息を吐き出している。きちんと整えられた爪には、赤い血が入り込んでいた。おそらくはユリアンナのものだろう。黒色の耳はピクピクと小刻みに揺れ、尻尾の毛も立っている。人間体を保っているのが苦しいのかもしれない。
「まずは薬を飲んで楽になりましょう?」
「がる……ろ、ロジーネ?」
正妃は、ロジーネの姿を見つけると、ぎゅっと目をつぶって首を振った。なんとか理性を取り戻そうとしている様子が見て取れる。
「楽になれますよ。ほら……」
王妃の唇に薬の瓶をあてるも、彼女は小さく首を振った。
「……や、……いや」
「正妃様」
「私は、……正妃です。薬など……いり、ません」
瞳孔が揺れている。ロジーネはとっさに、王に薬を差し出した。
「なんだ?」
「飲ませてください。正妃様に、口移しで」
「は?」
「正妃様の唇に触れられるのは、夫であるあなただけです」
ふたりの間には、王子がふたりもいるのだ。これまでには当然、キスもそれ以上のこともしているはずだ。なのに、アルノー王は首を振って拒絶する。
「私にはもう番がいるのだ。それはユリアンナへの裏切りになる。だから……」
「番に会えたら、これまでのこと、すべてなかったことにしていいの? 違うでしょう? 彼女は今もあなたの妻です。正妃様の気持ち、少しは考えたことがあるんですか?」
ロジーネの中にあった不満が、一気にはじけ飛ぶ。
以前、畑で正妃に会った時、ロジーネは彼女を、理性的で正しい人だと思った。
絶対に不満はあるはずなのに、アルノー王の心情を思って側妃の存在を許し、ユリアンナのことも気にかけてくれていた。
おそらく彼女は、とてもプライドの高い人なのだ。
他人に弱みなど見せたくない。自分の意とそぐわなくても、正しいことを優先する。
正妃として、性欲抑制剤を飲むことは、そんな彼女のプライドを傷つけることだったのかもしれない。
その彼女が、こんな状態を他人に見せているのは、屈辱以外の何物でもないだろう。
「助けられるのは、貴方しかいません」
ユリアンナには悪いが、彼らは今だ夫婦なのだ。だとすれば、妻を救う責任は王にある。
「くそっ」
アルノー王はロジーネを睨んだが、やがて気圧されたように薬を奪い取った。
口に含み、そのまま、正妃に口移しで飲ませる。
最初、抵抗するそぶりを見せた正妃は、やがて力を抜いてそれを受け入れた。
体を黒色の体毛が覆いはじめ、残されたのは意識を失った黒豹だ。
「眠ったのか?」
黒豹姿となった正妃を王は床に寝転がす。すぐさま、城の侍医がやって来て彼女を診察する。
「性衝動は落ち着いたようですね。お休みになれば、回復すると思います」
ロジーネはほっとした。が、アルノーは黒豹姿の正妃を軽蔑するように見下ろした。
「……正妃を部屋に閉じ込めろ。ユリアンナを傷つけた罰は目覚めてから言い渡す」
「罰するおつもりですか?」
言い返すと、アルノーはロジーネを睨んだ。
「なぜ俺が許すと思うんだ? 番を傷つけられたのだぞ? お前はユリアンナの味方ではないのか?」
「味方です。だからこそ言うんです。ユリアンナは、正妃様のこととても心配していたから」
「番を見つけた時点で離縁するべきだったのだ。子の母親だからと、好きなようにさせておいたのが仇となった」
「人を物みたいに言わないで! 番って何なの? 番を見つけた途端に、どうしてそんなに冷たくなれるの? クリスタ様はあなたの正妃でしょう?」
ロジーネにはどうしてもわからない。
運命の相手じゃなかったとしても、子をもうけ、ともに過ごせば情は湧くものではないのだろうか。どうして誰も、正妃にもっと寄り添ってあげないのか。
「獣人にとっては、番こそすべてだ」
ロジーネの言葉を理解しようともしない、アルノーの断言に言い返そうとしたロジーネをヴィーラントが止めた。
「ロジーネ。ここはいったん引くんだ」
「でも!」
「獣人は、番を得るとほかの異性に欲情しなくなる。……本当にそうなんだ」
だとすれば、それはまるで呪いだ。
そしてそれがわかっていて、番ではない妻を迎えることは、犯罪に近い。
「正妃様が、かわいそうよ」
「それは、みんな知っている。それでも……」
納得はできてしまうんだ、とヴィーラントは続けた。
「一生、番と出会わない獣人もいる。それを考えれば、後継者が必要な王にはどこかのタイミングで伴侶が必要だった。クリスタ様だって、それは理解して嫁いできたはずだ」
「そんなの……」
だからこそ、正妃はずっとユリアンナに優しかったのだ。優しくせざるをえなかったのだろう。当初からの約束を、守らないわけにいかないから。
「……ユリアンナに会わせてください」
ロジーネはふいにやるせない気持ちになった。
ロジーネにはわからないアルノーの気持ちが、ヴィーラントにはわかる。それはもう、どうしようもない種族間の溝だ。
だとすれば、同じ思いをきっとユリアンナも抱えている。そしてそれを理解できるのも自分しかいないはずなのだ。




