18.再び獣人国へ・2
下層の朝は薄暗い。ロジーネはなかなか目が覚めず、ベッドでゴロゴロとしていた。すると、けたたましく休憩室の扉を叩かれた。
「ロジーネお姉ちゃん!」
大きな声に、ロジーネは飛び起きる。
「……アルマ?」
目をこすりながら扉を開けると、アルマが抱き着いて来た。ぴょこんと黒毛の耳が立っている。しっぽがじゃれつくようにロジーネの腕に絡んできた。
(このしっぽの動き……ヴィーラントに似ているわね)
アルマは猫族で、ヴィーラントも翼が生えている変種とはいえ猫族だ。種族独特のものなのかもしれない。
「ヴィーラントお兄ちゃんから、お姉ちゃんがいるって聞いて来たの!」
「あ、……うん。もうしばらくここでお世話になることになったの。よろしくね」
「やったぁ!」
ぎゅーっとしがみついて来たアルマを抱き上げると、その後ろから獣人の子供たちがわらわらとやって来た。
「アルマ、ひとりじめは駄目」
「そうだよ。ロジーネねーちゃん。ここでは俺が先輩だからな!」
「はは。またしばらくよろしくね」
すっかり好意的に受け入れてもらえ、ロジーネは自然と顔がほころぶ。
個人個人で交流していれば、こうして仲良くすることもできるのだ。どうにかして、人間と獣人がともに暮らせる世界に戻せればいいのにと思う。
(そんな簡単ではないけどね。人間は、今や獣人の存在も信じていないんだし)
「さ、ロジーネお姉ちゃんも、もうお客さんじゃないんだから手伝って」
「え? ……あ、はい」
ウサギの耳を持つポピーという名の少女が、孤児院での生活を説明してくれた。
まず身支度を整え、朝食を作る班と洗濯をする班と幼子の面倒を見る班に分かれる。
ロジーネは朝食を作る班に入り、皿洗いなどの仕事を手伝った。
アーロン神父主導で朝のお祈りをし、皆で朝食をいただく。その後、子供たちは勉強時間だ。
「俺たちも勉強タイムだ」
ヴィーラントに呼ばれ、ロジーネは連れ立って休憩室へと向かう。
ベッドもある部屋なので、ふたりきりになるとドキドキしてしまうが、ヴィーラントは真面目顔だ。
「昨日も言ったが、ロジーネのにおいをなんとかしないと、他の獣人の前に出られない」
「そんなににおう?」
ロジーネは自らの腕を嗅いでみたが、特に何のにおいもしない。
「人間のにおいというよりは、日向のにおいだ。日照時間が長いからしみついているんだろう。ここで何日も暮せば、消えるとは思うが」
「とりあえず短時間でも消せればいいってことね? じゃあこれとかどうかしら。昨日言っていたハーブなのだけど」
ロジーネはリュックの中から乾燥したハーブを取り出す。
「これはペパーミント。消臭の効果があるの。煮だした液体をお茶として飲んだり、薄めて肌につけたりすれば、ある程度の効果が期待できると思うのだけど」
乾燥したペパーミントをお湯で煮出し、水で薄めてみる。
「これを塗って……どう?」
ヴィーラントが鼻を近づける。
「ペパーミントのにおいはするが、ロジーネのにおいは消えたな。……なあこれ、飲めるのか?」
「もちろん。ただのお茶だから」
ヴィーラントが指につけ、ぺろりと舐める。しばらくすると、ヴィーラントは眉を寄せ、自分のにおいをクンクンと嗅ぎだした。
「俺からも匂いが消えてないか?」
「ごめんなさい。私には判別できないわ」
「アーロン神父に聞いてくる」
ヴィーラントが興奮気味にそう言い、出て行ったと思えばすぐに戻ってくる。
「すごいな。ちょっと舐めただけなのに、全然におわない。アーロン神父、俺が触れるぐらい近くに行っても気づかなかったぜ?」
「そんなに効果がある?」
ロジーネは疑問だったが、他の薬だって獣人にはやたらに効いたことを思い出す。
「地上のハーブも効果が強いのかしらね」
「そうかもな」
その後検証してみると、地上のハーブや薬草は、獣人に対して効果が高いことが分かった。ロジーネにはそこまでの効果はなかったが、ヴィーラント曰く、お茶をカップ一杯きっちり飲めば、においは気にならないくらいになるそうだ。
「地上の薬草は本当にすごいな」
ヴィーラントがしみじみと言う。
「そうね。日光の力なのかしらね……」
本来なら、同等に恩恵を受けられるはずのものだ。人間が獣人を地上から追い出したりしなければ。ロジーネは申し訳ない気分になる。
「どうして、獣人と人間は共生できなかったのかしら」
「さあな。百年以上前のことは俺にはわからない。多分、互いの歴史を紐解いても、正しいものは出てこないんじゃないか? 実際、君の知っている歴史と俺の知っている歴史は、齟齬があるだろう?」
「そうよね。また戻れたらいいのに」
しんみりとつぶやいてから、ロジーネは頭を振って考える。
獣人と人間の関係改善は、あまりに大きな問題過ぎて、自分たちでどうこうできる物ではない。
「とりあえずこれで、におい問題は解決よね? これなら、王城を調べにも行けるかしら」
「馬鹿。そう簡単に城に忍び込めるわけがないだろう? まずはアーロン神父が言った通り、中層に行く」
「ここは下層よね。さらに上の区域ってことね?」
「ああ。中層には商業区域がある。情報を集めるなら一番だろう」
「なるほど」
ヴィーラントは一度休憩室を出ると、今度はフードのついている黒いコートを持ってきてロジーネにかぶせた。彼のものらしく、引きずりまではしないが、裾が長い。
「お前は今日からサル族を名乗れ」
「さ、サル?」
「サル族が一番人間に近く、その姿でもばれにくいからな。しっぽの確認をされないよう、そのコートを着ているといい」
「な、なるほど」
(それにしてもサルかぁ。もっとかわいい動物がよかったなぁ)
そんなことを言っている場合ではないが、ちょっと複雑な気分だ。
「それに、サル族は王城に多く入り込んでいるから、後々潜入するときにもいい」
「そうなの?」
「奴らは手先が器用で、他の種族よりもプライドがない。強いものにはこびへつらうところがあるから、使用人として使いやすいんだろう。衛兵の一部やメイドとして働いているはずだ。だからお前もうまくサル族に擬態できるようになれば、城にもぐりこむこともできるだろう」
「なるほどね」
ヴィーラントが言うには、サル族は耳の形が人間と一緒なので、見分ける方法は尻尾のあるなしのみになるらしい。
獣人は能力の強さに応じ、獣化と人間化の割合が変化できる。ヴィーラントは能力値が高く、完全な獣化も人間化もできるが、アーロン神父は一部しか人間化ができないそうだ。
「だから、お前は魔力が高いサル族で、普段は尻尾も消しているというスタンスでほかの獣人と会話するんだ」
「なるほど……」
獣人の生態もいろいろだ。とりあえず、フードをかぶって露出を押さえ、においを消すお茶を飲んで出かければ、しばらくはごまかせると覚えておけばいいだろう。細かい理由なんかは、言われても覚えきれない。
「難しいことばっかり言われても覚えられないわ。もういいでしょ? 行きましょ」
「……ほんと、怖いもの知らずだな」
ヴィーラントは苦笑し、立ち上がった。




