17.再び獣人国へ・1
深夜、ロジーネとヴィーラントは獣人国の下層にある教会へと戻って来た。
すでにみんな眠っているのか、教会も孤児院も真っ暗だ。ふたりは息をひそめて中に入る。
「帰って来たのか、ヴィーランド」
暗闇の中から声がして、ロジーネは飛び上がるほど驚いたが、ヴィーラントは気配でわかっていたらしい。落ち着いた様子で「アーロン神父」と声をかけた。
「急に出ていくから驚いたぞ。なんだやっぱりお嬢さんを連れてきたのか」
「こ、こんばんは。アーロン神父」
朝、見送られて出て行ったばかりなのに、戻ってきてしまった自分が恥ずかしくもあり、ロジーネはヴィーラントの影に隠れて挨拶をした。
(やっぱりって何? 私が戻ってくるのがわかっていたってこと?)
ふと、腰のあたりになにか気配を感じた。見るとヴィーラントの尻尾が、ロジーネの腰回りでふよふよと動いている。
「……ヴィーラント、これはなに?」
問いかければピュッと尻尾が戻っていく。どうやら無意識での行動らしい。
アーロン殿下は小さなランプをともした。
「お嬢さんには見えないだろうて」
そこでロジーネはハタと気づく。どうやら、ふたりは夜目が効くらしい。獣人たちが薄暗い地下で暮らせている理由が分かったような気もする。
「なんとなく戻って来るんじゃないかと思っておったんじゃ。お前さんとヴィーラントの間には不思議なつながりがあるようじゃからな」
フォフォ……と含み笑いと共に言われて、ロジーネは恥ずかしくなってヴィーラントを見上げる。彼もちょうどロジーネを見ていたので、目が合ってなおさら気まずくなった。
「つ、番って、他の人にもわかるものなの?」
「いや、マーキングした後ならともかく、今の状態ならわかるはずはないんだが……」
マーキングとはなんだ。聞きたいような聞きたくないような単語に、ロジーネが戸惑っていると、アーロン神父が手招きする。
「いつまでたっている気じゃ。こっちに来て座りなさい。……ヴィーラントは昔から執着心のない子でな。仲良くなった子が独り立ちするときも、静かに見送るようなそんな子じゃった。それが、お嬢さんには妙に構うじゃないか。親代わりのわしには、お嬢さんが特別なことくらいはわかる」
「それは……その」
「絶えず耳を立てているのも、お嬢さんからの呼び声を聞き逃さないためじゃろうて」
そう言えば、最初に会ったときは人間のような姿でいたヴィーラントだが再会してからは耳と尻尾は出したままにしている。
「それは、……ゴホン」
ほほを染めたヴィーラントは、ぷいとそっぽを向きつつ、「とにかく、しばらくロジーネをここに置きたい。いいだろうか」とそっけなく告げる。
「ここは教会であり孤児院でもある。迷い人は受け入れる場所だから構わんよ」
「ありがとう! アーロン神父。何でも言いつけて。どんな仕事でもするわ。それとね、私、従妹を探したいの」
「従妹? 人間の娘さんということかの?」
ロジーネは、ユリアンナが崖から落ち、行方不明になっていることを告げた。
「ふうむ。崖から落ちて行方不明というなら、王族……豹族に捕らえられたのだろうな」
「普通に考えればそうだよな」
「彼ら肉食系獣人は力が強い。城に入り込むことも難しいのではないかな」
アーロン神父によれば、獣人国の王は豹族であり、上層に城を構えている。陽の光も多く届く、住みやすい場所で、チーター族やピューマ族などの大型ネコ科動物は大体そこにいるようだ。力ではかなわないことを認め、あっさりと彼らの傘下についたゴリラ族やサル族は、彼らの衛兵や城の使用人として働いているらしい。
「人間はサル族と見た目は近いが、においでばれることが多い」
「におい? ……それってどういう?」
「日向のにおいとでも言うのかな。人間には独特の香りがあるんだ」
「じゃあ、それを消せば入り込めるかしら」
アーロンとヴィーラントの進言に、ロジーネは手持ちの薬草を思い浮かべる。
消臭効果のあるハーブならいくつか持っている。サシェとして持って歩くのでも、お茶として飲むのでも、なんらかの効果は出せるだろう。
それを伝えると、アーロン神父とヴィーラントは顔を見合わせた。
「もし本当にそれでにおいを消せるなら、ロジーネ自身の危険は少なくなるな」
「明日、試してみるとよかろう。なんにせよ、下層では大した情報も入ってこないのだし、その従妹殿が本当に捕まっているかを確かめるためにも、中層へ行って情報を集めてみなければならないだろうて」
「それはそうだな。今日の処は休もう」
「……そうね」
確かに、焦る気持ちだけで突っ走っても、うまくいくとは思えない。まして、こんな深夜から動いたところで、何が解決するわけでもないだろう。
「ロジーネは休憩室を使ってくれ」
「あ、うん。ありがとう」
「ほっほっ、ではわしも寝ようかの」
アーロン神父が孤児院のほうへと向かっていった。なのに、なぜかヴィーラントは動かない。
「……なに?」
「部屋まで送ってやろうと思って」
「すぐそこじゃない」
「暗いと見づらいんだろ?」
ランプを手に取ったヴィーラントは、開いた方の手でロジーネの手を握る。軽く引っ張られ、休憩室の前まで連れてこられた。
(……なんだか変な気分だわ。番だなんて言われたからかしら。ヴィーラントも、急に態度が馴れ馴れしいというか)
ヴィーラントはなにかが吹っ切れたのか、番だと明かしてからスキンシップが多くなった。好意がわかりやすくなり、不快ではないけれど、恥ずかしくて逃げ出したくなる。
ヴィーラントは休憩室の扉を開け放つと、ランプをロジーネに渡した。
「ランプはお前に預けるが、寝る前には消せよ。危ないからな」
「わかってるわ」
ロジーネが中に入った後も、ヴィーラントが立ち去る気配はない。
「あの、お、おやすみなさい」
「ああ。……その。寂しくないか?」
なんだか距離が近い。長いしっぽが、いつの間にかロジーネの腰を掴んでいる。
「な、ないわよ! ちょ、これ、離して」
「あ? ああ、すまん。無意識だ」
ロジーネが真っ赤になって怒鳴ると、ヴィーラントは頭をかきながら、「じゃあな」と孤児院の方へと戻っていく。
「……なによ。心臓に悪い」
休憩室に入ったロジーネは、そのままベッドにダイブした。
(最初に会った時はあんなにツンケンしていたのに、なんなのよ、急に優しくなって)
悔しいが、完全に振り回されている。
(ドキドキして、……なんなの、この気持ち)
揺れている自分の気持ちを制御できない。
好かれているのがわかるからうれしいのか。それともヴィーラントだからうれしいのか。
(……どっちなの? 私)
その日、ロジーネはなかなか眠りにつくことができなかった。




