11.獣人たちの国・7
「……あんたは何もかもがある世界で生きているんだろうな」
チクリ、と言葉が胸に刺さる。ロジーネは何も言えず、ただ彼をじっと見つめた。
「犯罪だと声を上げて、助けてもらえる輩ばかりじゃない。獣人の世界は弱肉強食だ。弱さはそのまま罪となる。奪われ続けた獣人は、戦おうなんて思わない。ただ諦めるだけだ。ああ、またか、と」
「そんな……」
先ほどのアルマが頭をよぎる。
物わかりよく頷いてみせたが、彼女の尻尾は寂しそうだった。諦めるのがあたり前となっているから、彼女はロジーネに何も言わなかったのではないだろうか。
(……なんだろう)
無性にモヤモヤする。子供があたり前のようにわがままを言えない世界を間近で見てしまったからだろうか。
「獣人には獣人のルールがある。あんたがとやかく言うことじゃないよ」
まるで心の中を読まれたように、ヴィーラントに釘を刺され、ロジーネは睨み返す。
「心を読めるの? あなたは」
「分かりやすく顔に出ているからだ。あんたは言いたいことを言える環境で育ってきたんだろうが、それは恵まれているからこそできることだって覚えておいた方がいいぞ」
「分かっているわよ」
わかってはいる。でも納得はできない。力がないから、虐げられても汚されてもだまっているというのだろうか。
(そんなの変だわ)
そうは思うけれど、ヴィーラントの言う通り、ここはロジーネの世界ではない。
(口を出す権利もないなんて)
唇を嚙んでいると、後ろからポンと頭を叩かれた。
「あんたは明日帰るんだ。余計なことを考えずに寝ろ」
「でも……」
自分にできることは本当にないのだろうかと、考えずにはいられない。
いつの間にか、休憩室の前まで来ていた。
「夜は冷えるから、しっかり戸締りしろよ」
「……ねぇ、ヴィーラント。あなたはこの孤児院の何なの?」
この孤児院で、アーロン神父以外の大人はヴィーラントだけだ。アーロン神父は教会の管理者であり、孤児院を運営者だろう。だとしたら、ヴィーラントはいったい何者なのか。
「俺は、……ここの出身者だ」
「え?」
「俺も捨て子なんだ。そしてこの国では、スキルがなければまともな職にはつけない。大きくなれば、皆ここを出て、ただ馬車馬のように肉体労働をさせられるだけだ」
「そんな」
「しかし、俺にはこれがあった」
彼は親指を立てて拳を作り、背中を指し示した。
「この羽根は生まれつきだ。おかげで飛べる獣人と同等の力はある。……まあ、差別がなくなるわけでは
ないがな。まあ、羽根のおかげで大渓谷の底まで飛べるし、そこでヴァイスから落ちてくるいろいろなものを拾って、孤児院の資金を捻出することができる。地上のものは高く売れるんだ」
「そうなの……」
ロジーネが思うよりずっと、獣人社会での差別も厳しいようだ。
(でも、人間社会もそうか。貴族と平民とでは、暮し向きもだいぶ違うものね)
裕福な伯爵家で暮らしたロジーネは、平民の暮らしが貧しいという知識はあっても、実際にどういう不便があるのかまではわかっていなかった。
(薬も手に入れられない。いい仕事にもつけない。よくよく考えれば、それって本当に困ることだわ。生き死に直結することだもの)
ロジーネが街に薬を卸しに行くと、領民たちは喜んでいた。ロジーネは自分自身を養う必要がないから、薬の設定価格が基本的に安いのだ。
(私の薬が効くから喜ばれているんだと思っていたけど、違う。安いからだわ。貴族の娘の道楽だとしても、安い方を選ばなければならないほど、生活が苦しかっただけ……)
そう気づいてしまえば、恥ずかしくもなってくる。
「……せめて、地上に戻ったら、私にできることをするわ」
「は?」
「うちの領土のことももっと勉強して、孤児や生活が苦しい人が少しでも楽になるように考える。あなたたちにしてあげられない分」
「はぁ? なんだいきなり」
「だって悔しいんだもの。何もできなくて!」
ロジーネは唇を噛み締める。自分は幸せに生きてきた。やりたいこともやらせてもらった。でも、そうじゃない子供たちがこんなにいることがショックだった。
「あなたは崖下で薬草を拾っているのよね? だったら私、毎日わざと多めに落とすわ。お嫁に行くまでの間しかできないけど、その間だけでも、助けにはなるでしょう?」
とりあえず思いつくことを必死に訴えるロジーネを、ヴィーラントは黙って見ている。
「あんたは……変な奴だな」
声が今迄より優しかったので、顔を上げてみたら笑っていた。
(……初めて見たかも)
眼帯をしているので怖い印象があるが、笑うとヴィーラントの顔は優しくなる。普段出していない尻尾と耳がぴょこりと出てきた。
「あ、耳」
「え? うわっ」
ヴィーラントは慌てて耳を押さえた。
「どうして隠すの? 素敵じゃない。猫耳だってかわいいわ」
「うるさいな。似合わないだろう」
「どうして? 私は好きだけど」
本心を言ったのに、ヴィーラントは頬を赤くして、そっぽを向いた。
「俺は好きじゃない! もう寝ろ。じゃあな」
「あ、ヴィーラント!」
背中を向けて行ってしまいそうだった彼を、慌てて呼び止める。
「なんだ」
「……助けてくれてありがとう。私ここで、獣人たちのことを知れて、うれしかった」
ヴィーラントはそれには返事をせずに行ってしまった。
たった一晩だけでも、ロジーネは世界が広がった気がした。自分が今まで見てきたものは、とても狭い世界だったのだと、痛感させられたのだ。




