「平和」
某国は、過去の過ちから学んだそうだ。
非武装や非核三原則なんかを立ち上げて、外から見ればその国は「平和」に見えたそうな。
でもその国の中に一歩入ってしまえば、そんなものは夢想であったと気づくことになるだろう。
「平和」とされた国の内側では、自由度の極めて高い言葉がくだを巻き、他人を傷つけながら往来する。
そしてその内側の主権たる民衆は、それに慣れてしまった。
他人を傷つけることに、なんら違和感を持たなくなってしまった。
終いには「言葉でなにか言われたくらいで」「そういうのを受け流すのもまた一流の役目」なんて主張がボリュームを増すなんて次第だ。
そうして悲劇は偶然から必然になっていく。
緩んだ意識は波となり「そういう思想」に寄っていた人びとの背中を押す。
凶刃、凶弾。
私たちはそれらに、知らずのうちに加担しているかもしれない。大衆の作り出す空気とは、それほどに大きいものだ。
どんな悲劇でも、人を殺す理由に足るものではない。
それはたとえ親しい人を殺されていたとしても、また超有名人を殺されたとしても、だ。
「目には目を、歯には歯を」という言葉がある。
だが「力には力を」ではいけないのだ。
報復は誰も報われることがない。また新たな憎しみを生み出し、連鎖を大きくするだけだ。
その連鎖の刃がすぐそばをきらめいていて尚、この国の民衆は「平和」を無意識に確信して生きている。
私だってそうだった。この国は「平和」だと思い込み、どこかで安心して。疑うこともしなかった。
でも、それは違った。
なら、平和とは。
平和とは、一体何なのだろうか。
清廉潔白なテレビジョンや政治が平和だろうか。
いじめが横行する教育機関が、自殺者があとを絶たない現状が平和だろうか。
そしてあなたは、本当にそれらと無関係だろうか。
この機会に、ぜひ考えてみてほしい。
平和とは。
なにか思うところがあれば、是非コメントしていってください。なんでも構いません。そのコメントが平和を考えた結果出たものだとするならば、私はその全てに敬意を示して目を通します。




