第八話:男と女
「アル、俺だ」
ドアをノックしながら叫んでいるのは、第一機動隊のリーダーである黒豹獣人のカークだった。アルの宿泊先がワーカーズ・インである事を、昼間の内に伝えておいたのだ。
「支度金を持って来たぜ。ついでだから、一緒にディナーへ行こう」
「ありがとうございます」
部屋に戻ってから、色々と整理した内容を手帳へ書き込んでいたアルは、その手を止めて即座に応答した。
(予想通り、三食共にギルドのレストランだな)
静かに溜め息をついてドアを開ける。
「夕飯は一人銀貨二枚で食べ放題なんだよ」
入り口で支払いを済ませると、カウンターに寄って飲み物を頼む。ここでも一杯ずつ前払いだった。
「アルは十六歳なのか。だったらラガーくらい飲めるようになっておけ」
強引に押し付けられた。
まだ早い時間だったらしく、二人の他には誰も客が居ない。
「乾杯!」
部厚いガラス製のジョッキを持ち上げる。
(苦いな)
リーダーの真似をしてゴクゴク飲んだアルは、初めての味に眉をひそめた。
(大人になると味覚が衰えて、強い刺激が必要になるのか?)
まだ自分は子供の舌だと判断する。
「今週はワーカーズ・インを取っていたんだな。では来週から基地へ移れば良い」
付き出しは、素揚げの芝エビに粗塩が振られた小鉢だった。それとは別に、ピクルスの盛り合わせを頼んである。
「それまでにも、訓練場なら何時でも使って構わないぜ」
誰か暇を持て余している者が居るので、気軽に相手をしてくれるらしい。
「街の南側は開発が進んでいるから、広大な牧場が運営されているんだ」
今夜のメイン料理は、特大のスペアリブだ。指で摘まみ易い様に、両側から骨が突き出している。
「お待たせしました」
付け合せには、大量のマッシュポテトが用意されていた。昼間は一人だったウェイトレスは、狸獣人の若い娘が増えている。
「軍が魔物を徹底して討伐した後は、ギルドメンバーである<牧羊剣>の奴等が維持しているのさ」
そこにも頑丈な基地が設営されており、三十名を越える冒険者達が常駐しているのだ。
「今では羊だけではなく牛や豚に鶏まで、帝国でも有数の畜産地に成長したんだぜ」
その言葉からは、湖の幸と共に帝国の食糧を支えている、という自負が窺えた。
「俺達の<第一機動隊>が担っているのは、北東から来る魔物の脅威を食い止める事だ」
胸を張って自慢するリーダーは、口の周りがスペアリブの脂でベトベトである。
「北東に存在する<太陽の大山>からは、季節を問わず魔物が降りてくる。どうやら山頂付近には、大きな魔素溜りが在ると予想されいるんだ」
但し、標高千メートル近い山の上部は、未だに誰も攻略できないでいた。
「と言う訳で、ウチは魔物と闘う機会に一番恵まれているのさ」
危険は多いが強く成れる。
運良く生き残る事ができれば、莫大な資産も形成できるのだ。
(しかし、運良くなんて言っては駄目だろう)
アルは心の中で突っ込んだ。
「お代りしてくる」
空いたジョッキを持ち、カークがカウンターへ向かう。
(飲み物はグラス交換制なのか。自分で行って前払いしなくてはならないから、泥酔するまで飲み過ぎる心配も無い)
良い仕組みだな、とアルは感心した。
赤ワインのハーフボトルとグラスを二つ、カークは嬉しそうに持って帰って来る。
「明日はどうするんだ」
ミートソースたっぷりのパスタを食べながら、カークが尋ねた。
「バザールへ行こうと考えています。シスター・マリアンからも、一度は観ておいて損はない、と言われました」
二杯めからは、炭酸水に切り替えていたアルが応える。
「おお、そうか」
カークは何かに気付いた様子だ。
「アルは記憶喪失だったな。バザールはこの街の名所の一つだから、是非行っておけ」
そう言って考え込む。
「……スリや置き引きに気を付けろ、と言っても難しいだろうな。ウチから案内人を連れて来る」
明日の朝食時に紹介される事になり、これで四食連続が決まった。
「どうだ? もう一杯」
カークは空になったパスタの皿を持ち上げる。
「いえ、もう充分です」
腹八分目を大幅に越えたアルは断った。
「そうか、では終わりにしよう。おーい頼む、お茶をくれ!」
それは締めの合図だった様で、ウェイトレスが無料で配膳してくれる。
二人が食事を終える頃には満席になっており、ロビーに順番待ちの者達が屯している程だ。いずれも柄の悪そうな厳つい男だった。
「夜食にでもすれば良い」
持参した籠に食べきれなかった料理を詰めて、カークはアルへ渡してくれる。
(こうして俺がリーダーと一緒に居る姿を見せておけば、変な奴等に絡まれる心配が無くなるのか?)
アルは考え過ぎかも知れないと思った。
◇◇◇
「初日は無事に終えたぜ」
とある一室で男は言った。
「ちゃんと言い付け通りに動いてくれた、素直な良い子みたいだね」
女が笑う。
「スパイかヒットマンか、まだ判断できない」
男が続ける。
「猫の首には鈴を着けてある、と言っても油断禁物だわ」
二人は頷き合い、男が部屋を出た。
◇◇◇
「おはよう」
約束通りに朝の鐘が鳴ってから冒険者ギルドへ行くと、既にカークは来ていた。一緒に居る小柄な女性はホビットだ。
「おはようございます、遅くなりました」
アルは軽く頭を下げる。
「気にするな。先ずは紹介しよう、レイラだ」
カークが言った。
「初めまして、アルタイルと申します」
改めてお辞儀する。
「……宜しく」
無表情で応じた彼女は、明るいブラウンの髪が印象的だ。クルクルと自由に向いた巻き毛は、不思議なバランスを保っている。
「彼女はこの街の出身で優秀な斥候だから、案内役には最適だぞ」
朝食を摂る間に、カークが教えてくれた。しかし寡黙な彼女は黙ったまま頷くだけだ。
時折アルを品定めする様な視線を投げ掛ける。
(人見知りだな)
アルはそう判断した。
(まあ、うるさく無い方が、落ち着いて街を見て回われるだろう)
「じやあ、またな」
朝食を終えるとカークは独りで行った。
「それでは宜しくお願いします」
「……分かった」
相変わらず距離を置いたホビットの女性は、アルの肩までしかない身長だ。そこから上目遣いで見つめられると、何故かソワソワしてしまう。
「……アルタ、今日のデートコースのプランは?」
円らな瞳で尋ねられた。
(人見知りかと思えば、いきなりかよ)
少しドギマギしながら、行動予定を伝える。
「教会は入院していたから知っています。だからお城と軍の基地を見たいと考えていました」
色々と見聞する事で、記憶を取り戻すキッカケが得られるかも知れない。
「その後はバザールを見物して、ランチには屋台を巡って楽しみたいですね」
レイラは無言でコクコクと頷いた。
「……今日の日当は半金貨一枚。アルタが昨日貰った筈の、支度金が狙い目」
みも蓋もないセリフだが、包み隠さず本音を聞かせてくれるのは、ある意味分かり易くて良い。
「……お互いの利害関係は一致した」
打算が働いたお陰で、彼女の人見知りは解消された様だ。
「……こんな綺麗な顔を眺めながら、お金が貰えるのは役得」
レイラはアルを見上げて行った。
(心の声が漏れているぞ)
仕方がない割り切ろう、と観念したのである。
続く