第六話:銅貨七枚半
「はううっ」
アルタイル少年とのペアリングが成立した瞬間、エルフ魔女のエマは背を仰け反らせて悶えた。
「はぁはぁ……」
胸を押さえて荒い息を付き、カウンター内の椅子へ座る。
「……ねぇ、少し時間をちょうだい」
冷めてしまったお茶を飲んだ。
「ふぅ、驚いたわぁ」
何処からか取り出した水晶玉を幾つも弄び、その全てをピカピカと光らせてから言った。少しだけ語尾が妖しい。
「明日のランチ……いいえ、大事を取ってディナーにしましょう」
もうひと口お茶を飲もうとして、空なのに気付いて舌打ちする。
「明日の夕方に、もう一度此処へ来てね。腕に縒りを掛けてご馳走するわ」
潤んだ瞳と紅潮した頬は、十六歳の少年にとって危険過ぎた。先程、彼女が自ら押さえていた胸が、とても薄かった事実が無ければ、街の憲兵に逮捕されていただろう。
「それじゃあ、またね」
結局なにも買わずに店を出た。
(いや、指環を貰ったか)
何の変哲の無い金色をした円環体だが、初めて嵌めた指環に微かな違和感を覚える。
(どんな価値があるのか分からないが、悪い効果は無さそうだ)
何気無く振り向いたら<エマの道具屋>という看板が見えた。
◇◇◇
(流石にシスター・マリアンが、奨めてくれた店だけはある)
雑貨店で細々した道具や消耗品を選んでいるが、どれも良心的な値段であり予算内で希望する物が揃えられそうだ。
「こんにちは」
「邪魔するぜ」
アルが精算を終えた購入品を教会のバッグへ収納していると、二人組の男が店に入って来た。樽の様な体型をした黒人の大男と、引き締まった手足の長い狼獣人の男だ。お揃いの鮮やかな青いマントが、とても目立っている。
「どうだい、変わり無いか?」
「何か有れば、直ぐに呼んでくれ」
二人共に使い込まれた防具を装備して、物騒な剣を腰に差していた。如何にも荒れ事に慣れた雰囲気を漂わせているが、とても気安く店主へ話し掛けていたのだ。
「巡回ご苦労様です。ウチは大丈夫ですよ」
店主は普通に対応する。
「よし、分かった」
「邪魔したな」
二人は店内を見渡し、直ぐに出て行く。
(今のが警邏隊の巡回か)
アルはマリアンの説明を思い出した。
(冒険者ギルドに依頼が出されている仕事だな)
治安維持の為に憲兵は居るが、公共事業の一環として冒険者ギルドも請け負っている。
(これで午前中の予定は完了したぞ)
満足して雑貨店を出たアルは、一旦荷物を置きに宿へ戻った。その後は街の中央にある、噴水公園へ向かうのだ。
そこの南側の広場では、大規模なバザールが常時開催されている。今から行くと丁度お昼時になるので、屋台の食事を楽しもうと考えていた。
(冒険者ギルドへの登録、宿の確保、装備と小物も揃えられたな)
途中でエルフの魔女に絡まれるイベントは発生したが、無事に当初の目的を達成できたのである。
◇◇◇
「おや、君は」
装備一式を着用したままワーカーズ・インを出た処で、黒豹獣人に声を掛けられた。アルを助けてくれたリーダーだ。
「回復したのか、良かったな」
親しげな笑顔で隣へ並び、バシバシと肩を叩かれる。革鎧の上からでも結構痛い。
「……その節は、お世話になりました」
なんとか絞り出す。
「いや、済まない」
突然の出逢いで硬直したアルに、漸く気付いた黒豹獣人は態度を改める。
「まだ名乗っていなかったな。俺はカークだ」
堂々とした態度が頼もしい。
「改めまして、アルタイルです」
宜しくな!
アルの挨拶に迫力のある笑顔で応じる。
「此処で立ち話も不粋だし、折角なので一緒にランチを食べよう。快気祝いだ、奢るぜ」
有無を言わせぬ押しの強さだった。
「やはり、この店が妥当だな」
黒豹獣人のカークが選んだのは、冒険者ギルド内のレストランだった。朝と昼の二食続けて同じ店なのだが、遠慮したアルは言い出せない。
「日替わりランチは安くてボリュームがあるから、財布にも身体にも優しいんだぜ」
入り口でカークが前払いしたのは、銀貨一枚半だった。二人分の昼食代で、素泊まり一泊と同じ金額である。
まだ混み始める前の時間だったので、待たされる事無く着席できた。
「はい、日替わり二つ、お待たせ」
既に用意されていたのか、席に着くと直ちに配膳される。
朝には居なかったウェイトレスは、ポニーテールの赤毛とソバカスがチャーミングな若い女性だ。エンジ色で半袖のワンピースに、どちらも白い衿とエプロンが似合ってた。
「アルの回復を祝して」
カークは白ワインのグラスを顔の高さで持ち、軽く中身を揺らして乾杯の仕草をする。
「貴方への感謝を」
アルも炭酸水のグラスで同じ仕草を返した。
「気持ちだけ受け取ろう。冒険者をやっていれば、当たり前でお互い様だ」
さり気なく告げてワインを飲む。
「さあ食おう」
嬉しそうな迫力のある笑顔で、ナイフとフォークを手に取った。
「やっぱり旨いぞ」
白身魚のフライを堪能したカークは、口髭にタルタルソースを付けている。
「だから俺は毎日、三食ともこの店なんだよ」
二枚貝の入ったスープを飲んでいたアルは、どうにか吹き出さずに耐えた。
「尤も夜は酒がメインだけどな」
カークは続いて山盛りのパスタへ取り掛かる。
「ここのパスタは、週替わりで練り込まれている食材が変わるんだぜ」
今週はホウレン草だ。
「結構な量でした」
カークに遅れること五分程度で完食したアルは、かなり満腹していた。
「これで銅貨七枚半なんだから、とてもリーズナブルだろう?」
何故か自慢気なカークだ。
「この後アルの都合がよければ、他のメンバーに紹介したい」
アルは彼の提案に従う。なにせ命の恩人なのだ。
「よし、それでは早速行こう」
カークはしなやかな動きで席を立つ。
「ウチの基地は北東に在るんだ。少し歩くが、食後の腹ごなしには丁度良いぜ」
冒険者ギルドを出た二人は、街中を巡回している乗り合い馬車で東門を目指す。統一料金の銅貨一枚だけで、街の各門へ移動できるのだ。
門から出るには、市民証と冒険者ギルドのドッグタグのどちらかを提示すればフリーパスだった。
街の東門を出て街道を外れ、林道を通って北へ進む。結構速いペースで歩き、二十分が過ぎた頃に見えてきた。
(……要塞だ)
アルの眼に映ったのは、物々しい設備と建物の一群である。
「あれが俺達の所属する<第一機動隊>の基地だ」
道中でカークから説明されていたが、実際に見ると中々の迫力に圧倒された。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
武装した門番と簡単に挨拶を交わし、アルを連れたカークはスタスタと歩いて行く。
「こんにちは」
「ご苦労様です」
カークは厳つい雰囲気の中を、意外とアットホームな挨拶に応じている。
「あそこが本部だ。今残って居る奴等だけだと少ない筈だから、あまり緊張しなくても構わないぞ」
硬い表情のアルに気安く声を掛けると、カークは大きな建物へ入って行った。
続く