第四話:ウェストレイクの街
「お前がアルだな、待ってたぜ」
冒険者ギルドの受付に居たのは、肩から先の左腕が無い大男だった。しかも顔の右側を貫く、額から顎まで達する太い傷痕が目を引く。右目を眼帯で隠しているのは、間違いなくそれが原因だろう。
怪我の為に引退を余儀無くされた冒険者の再雇用なのか、十メートル四方のカウンター内には同じ様な男ばかりが三人も居た。
「話は聞いている」
ゴロゴロと腹の底へ響く低音で無愛想に言い放つと、無造作にカウンターの上へジャラリと置く。細いチェーンが付いた、青銅製のドッグタグだ。
名前は<アルタイル>と刻印されていた。
「新人用だ」
一枚の薄い板を取り出して横へ並べると、ゴツゴツした太い指でペンを差し出す。
「名前を書け」
予めプロフィールが記載されており、署名欄だけが空白だった。記入し易いように向けてくれていたのは意外だ。
「保険で使った分は、早めに稼げよ」
それで終わりだった。
「モーニング・セットを頼みます。飲み物は炭酸水をください」
冒険者ギルド内で営業中のレストランへ寄り、アルは朝食を摂る事にした。
入り口で半銀貨一枚を支払いトレーを受け取る。レジに居たのは若い男だが、右足が無かった。
隣のカウンターへ移動すると、無言で黒パン二つとベーコンエッグにポテトサラダ、コンソメスープを載せられる。三つに区切られた箱から、ナイフとフォークとスプーンを取り出し、最後に炭酸水のグラスを受け取って全てが揃う。
厨房内のスタッフも全員が男だった。
(入院中はシスター・マリアンが世話をしてくれていたな)
椅子が五脚並んだカウンターの端に席を取り、建物の中を見渡しながら食べる。
彼以外に三組の客が居た。
四人掛けのテーブルが八席あり、男同士の二人連れが二組と女が三人だ。誰も周囲を気にせず、それぞれに会話を交わしている。
(特に不自由なく行動できるなんて、記憶喪失とは不思議なモノだな)
固い黒パンをスープに浸して食べ、カリカリに焼けたベーコンの歯応えを楽しむ。卵の黄身までシッカリ火が通っているのは、蓋をして焼いたからだろう。
(こんな事は分かるのに、自分についての情報は思い出せない)
難しい顔で食事を終えた。
冒険者ギルドの受付前にあるロビーには、三人掛けのベンチが幾つか置かれている。今は誰もいない処へアルが座り、先程受け取ったドッグタグを首に掛けた。市民証よりもチェーンが長く、少し下側に位置する。肌着と上衣の間へ収めた。
(この街の地図が掲示されているぞ)
シスター・マリアンに受けた説明を思い出しながら、簡素化された模式図を眺める。
(中央に領主のお城があり、東の軍と西の教会が並んでいる。北が貴族街で南に農工商と冒険者ギルドがあるんだな)
ほぼ円型をした街の南西部に彼は居るのだ。
(街の北には大きな湖と高い山が聳えていて、西側へ大河が流れている。東と南は大平原が広がっており、東の街道は帝都へ、南の街道は副首都に繋がっている)
太い矢印が描かれていた。
この街の名前である<ウエストレイク>は、帝都の西にある湖が由来だった。そこは<太陽の大湖>と呼ばれ、勿論<太陽の大河>が街の西を流れているのだ。
現在はへルマン公爵が治めており、湖の幸を帝都へもたらす要地として栄えている。
情報を整理した。
(俺が保護されたのは北東の山裾らしいが、何故そこに居たのか分からない)
暫く地図を眺めていたが、四時間おきに鳴る教会の鐘の音を聞いて我に帰る。朝の八時だ。
(この時間ならば、全ての店舗が営業を始めるのだったな)
アルは荷物を担いで外へ出た。
◇◇◇
「個室を一週間頼みます」
冒険者ギルドの隣が提携の宿泊施設で、看板にはワーカーズ・インと表示されている。古い三階建てだが厩舎や駐車場は無く、徒歩の利用客だけが対象の様だ。
「アンタ初めてだね。一泊銀貨一枚半だけど、デポジットで銀貨十二枚預かるよ」
アルは言われた通り一日分多く支払った。
受付は中年のポッチャリした女性で、狸獣人らしく愛想が良い。
「宿帳に書くのは名前だけで構わないわ。部屋は三階の六号室で、外出する時は忘れずに受付へ鍵を返しておくれ」
三階六号と刻まれた木札と共に、真鍮製の鍵を手渡される。
「各部屋に置いてある利用の手引きには、当たり前の事しか書いていないけれど、チャンと読んでおくんだよ」
まだ若いアルの姿を見て、受付の女性は親切に教えてくれた。
(本当に当たり前の事しか書いていない)
部屋に入ったアルは、先ず最初に利用の手引きを確認して、その内容を理解する。
(部屋を汚したり備品を壊さない。盗まない。共用施設のトイレやシャワールームの使い方、自炊の際の注意点。どれも当たり前だ)
基本的に素泊まりなので、各種施設を利用するには別料金が必要だった。
(では、買い物に行こう)
◇◇◇
「いらっしゃい」
カランカランとドアベルを鳴らして入店すると、厳ついドワーフの店員が出迎えてくれる。冒険者ギルドの受付程ではないが、この男も結構な迫力の持ち主だ。
「初めまして。装備一式を金貨十枚で揃えたいと考えています」
教会のマークが刺繍されたバッグを降ろし、ドワーフの店員へ話し掛けた。
「前に使っていた物は、どれも駄目になってしまいました」
相手が無言で頷いたのを確認すると、顎で示されたカウンターへ中身を並べ始める。
(せめて剣と革鎧だけでも、納得できる物を揃えたいな)
アルが持ち込んだ壊れた装備品を、険しい表情で吟味する店員を黙って見つめ、心の中で呟いた。
「よく生きていたな」
革鎧に残った鋭い切り口を慎重に指で辿り、アルの顔をギョロリと睨んで言う。
「ミスリルじゃない剣に魔力を流し過ぎたから、こんな折れ方をしたんだ。よく覚えておけ」
破断面を見せつけられた。
「上級僧侶に治療して貰えたのか。幸運な奴だ」
コンコンとヘルメットを叩いて溜め息をつく。
「女みたいな顔をした優男だと思ったら、トンでもなく激しい戦闘の跡を突き付けらてしまったぜ」
第一印象とは正反対に、このドワーフ店員は饒舌だった。
「どれも使い込まれていて、お前の体格にピッタリ合っている。その若さで、一体どれだけの修羅場を潜って来たんだよ」
少しずつ声が大きくなってきた。
「それが……覚えていないのです」
アルの言葉に反応した店員は、驚く程に背筋を伸ばす。
「お前だったのか」
真ん丸に眼を開いた。
「フィリップが拾ったという、殺しても死なない奴は!」
いきなり店の中を歩き回り出した店員は、アルの顔を見つめ続けている。
「何だって俺なんかの店に……って、どうせシスター・マリアンの入れ知恵だろう」
遂には頭を抱えて蹲ってしまった。
「お前も覚えておけ。あの二人からは逃げられないんだ」
憔悴したドワーフ店員は、訳の分からない事を語り始める。
「特にお前程の美少年は、既にガッチリと囲い込まれてしまったと覚悟しろ」
美少年?
「仕方がない、ヴィクトリアにツケておくぜ」
知らない名前だ。
「今は三本しか在庫が無いミスリル製の剣だ。その代わりクラッキング・ビートルの革鎧で我慢しろ」
両手を振って叫び始めた。
「靴は重要だから、アーロンに見て貰え」
店の奥へ向かって、大声で出て来いと呼んだ。
(この店は黒豹獣人のリーダーが利用している、とシスター・マリアンに教えて貰ったから、おかしな事にはならないだろう)
それでもアルは警戒する。
(予算が少ないから、慎重に選らばなくてはならないぞ)
続く