第四十七話 無
「この野牛、獣兵衛をそう簡単に討ち取れると思うてか? 」
「何があったか知らないが、このジュラスを相手に大した自信だな。その狭くなった視界で勝てるつもりか? 」
そう言いながらジュラスはジリジリと獣兵衛の右側へと移動する。
「それで死角に入ったつもりか? 」
獣兵衛は左目を閉じた。
「視覚ではなく聴覚で、このジュラスの動きを探ろうというのか? 無駄無駄無駄っ! 視覚は光、聴覚は音。この刹那の時間差が命取りと知れっ! 」
ジュラスは連続で斬撃を繰り出した。確かに音で間合いやタイミングを計れる速度ではなかった。だが獣兵衛は的確に刀でそれを受けきった。
「直感的なものか… 確か心眼とか言うんだったな。だが… 」
ジュラスが妙に思ったのは崖の上では力ずくで圧倒していたというのに今は難なく受け止めていると云う事実である。
「この短い時間で何があった? 」
「男子、3日会わざれば刮目して見よ、と云う。男子に限らずとも、学び修めたる者は日進月歩。絶え間なく成長しているものだ。」
3日どころか3時間と経ってはいない。それでも確実に何かが違う。ジュラスも警戒はするが、まだどう変わったのかまでは掴めていなかった。お互いに会っていなかった時間は同じでも、獣兵衛はジュラスに何の変化も感じてはいなかった。そして何度か刀を交えて判っている事はジュラスの攻撃に属性が無いと云う事だった。そこで獣兵衛はブレンの言葉を思い返していた。相手に有利属性が無いのであれば風か無だが、風は全てに強いが全てに弱いと言っていた。ならばとどめの一撃に用いるべきであろう。獣兵衛は無の穏形印を結んだ。
「ルーツっ! 」
獣兵衛自身も初めての召喚なので戸惑っていたが、ジュラスの戸惑いは、それ以上だった。ルーツは獣兵衛の右目の眼帯を弾き飛ばして現れた。
「しょ、召喚獣だと!? 」
「我が右目に宿るは獣の力。獣を招きて悪を絶つ。貴様の勝機は失せもうした。」
属性が無いのであればルーツとジュラスの力勝負である。そして全ての初源、根元、根幹を司るルーツは召喚者の魔力ではなく強さそのものを力に変えていた。偶然ではあるが、獣兵衛には幸いした。今まで剣士、侍として戦ってきた獣兵衛には、この時点では使える属性など無かったのだから。まるで荒ぶる神が如く暴れるルーツにジュラスは為す術を持たなかった。と同時に、3日も経てば獣兵衛もまた魔王軍において真の脅威になり得ると感じていた。そうであれば、たとえ刺し違えてでも今のうちに倒すしかない。ジュラスはそう判断した。
「なるほどな。何年もの間、何の成長もしなかった男が、この僅かな時間でこうも変化を遂げるとは判らぬものだな。どうせなら、その力を以て勇者と共に攻め込んでいれば結果も変わっていたかもしれぬのにな。」
「過ぎた事を悔いても始まらぬ。天魔袱滅っ! 」
それは現時点の獣兵衛にとって最大の必殺技である。それでも、先ほどまでならジュラスを捉える事すら出来なかっただろう。
「や、厄介者が一人増えたという訳… か… 」
獣兵衛は弾け飛んだ眼帯を拾い上げた。そこにはルーツが飛び出した時の穴が綺麗に空いていた。
「毎回、これでは幾つ眼帯が有っても足らぬな… 。そうだ。」
獣兵衛は懐から刀の鍔を取り出すと紐を通して右目に当てた。
「うむ。これならば、いちいち眼帯に穴を空けずとも済むであろう。子供達の所に急ぎ戻らねば。」
獣兵衛もまた、魔王軍と戦う能力を得て合流を急いだ。この結果を知った魔王は機嫌を損ねていた。
「貴様ら、我が傷を癒す間に何をしておった? 」
魔王からの問いに答える者はいなかった。勇者が城に攻め込んで来た時、八套からは誰一人犠牲者はいなかった。それが今回は城に攻め込まれる以前にアグニス、トルトニス、ジュラスと犠牲が出ている事に魔王は憤っていた。八套が衰えるには短すぎる時間だったが勇者の仲間が成熟するにも、勇者の子供達が成長するにも充分な時間であったようだ。だが八套には変化を感じない。劣化もしていないが進化もしていない。
「もはや猶予はならぬ。奴らの成長などという悠長な事を言っている場合ではない。」
魔王はクロノアに釘を刺した。クロノアもそれは理解している。既に八套が倒されている。クロノアからしても狩り頃だと思っていた。
「全力をあげて一人でも多く奴らの戦力を削るのだ。」
魔王も、もはや倒せとは言わない。それは魔王も危機感を覚えているのだろう。
「どうする? あいつら一対一でも、まともにやり合うようになってきたぞ? 」
「俺には望むところなんだがな。特にガキ共と侍野郎は。」
グラウドの問いにクロノアはブレンと絡んだ4人に興味を示していた。裏を返せば魔王の言うとおり戦力を削るには元勇者のパーティーを先に叩くべきであろうと云う結論に達するのに時間は掛からなかった。
「なぁに、実力が迫って来たって言ったって奴らが集結する前なら、こっちの方が人数的に優位なんだ。始末出来るさ。」
「人数的優位… だといいんだが。」
クロノアの視線はエニグマに向けられていた。




