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4 初デート

 

 デートの日はあっという間にやってきた。服、髪型、メイク……決めなければならないことは山ほどあり、デートの何日も前からアンナはそわそわしていた。


 彼女はピンクやライトブルーなどの淡色系よりも、ネイビーなどのくっきりした色合いのほうが似合う。色が白いのでパステルカラーも似合わないわけではないのだが、紺系統のほうがより肌にマッチするのだ。けれどデートだから可愛らしい色味を選ぶ? それとも地味であっても自分に似合うもののほうがいい? 


 乙女心爆発で悩みに悩んだ末に、やはり自分に合うものにしようと決めた。そのぶん髪飾りや靴など、どこかにワンポイントで差し色を入れれば、今日という日を楽しみにしてお洒落を頑張ったのだと、きっと彼にも伝わるだろう。


 清楚なデザインのドレスを身に纏ったアンナは、髪型は派手さがなくても凝ったものにしようと考えた。男性は髪の編み込みのちょっとした違いには気付かないだろうけれど、細かいところに力を入れることで、自分の気持ちが上がる。


 両サイドを編み込みにして、少し崩して甘さを出す。後ろで複雑な花のような形になるよう纏めたあと、左右を確認して出来栄えに満足した。さらにパールの髪飾りをつけると、勇気が出てくる。


 ……素敵な男性と出かけるために外見を飾り立てる日が来るだなんて、少し前まではまるで想像もしていなかったわ……とアンナはひとりごちた。


 濃過ぎないように自分に合ったメイクをして――これにて終了。緊張しながら待っていると、約束の時間の少し前に彼が迎えに来てくれた。


 玄関口に出て行ったアンナを見て彼が微かに驚いたような気配があった。感じ入っているかのように少し時間を置き、眩しそうに瞳を細めて、淡い笑みを浮かべる。


「髪型、とっても素敵だね。全てが君に合っていて、可愛い」


 まるで春風のように爽やかに褒めるものだから、アンナは思わず瞬きをし、その後込み上げてきた嬉しさで頬が熱くなってしまった。お洒落をして褒めてもらって、こんなに幸せな気持ちになるだなんて知らなかった……。


 彼の誉め言葉は社交辞令という感じがしなくて、『ここを褒められたら嬉しい』というところを、やりすぎない誠実な態度で口にしてくれるので、素直に心が浮き立つのだ。


 幸先良く勇気付けられたアンナは、先日友人のエルミーヌから「彼に会ったら、縁談についてどう考えているのか訊いてごらんなさいよ」と言われたことを思い出していた。勢いがある内に、それを尋ねてしまおう。


「あ、あの、ベルナールさん」無意識に拳を握り気合を入れる。「父からその……私とのその……婚約について聞いていらっしゃいますか?」


 アンナからの問いに、ベルナールは物思う様子で彼女を見つめる。


 彼に見られていると思うだけで舌がもつれそうになりながら、アンナは一生懸命続きを述べた。


「突然の話で、私、びっくりしてしまって……だって……あなたがどういうお考えなのか、分かりませんし……」


 最後のほうは消え入りそうなほど小さな声になってしまった。そのいっぱいいっぱいな様子のアンナを前にして、ベルナールは切なそうに瞳を細めた。


「本当は、もっとゆっくり進めたいと思っていたんです。あなたがとても素敵な人だから――少しずつ僕のことを知ってもらって、それで好意を抱いてもらえたらいいなって。……僕には家族がいないし、この縁談はとてもありがたい話だった。だけど――仕事ばかりしてきた男だから、もしかすると君を退屈させてしまうかもしれない」


 なんとなく……先の問いに対する彼の答えは『君の父上に世話になっているから』とか『騎士団内の暗黙のルールで、そろそろ身を固めないといけない』とか……ある程度ドライな状況説明になるものとアンナは覚悟していた。


 けれど完全無欠に見える理想の男性の口から出た台詞は、思いがけず心細そうで……それを聞いた途端、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。彼に弱く出られると胸がきゅうっと苦しくなって、心配しないで大丈夫よと必死で訴えたくなる。


「あなたが退屈だなんて、そんなことあるはずないわ。だって私はあなたといるとすごく楽しいもの」


「じゃあ、一緒だね。僕も君と一緒にいると、すごく楽しい」


 ベルナールの笑みはアンナを優しく包み込むようで、まるで月の光のように穏やかだった。


「これから先も互いに気持ちを確認し合って、共通した素敵な思い出が増えていくといいなと思う」


 そう前向きに語る彼の様子がなぜだかあまりに寂しそうで、迷子になった子供みたいに見えたので、アンナは『本当に私で構わないのですか?』とは訊く気がしなくなっていた。


 ――だってその確認に何の意味があるだろう?


 アンナ自身が彼と一緒にいたいと強く思ったのだ。そして彼もアンナと共にいると楽しいと言ってくれた。それで十分だ。時が流れてもずっと彼がそう感じ続けてくれるように、これから先も彼を大切に慈しみたいとアンナはこの時思った。



 ***



 街歩きの途中、大きな建物の前で彼が足を止めた。


 古い煉瓦(れんが)造りのその建築物は、通りのぎりぎりまで壁がせり出していて、城門を思わせるアーチ型の開口部が正面についていた。その扉は現在内側に開放固定されており、向こうにはタイル貼りの中庭が広がっている。雑居タイプの建物らしく、幾つかの店が営業しているようだ。各店の入口は通りには面していなくて、一度中庭に入ってからそれぞれの店に入る仕組みになっていた。こういった構造のせいか、中はひっそりしていて隠れ家的な趣が強い。


 ベルナールが注意深く建物全体を観察しているようなので、アンナは彼の端正な横顔を見上げて尋ねた。


「どうかしましたか?」


「いや……この裏通りは初めて来たのだけど……こんな建物があったのかと思って」


 職業柄興味があるのだろうと察して、アンナは笑みを浮かべていた。


「せっかくだから入ってみませんか?」


 この提案にベルナールは微かに驚き、瞬きしたあとで、じっとアンナを見つめてしまった。


「寄り道も楽しいわ、きっと」


 ……君のおねだりに逆らえるはずもないと考えながら、ベルナールも微笑みを浮かべる。


「そうだね、ちょっと寄ってみようか」


 入口から奥行きが読めない建物に彼女を入れたくないという気持ちもあったが、それは心配が過ぎるというものだろう。ベルナールはアンナにいちいち小言を言うような夫にはなりたくないと考えていた。それで愛想をつかされたりしたら困るし、彼女が叱られたと感じて悲しい顔をしようものなら、おそらくベルナールは死にたくなる。


 アーチ状の入口をくぐり中庭に入ってみると、植物が綺麗に配置してあったり、凝った彫刻が飾ってあったりと、雰囲気は悪くなかった。雑貨屋や飲食店などが店を構えているようだが、アンナはその中でも、右手奥の薄暗い一角に注意を引かれた。


 あれは……占い屋かしら? なんだかとっても雰囲気があるというか、すごく当たりそうな気がするのだけれど……。


「占いがしたいの?」


 ベルナールに尋ねられ、思わずこくりと頷いてしまう。


 ……そうなの。とっても興味があるわ……。


 好奇心旺盛なので、どんな占いなのだろう? と想像が止まらなくなっている。キラキラと瞳を輝かせている可愛い人の期待に背けるはずもなく、ベルナールは彼女をエスコートするようにして、占い屋の店内に入った。熊の寝床のように狭くて圧迫感のある空間だとベルナールは思った。


 小さなテーブルの向こうに小柄な女性が腰掛けている。頭から紗のベールをかぶり、鼻から下も覆い隠しているので、顔立ちははっきりとは分からない。店主はベルナールを見て、なぜかぎょっとしたような目付きになった。


「何か?」


 鋭い視線で彼が尋ねると、女は慌てて口をもごもごさせている。


「いえ……すごいオーラだな、と」


 何をわけの分からないことを言っているんだと、職務質問に移行しかけたベルナールであったが、なぜかこの台詞に食いついたのが傍らにいるアンナであった。


「すごい、あなたオーラが見えるんですか?」


「いや見えるっていうか……唐突にどえらい美形が来たなと思っただけ……」


 女はぶつぶつと挙動不審に返すのだが、なんだかその洗練されていない小者ぶりが悪党であるとも思えなくて、ベルナールも警戒を解いた。


「占いましょうか? おかけください」


 愛想もなくそう促され、二人は背もたれのない椅子に並んで腰掛けた。アンナは瞳を輝かせているが、ベルナールのほうはすっかり表情を消している。占い師に向ける視線はほとんど詐欺師を見る時のそれであり、馬鹿馬鹿しい嘘を一つ二つつかれても、危険がないなら別に構わないか……という程度の感情しか有していなかった。


 占いはカードを使うようで、派手派手しく卓上に据えてあった水晶玉らしき物体を雑に端にどかし、店主がカードを卓上に並べていく。雑なセルフプロデュースだな……ベルナールは凪いだ視線で観察していた。


 神秘性を保つために、もうちょっとキャラクターを固めたほうが良いのではないか……?


 よく見ると筒に入った思わせぶりな赤い矢だとか、怪しげな壺だとかが足元に放置してあって、適当感と乱雑ぶりが半端ない。


 誕生日や好きな数字などを気まぐれのように尋ねられて、こちらがそれに答えるという工程が終わり、占い師の女がカードを返し始めた。裏面には絵柄が描かれており、それぞれに固有の意味があるらしい。


「うん……?」


 微かな唸り声と共に女の手がピタリと止まる。


「なんですか?」


 アンナがわくわくした様子で尋ねると、女はベールの下で露出している眉をきゅっと寄せ、恐る恐るといった風情でベルナールを見遣った。


「かなり混沌とした……騒ぎが見えます。これから先、おそらくわりとすぐに大きなトラブルに見舞われるでしょう。かなりギリギリの……厳しい……展開が予想され……未来は不安定です。ただ……ここぞという場面で、あなたは右か左かで迷うのですが……『左』を選びますね」


 訥々(とつとつ)とした口調で、ありがたみがちっともないとベルナールは思った。


 ところがアンナは賢者を前にしたかのような態度で、相手に尊敬のまなざしを送り話に聞き入っている。その素直さを目の当たりにして、ベルナールは若干の危惧を覚えていた。


 ……この子は一時でも一人にしておいて、果たして大丈夫なのだろうか? 無防備で可愛いアンナは、不埒な誰かに攫われてしまいそうで、この上なく危うい気がする……。


「その選択は正しいのですか?」


 アンナの問いに、占い師はどこか呆けた様子でベルナールに視線を移した。


「いえ――正しい答えは彼自身が知っています。それはいつだってそうだから」


 あまりに不可思議な台詞だった。


「どういう意味かな」


 ついベルナールも問い返していた。


「あなたは何かを選択する時いつだって、自分の尺度で判断しています。そして大事な場面であればあるほど、絶対的にあなたは正しい判断を下す。あなたは運命を司る大いなる力に守られている。あなたそのものが運命の流れを作る」


 よく分からないが、一部理解できる部分もあった。


 確かにベルナールはここぞという場面での選択を誤ったことがない。それは主に戦闘時における重大な一場面であることが多いのだが、おそらくその判断を下すにあたって、断片的な事象を脳内で一瞬のうちに処理し、最適な解を導いているのだ。


 たとえば――逃げ道は右か左か、斬り込むのは上か下か、フェイントのタイミングは今か次か――それらはベルナールにとっては運任せの賭けではなく、明確に答えが用意されている単純な選択にすぎない。とはいえ何をやっても、どう進んでも正解がないような悲惨な状況においては、もうどうしようもないわけであるが……。


「じゃあ良かったわ」


 人の好いアンナは占いの結果からポジティブな意味だけを拾い上げて、安堵を覚えたらしい。ベルナールはこの胡散臭い占い師のことはまるで信じていなかったものの、なんとなく安心を買っておきたいような気持ちになったので、彼が最も憂慮していることを尋ねてみることにした。


「僕よりも彼女の運命はどうなんです? 安全なのかな」


「うーん……なんだろう……感じの良いお嬢さんなので、私はむしろ彼女を占いたかったんですよー。でも曇っていて見えない」


「そんなことあるのか?」


 ベルナールの口調が若干ぞんざいになる。アンナはこの結果を聞いて、眉尻を下げてしょんぼりしてしまった。


「見えないというか、カードが規則性を失って滅茶滅茶に展開されるので、私には意味を読み取れないんです。まるで台風の近くにいるみたいで……ああ、そうか……これはあなたのせいかもしれませんね? あなたの運命が強過ぎて、彼女が巻き込まれて、形が変わりつつある」


「……それは悪いこと?」


「いえ……悪いとも……言い切れない。上手く表現できないけれど、少し離れるほうが危険かな? 距離が開くと強い風に煽られる。いっそピタリと重なってしまったほうが安全」


「なるほど」


 現金な話だが、ベルナールはこの占い師を少しだけ信じる気になってきた。よりくっつきなさいという忠告が気に入ったためである。


 素直なアンナはもっとダイレクトに感情を表した。ほぅっと小さく息を吐き、幸せそうに頬を赤らめたのだ。


 ――彼女は隣にいるベルナールを見上げて、はにかんだ様子でにっこりと微笑んでみせた。


「良かったです、ベルナールさん。私たちの相性は良さそうですよ?」


 ベルナールは、こんな強敵にはこれまで出会ったことがないと思った。彼女はこの可愛らしい笑顔一つで、武器も持たずに、相手を殺せるだろう。どんなに手強い相手であっても勝機を見出してきた歴戦の猛者が、彼女にだけはまるで勝てそうにないと感じるのだった。




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