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3 ベルナール、大ピンチ


 控室にて、ジャンヌが珍しくピリピリしながら、ベルナールに発破をかけた。


「分かっていると思うけれど、絶対に負けられないわよ。――大将のあなたが負けると、団の予算が三分の一に削られてしまう」


 治安維持の観点から、ある程度の予算確保は必要になってくる。業務のレベルを保つためには、これ以上削られるわけにはいかなかった。


 そうしてジャンヌが仰々しい衣装を差し出して来たので、ベルナールはげんなりしてしまった。


 丈長の黒いフロックコートには、金糸で鮮やかな刺繍が施されている。刺繍がされていないのは、両袖――それも肩下から肘下の、わずかな部分のみだ。袖口にも『これでどうだ!』とばかりに、煌びやかな飾りが入っている。


 刺繍の文様は華やかを通り越して、ベルナールの目から見ると、派手過ぎるし、悪趣味のように感じられた。少なくとも、『質実剛健』を謳う騎士団員の服飾品としては、まったく相応しくない。――これではまるで、贅を凝らした王族の礼装ではないか。


 そして刺繍以外にも飾りは多く付けられていた。飾緒モールに、勲章、飾りボタン、などなど……。


 当然、ゴテゴテと付属品がつけば、その分重くなる。


「……上層部は俺に勝たせる気がないのか」


 これでは体中に重りを括りつけられて戦うようなものだ。『これを着て人前に出るのか』という精神的苦痛も含め、嫌がらせ以外の何ものでもない。


「我々は瑕疵のない勝利を望まれている。――亡きメールソン閣下の影響がまだ根強いから、あなたを負けさせて、時代に区切りをつけたいのかもね」


 これで負けたとしても、『衣装が重かったせいです』という言い訳は通用しないから、ベルナールの損にしかならない。そして彼も、この親善試合の結果に、自身の進退がかかっていることはよく理解していた。


 そしてベルナールが退陣させられれば、メールソン閣下が地道に築いてきたものが全て無駄になる。閣下のやり方は苛烈であったかもしれないが、それでも正しいことをしてきた。圧力に屈さず、正義を貫き通した。上層部のつまらないちょっかいで、方針を変えさせるわけにはいかない。


 ベルナールは勝つしかなかった。


 ――ところが神様は、まだベルナールを苛め足りないらしいのだ。


「これで終わりじゃないのよ」


 ジャンヌが大きな箱を引っ張り出して来て、蓋を開いた。中には立派なマントが仕舞われている。


「……おい、冗談だろう?」


「冗談じゃないの。――マントを着けたまま戦え、って指示が下りている」


 黒のマントには、裏地にこれまた金糸の見事な刺繍が施されていた。びっしりと、隙間なく……。


「なぜここまで嫌がらせを受けなきゃならないんだ? 政治的な背景があるとはいえ、いくらなんでも限度があるだろう」


「――あなたに対するプレッシャー、プラス、客寄せね、これは」


「どういう意味だ?」


「女性の観客を取り込みたいようよ。――ねぇ知ってる? 今大会の入場券、プラチナチケットって呼ばれているの。女性ファンが大枚をはたいている。これも貴重な財源てわけよ」


 ベルナールは信じがたい思いだった。……こんな阿呆な衣装を見るために、大枚をはたくやつがいるっていうのか?


「他の騎士も、俺と同じ目に遭っている?」


 だとしたら、ほんの少し慰めになると思ったのだが……


「いいえ。全員にこんなものを用意していたら、予算がいくらあっても足りない」


 ジャンヌにきっぱりと否定されてしまった。……じゃあ、はずかしめを受けるのは、騎士団内で自分一人だけなのか……。


「衣装の総重量は?」


「十キロ超え。十五キロ近いかも」


「これを用意したやつ、全員くたばっちまえ」


 ベルナールは険しい表情でそう言い捨てると、普段の上着を脱ぎ、シャツの上から例のコートに袖を通した。


 その上からジャンヌが仰々しいマントを羽織らせる。


 ――ジャンヌは数歩下がり、少しのけ反りながら、思わず目を丸くしていた。


「あらまぁ! 『こんなゴテゴテの悪趣味な衣装、着こなせるやついるのか』と思っていたけれど、びっくりよ。ベルナール、あなた――信じられないくらい似合っている」


 ちゃんと品良く感じられるし、貴公子にしか見えない。


 大陸広しといえど、この衣装をここまで見事に着こなすことができるのは、ベルナールをおいて他にいないのでは? と思わせるほど。


 ベルナール本人は怒り狂っているようだが、ジャンヌはこっそりと、『衣装係は良い仕事をしたのかもしれない』と思っていた。


 とはいえ、これほどのハンデを背負わされ、ただでさえ手ごわいザナックに勝てるのかどうかは、ジャンヌにも分からなかったのであるが……。



***



 エルミーヌは野暮用があったため、ここで一旦、アンナと別れることにした。


 西門から入ったアンナとエルミーヌは、西区画を進んでいたので、この辺りに一般客はいない。エルミーヌは通りかかった騎士を図々しく引っ捕まえて、『グラヴェさんを呼んでちょうだい』とお願いした。


 ――そうして数分後、現れたグラヴェは、訝しげな顔付きをしていた。


「ええと……君は誰?」


 彼の目が泳いでいたので、『酒場で引っかけたことのある女の子か……?』というようなことを考えながら、記憶のページを高速でめくっているようだった。


「あたしは、あなたの奥さんの知り合い」


「……なんだ、妻の。何か用?」


「頼まれたものがあったの。――はい、これ」


 エルミーヌは対面の彼に袋を押し付けた。


「ええと、これは何?」


「中身は媚薬」


「は――え?」


「エッチな気持ちになる薬」


「いや、単語の説明をして欲しいんじゃなくて!」


 グラヴェが盛大に眉を顰め、大きな声を出したもので、エルミーヌは『しー!』と人差し指を口元に当てて、彼を嗜めた。


「ちょっと、静かになさいよ、恥ずかしい」


「……こんなものをここに持ち込んでおいて、あんたが恥ずかしいとか言うな」


「あたしが好き好んでこんなものを届けていると思うの? あなたの奥さんに頼まれただけだから」


「大体、彼女はなんでこんなものを――」


「あなたとの夜の生活がマンネリで、つまらないから、って言ってたわ。――もっと頑張りなさいよね」


 エルミーヌがシレっとそう言ってやると、グラヴェは目を見開き、大人げなく感情を爆発させた。顔を真っ赤にして怒り狂いながら、なんだかんだとがなり立て始める。


 エルミーヌはげんなりし、人差し指を耳の穴に突っ込んで、これをやり過ごした。



***



 アンナはエルミーヌの用が済むまで、一人で時間を潰していた。


 建物の西壁に寄りかかっていた彼女は、左手から鳥の鳴き声がしたので、そちらに顔を向けた。少し先に楡の木があるのだが、そこからだろうか……?


 そんなことを考えていると、突然グイと右手を引かれたので、仰天してしまう。――振り返ると、ベルナールがすぐ近くに立っていた。


 それは決して乱暴な引っ張り方ではなかったのだが、彼がこんなふうに一方的にアンナを扱うのは、とても珍しいことだった。もしかすると怒っているのかもしれない。


 アンナはこんなところで夫に出くわすとは思ってもみなかったので、ただでさえびっくりしていたのに、それに加えて彼の格好があまりに常軌を逸していたものだから、開いた口が塞がらないといった心境だった。


 ――もう、なんなの? どこの王子様よ!


 なんというかもう、煌びやかさと派手さが尋常ではない。素晴らしい衣装を身に纏った彼は常人離れして見えて、アンナは彼を前にしても、なんだか自分の夫という感じがしないのだった。


「アンナ、どうしてここに?」


 ベルナールが問う声は硬い。アンナはごくりと喉を鳴らし、背筋を伸ばしてから、思い切って彼に告げた。


「――わ、私――ここに来る権利があると思うわ」


「このことは話し合っただろう? 僕は君に試合を見せたくない」


「どうして? 負けるかもしれないから?」


 思い切って尋ねると、彼は不意を突かれた様子である。――しかし時間がないようで、彼はここで思いもかけない行動に出た。問答無用でアンナを肩に担ぎ上げてしまったのだ。


「え、ちょっと、ベルナール?」


「申し訳ないが、試合が終わるまで、僕の執務室に居てもらう」


 ベルナールがそのまま駆け出したので、アンナは舌を噛まぬよう、口を閉じて彼の肩にしがみつくしかなかった。


 そうして数分後、彼女はベルナールの執務室に入れられ、無情にも外から鍵をかけられてしまった。



***



 遠目でこれらのいざこざを目撃していたザナックは、可笑しそうに口角を持ち上げていた。


「ベルナールは、かみさんとは上手くいっていないようだな。――いい女だから、試合で旦那を負かしたあと、寝取ってやろう」


 以前ボコボコにのしている相手だから、敵の力量はよく分かっている。ベルナールを片付けるのは、そう難しいことではない。――やつが弱いのではなく、こちらが常識外れに強過ぎるのだ。敵にかけてやる言葉があるとするなら、『お気の毒さま』、くらいだろうか。


 ザナックは鼻歌交じりに会場に向かった。



***



 アンナは苛々と執務室の中を歩き回っていた。――窓から脱出しようかと思ったのだが、防犯上の観点なのか、鉄格子が嵌っていてそれも不可能だった。


 壁際に置かれたコンソールテーブルの上に、木箱が乗っていて、中に武骨な腕輪が入っている。説明書らしきものも一緒に入っていたので、開いてみると、『屈辱の腕輪』と記されていた。


「親善試合で負けた者は、この腕輪を三か月間嵌めて過ごさなければならない」


 読み上げたアンナは、なんともいえない顔付きになっていた。……負けた人にこんなものを着けさせるなんて、ひどくない? と思ったからだ。


 ベルナールの性格からして、こういうことを強要するわけもないので、団内で昔から続いている伝統なのだろう。


 そんなことを考えていたら、執務室のドアがガチャリと開いた。――入って来たのは、ベルナールではなく別の騎士だった。直属の部下で、鍵も持っていたのだろう。部外者のアンナがここに居ることに、驚いた顔をしている。


 アンナは彼に「失礼」と一声かけて、さっと騎士の傍らを駆け抜けて、廊下に飛び出した。


「あ、ちょっと――待って!」


 事情は分からぬものの、『上官ベルナールがこうして閉じ込めていたのだから、逃がすとまずい』と思ったらしく、騎士が呼び止めて来たのだが、アンナが待つはずもない。


 彼女は角を何度か曲がり、上手く騎士を撒いてしまった。



***



 会場の熱気は最高潮に達していた。


『これより大将戦を行う。――ザナック、対、ベルナール!』


 会場でのアナウンスが済み、ザナックがトンネル状の通路を抜けて、明るい闘技場へと足を踏み入れると、大きな歓声が沸き上がった。


 ザナックは自身の女性ファンに向けて、気取った仕草で手を上げてみせた。自国から彼のファンも多く駆け付けているのだ。


 ザナックがさらに投げキッスをサービスしてやると、会場が揺れるほどの爆発的な歓声が上がったので、『俺の人気もたいしたものだな』と彼はすっかり良い気分になっていた。


 しかし悦に入っていられたのも数秒程度のものだった。……どうにもおかしい、と彼は気付いた。というのも、いつまでたっても歓声が鳴りやまないのだ。


 観客席からは女性客の金切り声や、泣き叫んでいるのか? と訝るような悲鳴が響き渡り、それが絶え間なく連鎖して、あちらから、今度はこちらから……となかなか静まらない。声音に歓喜の色さえなかったならば、地獄の阿鼻叫喚を聞いているのでは? と思ってしまうくらいの、それはイカレた騒ぎだった。


 熱狂しているのは女性ばかりかと思いきや、男性の観客も興奮しきっていて、怒声にも似た歓声を上げている。彼らは血に飢えていて、エキサイティングな試合が繰り広げられることを、心から望んでいるのだ。


 ザナックが観客席から闘技場内に視線を移すと、十メートル以上離れた場所に、非凡な男が佇んでいるのが見えた。――それでザナックはやっと真相を悟ることができた。観客はあの男が登場したから、それで大騒ぎしているのだと。


 ちょっとそこいらではお目にかかれないような、美しい造形。骨格のバランスは完璧で、圧倒されるような華がある。それでいて彼はこの上なく怜悧だった。華やかであるのに、地に足が着いた落ち着きがあった。


 ていうか……なんだあの衣装は? ザナックは唖然としてしまった。どこぞの王族だよ? とツッコミをいれたくなるような、華麗で豪華な衣装。金糸の刺繍や飾緒モールが見事で、贅の限りを尽くした、見事な品だ。


 ザナックはまじまじと対面の男を見つめたあとで、間抜けな問いを発していた。


「ええと……ところであんた、一体誰なの?」


 ――問われたベルナールがすっと瞳を細めた。



***



 会場内をきょろきょろと見回したザナックは、関係者席に目当ての人物を見付け、『ああ、そこにいたか!』と安堵の息を吐いていた。そちらに向かって歩み寄りながら、大声で促す。


「おい、ベルナール! 早く会場に下りて来いよ!」


 絶対に聞こえているはずなのに、騎士服を身に纏ったそいつは、気まずそうにすっと目を伏せてしまい、呼びかけに答えようとしない。


 するとやつの隣にいた女が(ザナックはこの時、『ベルナールのかみさんだ』と思った)、こう返してきた。


「あのねぇ、この人、ベルナールさんじゃないわよー!」


「は……え?」


「彼、グラヴェさんていうの!」


 今やすっかり背を丸めている隣席の男をツンツンと突きながら彼女がそう言うので、ザナックの口がぽかんと開いた。


 え、あの……どういうこと?


「それで、君は誰?」


「あたしはエルミーヌ。グラヴェさんとは赤の他人」


 ――一方のグラヴェは『なんてこった』と思っていた。


 一年程前だろうか――酒場で飲んでいた時に、ガタイのいい男とちょっとしたことでトラブルになったことがある。口論の途中で名前を訊かれたので、グラヴェは『ベルナール』と答えた。


 グラヴェはこのように、ちょっと強そうな男に絡まれた際は、いつも偽名を使うようにしていた。この場はなんとか治まったとしても、相手の脳裏に『ベルナール』という名前がネガティブな印象として残るだろうと計算してのことだ。――彼は『世界中の全てのトラブルが、ベルナールのところに集まればいい』と常日頃から願っていた。


 その夜口喧嘩になった相手は、ベルナールの名前だけは知っていたらしい。


『へぇ、お前がベルナールかぁ! 俺は隣国の騎士団に所属しているザナックってもんだが、あんたの評判はうちにも届いているぜ。ふぅん……確かになかなかの色男だが、評判ほどでもないな』


 そう鼻で笑われたグラヴェはカチンときてしまい……


『――おい、表に出ろ、こら、くそが』


 こうして威勢よく店の外に出たまではよかったが、結果はザナックの圧勝。


 五発くらい殴られたあとで、グラヴェが悲鳴混じりに『降参だ! 悪かった!』と詫びを入れ、有り金全て渡して、なんとか許してもらったのだ。




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