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2 強敵


 ジャンヌは安酒場でビールを煽っていた。丸い円卓を挟み、対面にいるのはエルミーヌだ。――彼女は植物学者で、アンナの友人であるのだが、ジャンヌとも面識があり、時折こうして会ったりしている。


 エルミーヌは円卓に行儀悪く肘を突き、身を乗り出してきた。


「アンナがちょっと悩んでいるみたいなの」


「どうして?」


 ジャンヌはアンナと直接親交があるわけではなかったが、彼女のことは公的にも私的にも、ずっと気にかけている。ジャンヌは長いことアンナの護衛役を務めてきたため、陰になり日向になり見守っているうちに、愛情も湧いて来て、なんとなく妹のように思っていたのだ。


 それにベルナールは職場の上司であると同時に、友人でもあるので、そういった面でも、彼らに何かあると気になってしまう。


「ほら、国際親善試合ってさ、大変なお祭り騒ぎじゃない? 騎士の家族は皆見学に行くから、アンナも旦那さんに、自分も行っていいか訊いてみたらしいんだけど……」


「ああ」ジャンヌは複雑な形に眉を顰めると、フライドポテトを口に放り込み、それを噛み砕いた。「……確かに、ベルナールは許可しないでしょうね」


「なんで?」


「それが――」


 ジャンヌが説明しようとしたところで、背後のテーブルがワッと湧いた。それは『陽気で楽しい酒席』というのを、少し逸脱しつつあるような、馬鹿げた騒ぎだった。


『おい、ザナック! このあいだナンパして、やり捨てた女の話をしてくれよ。あれは何度聞いても笑えるんだ』


『……どの女だよ? 数が多すぎていちいち覚えちゃいねぇ。裸を見たら思い出すかもな。……いや、やっぱ無理か』


『これだもんなぁ! モテる男は、やりたい放題だな』


 下卑た笑い声が響く。


 振り返ってそちらを確認したジャンヌは、舌打ち混じりにすぐに顔を戻した。彼女の眉間にはくっきりと縦皴が刻まれている。


 ――エルミーヌはポテトをかじりながら、首を伸ばして向こうの席を見遣った。


 騒いでいるのは、四人組の男たちだ。どいつもこいつもガタイが良い。


 そのうちの一人、『ザナック』と呼ばれていたリーダー格の男は、大声でモテ自慢をするだけあって、なかなかハンサムな顔をしていた。二十代後半だろうか。長髪というほどでもないのだが、艶々の金髪を少し長めに伸ばし、気取った感じに流している。顎がしっかりと張った精悍な顔立ちであるが、瞳はつぶらで、女泣かせな雰囲気があった。


 性格があんなふうに馬鹿丸出しでなければ、外見だけでいえば、結構タイプだったのに、残念……とエルミーヌは思った。


 ――ジャンヌが小声で吐き捨てる。


「あれ、隣国の騎士団の連中だわ。国際親善試合に出るやつら」


「え、もう来ているの?」


「前乗りしているんでしょうね。観光がてら……いえ、女漁りのため?」


 そうこうするうちにあちらのテーブルでは話題が変わり、国際親善試合について語り始めた。


『ザナックは大将戦に出るから、敵はベルナールってやつになるのか? そいつ、まだ若いの? 俺、よく知らねぇんだわ』


『相当強いって噂だぜ』と別の取り巻きの男。


『そうはいっても、ザナックほどじゃないだろう? あれ――そういや、ザナックは、ベルナールとは顔見知りなんだっけ?』


『まぁな』


『戦いたくない?』


『いや、俺のほうはやつと戦いたい。でも向こうが逃げるかもな』


『ザナックを恐れて大将戦を辞退するようじゃ、いい笑い者だろう。騎士団で居場所がなくなるぜ』


『でも、半殺しにされて、皆の前で恥をかくよりマシだろう。――やつのご自慢のツラが、俺によってボコボコにされて、見る影もなくなっちまうだろうからな』


 ザナックとやらは大層な自信家らしく、ベルナールのことをこき下ろしている。


 エルミーヌは『あーあ』とため息を吐いていた。――この時はまだ、ザナックのことを『ただのイタイやつ』だと思っていたからだ。


 ジャンヌはとうとう我慢の限界に達したらしく、ポケットから札を取り出すと、テーブルの上に放り投げた。そうして地を這うような低い声でエルミーヌを促す。


「――もう出よう。酒がまずくなった」


 エルミーヌは去り際、色男のザナックを横目で眺めていたのだが、彼が視線に気付いたのか、白い歯を見せて微笑んできた。


 エルミーヌは軽く肩を竦めてみせ、視線を切った。……性格はアレだけど、裸は見てみたかったかも……などと考えながら。


 店を出ながらジャンヌに話しかける。


「ジャンヌがあの男を殴りつけるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたわよ」


 エルミーヌが同席していたから、気を遣ってそうしなかったのかと思ったら、どうやら違ったようで……。


「たぶん、あたしじゃ勝てない」


 ジャンヌは物思う様子だった。彼女の深刻そうな顔を見て、エルミーヌは小首を傾げてしまった。


「だけどジャンヌ、あなた、かなり強いじゃない? 騎士団の男たち――それもトップクラスの手練れと、互角に渡り合えるくらいだって、知っているわよ」


「悔しいけれど、あいつは強い。近くで見て、よく分かった。馬鹿話していても全く隙がなかった。――ベルナールに初めての黒星をつけるのは、ザナックかもね」


 それを聞かされたエルミーヌはしばらくのあいだ言葉もなく、ジャンヌの険しい横顔を眺めていた。



***



 アンナは友人であるエルミーヌの温室を尋ねていた。


 アンナの気が晴れないようなので、エルミーヌはお茶で唇を湿してから、躊躇いがちに声を掛けた。


「ねぇ……もしかして彼、負けるのが怖いんじゃない?」


 『大丈夫よ。大したことじゃないから、気にしないことよ』というように、耳触りのよい言葉をかけてやるのは簡単だ。しかしエルミーヌは率直な性格であったし、アンナとは付き合いも長いので、誤魔化しを口にして済まそうという気持ちにはなれなかった。


 エルミーヌの見解に、アンナはびっくりしたようである。


「でも、勝者がいるなら、当然敗者もいるわけでしょう? それを恥じる必要はないと思う」


「立場にもよると思うわ。――ひらならそれでもいいけれど、アンナの旦那さんは、結構上の立場でしょ? メンツってもんもあるだろうし」


「部下に対してそれを気にするなら分かるけれど、私に負けを隠しても……」


 どちらにせよ大勢の部下が試合を見るのだから、アンナ一人を弾き出したところで、意味はないのでは?


「ボロ負けして、顔の形が変わるほど殴られて、部下たちにそのせいで軽蔑されて……という場面を、最愛の妻に見せたくないのかもよ」


「私、そんなの気にしないわ」


 アンナはキッパリとそう言い切った。もしも上官が対戦相手に負けたというだけでソッポを向くような部下ならば、アンナはそちらのほうを軽蔑する。


 それじゃ、こういうことなの――あなた方は『強さが全て』という考えであり、その条件さえ満たしていれば、上官がどんなに卑しい人物であっても、とことん尽くし、従うわけね、と。


 そんな騎士団内のつまらないメンツどうこうよりも、アンナは夫の身が心配なのだ。ただそれだけ。――それなのに、自分には彼の身を案じ、見守る権利すらないの?


 アンナだって、これが一律『家族は観覧できません。そういう決まりです』というなら、こんなふうにこだわったりしない。関係者は皆が見に行くようだし、なんならそこら辺を歩いている部外者だってチケットを買えば見られるものを、ベルナールの家族である自分が問答無用に締め出されてしまうというのが、納得がいかないだけだ。


 アンナは夫から当然招待されるものと考えていたので、一般向けのチケットを購入していなかった。かなり人気のあるイベントなので、今更欲しいとなっても、もう手に入らないだろう。


 エルミーヌは困ったように眉尻を下げて、友人のアンナを眺めていたのだが、やがて覚悟を決めた様子で身を乗り出してきた。


「あんたが本気なら、いいわ――当日は、あたしが潜り込ませてあげる」


「ありがとう、エルミーヌ」


 アンナは感謝を込めてエルミーヌを見つめた。



***



 ザナックの腰巾着であるベグリーは、小柄で姑息な男だった。喧嘩はからっきしという彼が、隣国の騎士団で上手くやってこれたのは、強い者にすり寄り、徹底的に媚びてきたからだ。


 今回もベグリーは、ザナックの役に立ちたいと考えていた。――ザナックは国際親善試合に出場し、ベルナールという強敵と戦うらしい。


 ザナックは敵のことを知っているらしく、絶対に勝てるという確信を持っているようだが、それでも一の子分であるベグリーとしては、その勝利を確実にしてやりたいと考えていた。――自分がベルナールの弱点を探り当て、それをザナックに教えてやるのだ。そうすればきっと感謝される。


 ベグリーはあちらの騎士団内部に潜入することにした。


 もうすぐ国際親善試合が開催されるので、隣国の騎士団に所属するベグリーが内部を歩き回っていたとしても、別に不審がられることもない。――そもそも両国間の関係は良好であり、合同で親善試合を行うくらいだから、警戒はされていなかった。


 ベグリーは口が達者であったので、『書類の保管方法を学びたい』と嘘をついて、書庫の場所を聞き出した。部外者を招き入れるくらいなので、機密文書のたぐいは仕舞われていないだろうが、もしかすると掘り出しものが見つかるかもしれない。


 案内してくれた騎士は『ここには日誌のたぐいが仕舞われている。――とはいえ事件類の記録は別室保管となっていて、ここにあるのは重要なものではなく、ただの訓練記録だが』と言っていた。


 ベグリーは一人になると、日誌の束を引っ張り出しては確認し……ということを繰り返し、ついには亡きメールソン閣下直筆の書類を掘り当てた。


 それを興味深げにめくっていた彼は、ある箇所で視線を止めた。


「これは……!」


 ベグリーの口元に姑息な笑みが浮かぶ。――なんと彼は運良く、ベルナールの弱点を見付け出すことに成功したのだ。


 メールソン閣下の流れるような筆致により、部下に対する評価が綴られている。


『ベルナールの課題――槍使いを敵に回したケースで、注意力が散漫になり、戦闘力が著しく落ちる。子供の頃に槍で襲われたトラウマがあり、体が硬直してしまうようだ。克服させるべく、色々試してみたが、成果出ず』


「――ベルナール、やぶれたり」


 ベグリーはザナックへ良い報告ができることを喜んだ。――というのも、ザナックは槍使いの名手なのである。



***



 ――国際親善試合当日。


 アンナとエルミーヌは騎士団本部の裏門に来ていた。チケット購入の一般客は表口から入るので、こちらの裏口はそんなに混み合っていない。


 しかしアンナは『ベルナールの妻』として何度かここを訪れたことがあるので、顔バレしないよう、紺色のローブを羽織り、フードを深くかぶっていた。


 門衛とのやり取りは、エルミーヌがしてくれた。


「ほらこれ、関係者パスよ」


「ジャンヌさんの身内の方……妹さん、かな?」


 エルミーヌを眺め、門衛が続柄を尋ねる。


「いいえ、従妹いとこ


「……関係者パスを、従妹が使うってなかなかないけれどね」


 『伴侶、親、子供、あるいは兄弟――そういう関係者招待が多いのに』と言いたいのだろう。これにエルミーヌはツンとした態度で言い返した。


「あら、『パスを使えるのは何親等まで』って注意書きがあったかしら?」


「いや、ないけれども」


「じゃあいいでしょ」


「――後ろの方は?」


 アンナのほうを見遣り、さらに尋ねられたのだが、それもエルミーヌが代わりに答えた。


「彼女は『アンジー』。あたしの妹」


 門衛に偽名を伝えるという、芸の細かさ。


「つまり彼女もジャンヌさんの従妹なわけだね?」


「そう」


「OK、どうぞ入って」


 門衛が返して来たパスを受け取り、エルミーヌがアンナを手招きする。


 ――こうしてアンナは無事、会場に潜入することができた。



***



「ベルナールは槍使いに対し、苦手意識があるようですよ。反応がかなり鈍くなるとか」


 腰巾着のベグリーが報告すると、ザナックは喜んでくれた。


「なるほど、それはいい。――俺は相手が格下だからといって、手抜きをしてやるようなお人好しではないからな。このド派手な舞台で圧倒的勝利を飾れば、人事評価も上がる。遠慮なくやらせてもらうよ」


 刃を潰したものを利用すれば、槍でも剣でも、武器は自由に選べる。ザナックは剣も槍も同等に使いこなせるので、どちらにするか、まだ決めていなかったのだ。


 ベグリーは不思議に思い、ザナックに尋ねていた。


「ベルナールが格下、とは……そういえばザナックさんは、やつと知り合いだと言っていましたよね? 以前、手合わせしたことがあるんで?」


 対面で会話した程度の関係性なら、『格下』という言い方はしなそうである。


 これに対するザナックの返答は、ベグリーの想定を上回っていた。


「俺は一年前、ベルナールをボコボコにのしてやったことがあるんだ。――俺は非公式にこちらの国に遠征に来ていたから、こっちの連中はこの件を知らないだろうが、やられた本人はよく覚えているはずさ」


 ベグリーはいたく感心し、『さすが、ザナック様だ』と瞳を輝かせた。




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