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11 最良の日

 

 後日閣下から執務室に呼び出されたベルナールは、椅子に促され腰を下ろした。


 デスクを挟んだ向こう側に、なんとも食えない顔をしたメールソン閣下が座っている。それを見るとやはり言わずにはいられなかった。


「閣下。賭けるものが『命』とあっては、さすがに悪趣味ですよ。あの時、私が間に合わなかったら、どうするつもりだったんです?」


 ベルナールの声は常のとおり静かである。


「まあ、なんとかなったんじゃないか?」


 冗談めかして答えたあとで、ベルナールから向けられた真摯な視線に気付いて、笑いをおさめる。


「ああ……やはり君は誤魔化し切れないか。実はだな……分析官の事前予測では、君の実力ではカザレスには勝てないと出ていたんだ」


 これにベルナールは虚を衝かれ、瞬きも忘れて閣下を見つめてしまった。対しメールソン閣下は、灰色の瞳を静かに目の前の若者に据えている。二人はしばらくのあいだ黙って見つめ合っていた。


「……まさかそれで私を護衛から外したのですか?」


 声が掠れる。


 ――だからベルナールを内勤に回した――


 大体グラヴェを嵌めたのなんだのという一連のゴタゴタは、謹慎の理由としては弱かった。表沙汰にしないのであれば、処分の理由にはできないのだし、正式な辞令にもなりえない。必要だったのは、ベルナール自身が若干後ろめたく感じて、食い下がれなくすることだった。


 ――しかし閣下ともあろう御方が、なんという愚策を選んだのだろう。優先順位というものがある。脅威が現れた時、閣下は自分の身を守るために最善を尽くさなければならない立場にある。


 たとえ部下が犠牲になると分かっていても、それにより閣下の生存確率が上がるならば、ベルナールを戦場に置くべきなのだ。


「カザレスは以前国の中枢部で汚れ仕事をしていた人間だからね。戦力的なデータはひととおり手元にそろっていた。そして彼の過去の仕事を全ておさらいした結果、Xデーは『演説会本番』ではなく『前日の演習日』に違いないと見当をつけたんだ。……まぁ私が彼の立場でも、本番ではなく雑味が少ない前日を狙っただろう。怪しさ満点の情報提供者とやらが、その日を指定して君との面会を持ちかけてきた時に、間違いないと確信できた」


 閣下はベルナールに『襲撃は演説会当日に起こるはず。だから前日の演習は安全』と刷り込み、ペテンにかけた。


 それでもベルナールが渋ったので、演習『後』に合流せよと妥協案を出すことで、煙に巻いたのだ。


 全てが終わったあとに駆け付けても、もう遅いというのに――。


 どうしてそこまでして遠ざけたかったのか。


「なぜ私を外したのですか。閣下――答えてください」


 まだ明確な答えを聞いていない。正直なところ、自分が勝てないような相手ならば、他の誰であっても勝てはしなかっただろうと思われた。はっきりしているのは、ベルナールを外せば、確実に勝率が下がるということ。これは戦略的にありえない。


「君を外すことで団内の犠牲は確かに増えただろうね。戦略分析ではカザレスに一対一で勝てる者はおらず、抑えるためには、とにかく数で制圧するしかないという結論が出ていた。それでまぁ……私は思ったんだよ。君がもしも現地にいたなら、一番危険な場所に飛び込むに違いないし、君は私を助けるためなら、命を投げ出すことなどまるで躊躇わないだろう、とね」


 それは確かにそうだろう。


 しかし閣下はベルナールのことなど捨ておき、状況を俯瞰しなければならない指揮官の立場にある。極論、ベルナールが盾となり団の犠牲者が減らせるならば、閣下はベルナールを切る必要があるのだ。


 それなのにどうして――いや、答えは分かっている。


 ベルナールの心は千々に乱れた。


「……君がいなくなってしまったら、娘が悲しむ」


 閣下が瞳を細め、目の前の年若い青年を見つめた。とても穏やかであるのに、複雑な光をたたえたその視線には、多くの感情が含まれていた。私情を優先し、作戦を危険にさらしたことに対する後悔。娘への愛情。そして達観――


 それは新しい世代に、未来を託すことを決めた者のそれだった。


 ベルナールは何かを言いかけ……結局、一番言いたいことは呑み込んでしまった。その代わりに細かい点を確認していくことにした。


「敵が奈落に潜んでいることは、気付いておられたのですか?」


「いやまさか、あれには驚いたねぇ」


 閣下は椅子の背に寄りかかり、呆れたように溜息を吐く。


「調査が手抜かりだったな……やはり君を外すとああいうことが起こるのだなと勉強になったよ。一応演習前には『敵の襲撃がありそうだから、警戒するように』と団員に通達はしておいたんだが、不意を突かれて浮足立ってしまったな。我々が奈落の存在に気付いていなかったからこそ、敵はあそこに潜む作戦を選択したわけだが」


「騎士団内に裏切り者がいたんですね」


「それについては、早い段階で掴んでいた」


 閣下は口の端を上げて、皮肉な笑みを浮かべた。


「君が私の不興を買って側付から外されたと、カザレスに報告してもらわなければならなかったから、利用させてもらった」


「裏切り者は捕らえましたか?」


「まぁね。小者だったけど」と閣下は肩を竦めてみせる。「情報を流して小金をもらうようなやつさ、上には行けない」


 とりあえず問題を取り除けたのなら良かったと思う。適材適所、閣下の部下には裏切り者を炙り出すような、身辺調査を得意とする人間もいる。ベルナールがすべきことをしたように、団の人間はそれぞれ与えられた役割をきちんと果たして、結果的にこの国を守っているのだ。


「綱渡りでしたね」


 皮肉ではなく、少々不可解だった。ここまでしないと対処できない相手だったのか? いや――ベルナールとて、事前の分析結果を疑うわけではない。


 確かにカザレスは強かった。とてつもなく。しかし知略に長けた閣下ならば、もっとスマートに解決できたのではなかろうかという疑いが消えない。


 演習日に急ぎ決着をつけようとこだわったばかりに、結果的に敵の土俵で勝負してしまったような気がして……。


「私も焦っていたんだよ。だってこんなギスギスした警戒状態が、君らの結婚式まで続いたら嫌だし」


「以前プライベートな事情で早く問題を片付けたいと言っていたのは、まさか」


 普段はクールな部下が呆れたように固まってしまったのを、メールソンは楽しげに見遣った。


「だって、可愛い娘の結婚式だよ? 延期なんてことになったら嫌だし、私だって楽しみにしているんだからさ」


 ものすごく意外だとベルナールは思った。


 ……閣下は楽しみにしていたのか? そしてそんなことのために、危険な橋を渡った?


 しかしアンナと結婚できても、閣下がいない結婚式など絶対に嫌だとベルナールは思った。


 ――ベルナールにとって彼は、父のような存在だったから。


 そしてアンナと結婚するということは、書面の上でも彼の義理の息子になるということだ。その機会を奪うなんて、閣下本人であっても酷い行為だった。


「だけど君は来ただろう?」


 メールソン閣下は曇り空のような灰色の瞳をベルナールに向けた。凪いでいて、それでいて力強い。瞳の強い輝きが、雲間から覗く陽光のようだった。


「君を外そうとしていたのに矛盾するんだが、なんていうか……君は間に合う男だと思っていたよ。こんなことを言ったら笑うかい? 君はヒーローみたいに、ここぞという場面で絶対に外さない男だ。職業柄、私は多くの強い人間、優れた人間と関わってきたが、理由のよく分からない期待を抱かせる人間に出会ったのは君が初めてだった。――私は背中を預けるなら、君がいい」


 それはなんとも明け透けな告白だった。閣下の瞳は真っ直ぐにこちらに据えられている。その言葉にベルナールはただただ胸が熱くなった。


 メールソン閣下が考えを巡らせながら続ける。


「……君が来なかった場合、私の生存確率は二割以下だっただろうか? だけどまぁ……先の言葉のとおり、なんとなく君は間に合ってしまいそうに思えたから、もう一つ保険をかけることにした。――アンナの友人のエルミーヌ嬢は、実に独創的で変わった娘だろう」


 ベルナールは頭痛を覚えた。


 ……あの娘は変わっているどころではない。はるか彼方までぶっ飛んでいる……。


「君はアンナを捜すだろうと思っていた」


 ぽつりと呟かれた閣下の言葉の中に、『なぜそうしなかった』という問いが混ざっている気がして、ベルナールは口を開いた。


「以前あなたは、ギリギリまで考え続けろとおっしゃった。アンナが攫われたことで、あの時は頭の中が真っ白になりかけました、けれど、思考を放棄せず仔細検討していけば、おかしな点は数多く見受けられた。そしてその全てのデータが指し示していた。アンナは安全で、あなたが大変危険な状況にあると。僕は……もしかするとあなたの助言がなければ、ジャンヌと共にアンナの捜索に当たっていたかもしれません。あなたのことは心から慕っていますが、アンナと天秤にかければ、やはり僕は彼女を選んでしまう。だけど思ったのです、あなたがいなくなったら、アンナが悲しむと。僕は彼女をお護りしますと誓ったので、可能な限り、彼女の大切な者も護らなければならない。それが彼女の心を護ることになるから」


 膨大なデータを取捨選択し、そこから正しい結論を導き出すのは、ベルナールがいつも行ってきたことだ。平常心を失わなければ、ちゃんと見えてくるものがある。


 ――情報提供者を騙る者が、ベルナールを別場所に足止めしようとしたこと。


 ――見落としていた闘技場の『奈落』の存在。


 これらのことから、敵はすでに闘技場内部に潜んでいるのではないかという直感が働いた。


 そして以前ジャンヌと稽古をした時、彼女のチーム内で使っている暗号の内容を聞いたこと。横線は『問題ない』という意味で、アンナが攫われた現場でそれを確認したこと。記憶の飛んでいたジャンヌの症状から、アンナを攫ったのがエルミーヌ嬢に間違いないと確信できたこと。それは逆にいえば『エルミーヌ嬢さえ信用できたなら、アンナに脅威はない』ということになる。


 人を見る目が確かなメールソン閣下が、徹頭徹尾『エルミーヌ嬢は信用できる』と語っていたこと。


 そしてやはり実際にエルミーヌ嬢と会ったことがあるベルナール自身の経験も、大きく作用した。彼女が悪党であるとはまるで思えなかったのだ。


 エルミーヌを全面的に『善人』と認めることはできそうにないのだが、確かに閣下の言うとおり、彼女がアンナを裏切ることはないだろう。


「駆け付けるのが遅れて私に何かあったとしても、その時間アンナを捜していたのなら、君はそう気に病まないで済むかと思ったりしたのさ」


 そう語る閣下は全て計算ずくのようでいて、肝心のところがずいぶん緩い。気まぐれで全財産を賭けてすったとしても別に構いやしないというような、そんな無防備さがある。


 閣下は物腰は穏やかだが、案外気性が荒いし、冒険家のような面も有している。だからこそ、ここまで出世できたのだともいえるだろう。毒にも薬にもならぬ人間だったなら、この地位には辿り着いていまい。


 そして肝心なところで、やはり彼はベルナールに甘い。


「僕はあなたのテストに合格しましたか?」


 改まった気持ちで尋ねると、閣下が意外そうに瞳を瞬いた。


「君はずっと前に合格しているよ。ただね……親心として、君の不安定な精神状態は、ちょっとした懸念要素でもあったんだよね。全面的にアンナを託してよいものか? 私が長いスパンでフォローしていく必要があるのか? とか考えたりしてね。けれど今回の君の働きぶりを見て……娘のことについては、全て君に任せると決めたよ」


 喜ばしいという感情よりも、別のものが勝った。ベルナールは困惑したように瞳を揺らした。


「僕はあなたに結婚を許してもらえないのではないかと……そう思っていました」


「おや。私が許さなかったら、君は娘を諦めたのかな?」


「いいえ」ベルナールは静かに否定する。


「グラヴェの件であなたに見放されたかもしれないと感じた時、覚悟が決まりました。反対されても何がなんでもお嬢さんはいただくと。僕は彼女なしでは生きられない。――彼女に対しては誠実でありたいと考えていますが、それでも大切な者を護るためなら、全ての体裁をかなぐり捨ててでも、最善を尽くすほうを選ぶでしょう。その覚悟ができました」


「なるほどね……若干()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が……老兵はもう口を出すまい。ただエールを贈るのみだ。――君たち二人に幸あれ」


 ベルナールは笑みを浮かべた。騒動に決着がついたのだと、やっと実感できた瞬間であった。閣下も満足そうに微笑んでみせ、ふと思い出したように言葉を続けた。


「ああそうだ……そういえば、ジャンヌから報告があってね。アンナは先日新聞を読んで事件現場を見に行き、危ない目に遭いかけたらしい。好奇心旺盛なのも結構だが、アンナのお転婆にも困ったものだなぁと思ってさ」


 ちらりとこちらを覗き見るメールソン閣下が「どうにかならんかね?」と続けるので、ベルナールは心得たもので、いつものように「僕に考えがあります」と応じた。


「ふぅん……それについて、私も内容を把握しておいたほうがいい?」


 いざとなったら無関係のフリをする気だなというのが、ベルナールには分かった。アンナに嫌われたくない気持ちは痛いほど理解できるので、


「いいえ。こちらで完璧に処理します」


 とシンプルに答えるベルナールなのだった。


 ……結婚後、アンナが住居を移してから作戦を開始するとしよう。まずは新聞社の買収からだ――。


 アンナのために、こなさなければならない課題が、次から次へと湧いて出てくる。そしてそれを処理していくことは、彼女の安全のためだと思えば、彼にとっては苦痛でもなんでもない。


 ベルナールは明るい窓の外を眩しげに眺め、愛しい人のことを考えるのだった。



 ***



 ずっと求めてやまなかった君が、もうすぐ手に入る。


 あの温かい笑顔が、自分の帰るべき場所だと思える。だから君があまりに無防備で、安全を後回しにしがちなのだとしたら、その分僕が何倍も補って、硬い殻で覆うように護り抜きたい。けれど未熟な自分はこれから先、きっと君を困らせたり、正しくない道を選んでしまったりもするのだろう。


 もしかすると僕は、誰かと一緒にいることに慣れていないのかもしれない。幼い頃に家族をなくしてしまったから、皆が当たり前にできるようなことが、案外上手くこなせないんだ。


 けれどきっと、僕が苦手なことは君が教えてくれる。


 ――君を愛している。


 何があってもずっと変わることなく、生涯君を愛し続けると誓うよ。



 ***



 二人の結婚式は、緑深い庭園で行われた。


 よく晴れた日で、陽光が美しく木々を照らし、会場は幸せな空気に満ちていた。気取らないけれど品が良く、素敵な雰囲気だった。青々とした芝生の上に白い椅子が並べられ、参列者たちが腰を下ろしている。


 花嫁であるアンナはふわりと綺麗に髪を編み込んでもらい、生花の飾りをつけ、彼女によく似合う清楚で可愛らしいドレスを身に纏っていた。


 バージンロードの最奥に視線を向けると、新郎のベルナールが黒の礼服を隙なく着こなし、新婦を待っていた。シックな装いで決めた彼はとても素敵で、見惚れている女性が何人もいた。


 傍らを歩く父が、感慨深い様子でアンナに語りかける。


「今日は私の人生で最良の日だ。そして心からこう思う――ベルナールは良い男だな」


 これにアンナは屈託なく笑い、答えた。


「ええ最高よ! 父様本当にありがとう、大好きよ」




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