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10 ようこそ

 

 ――アンナは薄暗い部屋の中で、椅子に縛り付けられていた。


 胸の下に縄がかまされ、両手は後ろに回されて、しっかりと拘束されている。白い仮面で鼻から上を隠し、ウサギ耳を模したふわふわの髪飾りを装着した人間が、


「めくるめく官能の世界へようこそ」


 と妙に艶めかしい声音で語りかけてきた。先ほどまで嫌というほど身体を弄られ、そのせいでくったりと力が抜けていたアンナは、涙目で仮面の女を見上げる。


 その時――部屋の扉が開いて、男が入って来た。目元に泣き黒子がある、甘い雰囲気を漂わせた色男だ。癖のある黒髪。整った面差し。


 仮面の女が口角をいやらしく持ち上げる。


「お待ちかねよ」


「僕はどこで着替えたらいいかな」


「ああ、それは隣の部屋で」


 ウサギ耳をつけた女が事務的に説明をしながら、男の背を押して廊下に連れ出した。そうして隣の支度部屋に彼を押し込もうとしたまさにその時――途轍もない破壊音が響き、それと共に屋敷全体が揺れた。


「え、何今の」


 女はこくりと喉を鳴らした。とりあえず、怯えた様子の男を慌てて部屋の中に押し込み、考えを巡らせる。


 今のは下の階の玄関方面から響いて来たようであり、おそらく音の感じからして、誰かが玄関扉を蹴破ったものと思われた。


 ……なんだか嫌な予感しかしない。


 ごくりとふたたび唾を飲み、白い仮面を剥ぎ取れば――その下から現れたのは、アンナの親友であるエルミーヌ嬢の顔だった。


 エルミーヌは舌で上唇を湿しながら、ひょこひょこと抜き足差し足で階段を下りて行く。こんなふうにこそ泥のように足音を消してみても、扉を蹴破られている時点でまるで意味などないのだが、すっかりテンパっている彼女はそのことに気付いていない。


 下りながら途中で左手を覗きおろすと、玄関扉が内側に開いていて――というより、扉全体がひしゃげて、半分外れかけた蝶番になんとかぶら下がっているのが見えた。


 おかげですっかり見晴らしが良くなっていたので、玄関前にスラリと背の高い騎士服姿の男が佇んでいるのを確認することができた。


 彼はまだ一応……ギリギリ屋敷内には踏み込んでいない。ただならぬ気配にひくりと喉を引き攣らせるエルミーヌ。


「おおっと……」


 思わずひとりごち、スカートの裾を摘まんで急いでそちらに向かう。ふざけた例のウサギ耳を装着したまま、エルミーヌは口角を引き上げ無理やり笑顔を作った。


 ところがこの無礼な客は、


「アンナは?」


 と挨拶も抜きで事務的にそう切り出したのだった。逆光気味で表情が窺えないが、怒鳴ってこないのが逆になんだか恐ろしいという、摩訶不思議さね……。


「ええと……あなた不法侵入って言葉をご存知?」


 時間稼ぎをしても仕方ないのだが、減らず口が飛び出してしまうのは、もはや自分でもどうしようもない。


「僕はまだ君の家には入っていない。ただ――これ以上待たせるようなら玄関扉だけじゃなくて、この辺全て」


 と言って、ベルナールが面白くもなさそうに扉横の壁をコンコンと叩く。


「見通し良くして、君の大切な家と外の通りとの境界をなくしてやってもいいのだけれど、どうする?」


 エルミーヌの頭頂部につけていたウサ耳がヘタリと左右に倒れた。……風に煽られたのか殺気に煽られたのか、もうなんだかよく分からなかった。


「……早速ご案内します……とその前に、私を殺さないって約束してくれます?」


「殺されるような真似をしたのかな」


 え、何かしらこの――処刑台に引っ張り出されつつあるような、薄ら寒い感じは? エルミーヌは冷や汗を拭って、思わず唸る。


「うっ……それはその、見解の相違というやつで」


「大体これはどういうつもりだ?」


「バチェロレッテ・パーティーですが」


 ねへへ……と愛想笑いを浮かべてみるが、驚いたことにベルナール氏、まるで笑っていらっしゃらない。ベルナールは顔から一切の表情を消し、冷たい視線でエルミーヌを見おろすばかりであった。


 実はベルナールはここへ着いた時点で、屋敷前で待機していたジャンヌと彼女のチーム員である女性騎士と顔を合わせている。踏み込んで標的を確保していない状況を不審に思って尋ねたところ、


「バチェロレッテ・パーティーだそうです」


 とわけの分からない単語が、女性騎士の口から飛び出すのを耳にすることとなった。


 彼女はジャンヌのサブとして、ドレスショップでアンナの尾行についていた人物だ。ジャンヌがカフェのテーブル上に突っ伏したあと、ジャンヌと相席していたエルミーヌ嬢がドレスショップに突撃をしかけて、アンナを連れ出す一部始終を目撃した。


 しかしエルミーヌのハチャメチャぶりについてはよく知っていたので、おそらく危険性はないただのおふざけであろうとすぐに見当をつけた。


 一応壁に『問題ない』という意味の暗号である『(横線)』をジャンヌ向けに白墨で書き残してから二人のあとを追った。


 万が一エルミーヌが裏切り者であったとしても、とりあえず自分が追跡していれば、突発的な事態が起きたとしてもすぐに対処に当たれるだろう……そう考え、二人が乗った馬車を追い、結果的にエルミーヌの自宅へと辿り着くこととなった。


 さすがに何もせずに見送るのは躊躇われ、屋敷内に入る前にと、二人を捕まえて事情を尋ねたら、


「あら騎士さん、バチェロレッテ・パーティーよ。――ここに来るまでのアレコレはそのための演出だから、お構いなく」


 とウィンクされ、軽くあしらわれてしまったらしい。突然どこからともなく女性騎士が現れ、親友(エルミーヌ)が職務質問を受けたために、傍らのアンナは驚いた顔をしていたとのことだ。そこで女性騎士は機転を利かせ、


「たまたま通りかかったのですが、あなたが無理やりこちらの女性に引きずられているように見えたので、問題がないかどうか確認したく、お声をかけました」


 と説明しておくことにした。


 あの時エルミーヌはジャンヌに一服盛ったに違いなかったが、現状では証拠はないし、ここで全部ぶちまけてしまうと、アンナ自身に護衛がついている事実が露呈してしまう。難しい判断であった。


 するとアンナは「なんだ」と微笑み、「彼女はせっかちで歩くのが速過ぎるんです。馬車を降りたあとで私がよろけたせいもあって、無理やり引っ張られているように見えたのかしら」と呑気に答えたので、それ以上手出しのしようもなく、屋敷前で待機し、様子を窺っていたとのことだ。


 部下がベルナールに顛末を報告するのを傍らで眺めていたジャンヌは、腕組みをして深い溜息を吐いていた。


「私たちは閣下から『エルミーヌ嬢は大丈夫』と言われていたのよ。――特に今回は閣下が命を狙われている状況で、身近な者が敵に取り込まれて、裏切る危険性もあった。だけどそんな中で『彼女だけは、どんなことをしていても、娘の味方だから』とあえての念押しがあったの」


 閣下……この成り行きにベルナールは内心げんなりしたものの、表情を変えずに「分かった、あとは引き受ける」と言って、馬車の手配だけ頼んで二人を先に返したのだった。


 そしてベルナールの登場シーンに戻る――。


 女性騎士からあらかじめ『バチェロレッテ・パーティー』なる単語を聞いていたものの、エルミーヌの口からそれが飛び出してもやはり意味が分からず、若干苛立ちが増しただけである。


「バチェロレッテ・パーティーとは?」


「結婚前の馬鹿騒ぎってやつよ。ほら、新郎は独身最後の日に、友人が企画した『バチェラー・パーティー』で羽目を外したりするじゃない? アンナは生真面目が過ぎるからさー、ショック療法ってやつを考えたの」


 バチェラー・パーティーって、ストリップを見たりするあれか。ベルナールから放たれる殺気が二倍増し濃厚になった。大体バチェラー・パーティー自体が別の国の文化で、この国ではさほど一般的ではないし、さらにその女性版だなんて聞いたことがない。


 まさか男性ストリッパーとか雇っていないだろうな?


 ベルナールが低い声で尋問を開始する。


「このあいだ君の温室で見かけた、泣き黒子のある水商売系の男が関係していたりする?」


 犯罪者の尋問を得意とするベルナールは、実に鋭いところを突いたようだ。エルミーヌが、その細い肩をびくりと揺らしたからだ。


「ええと……彼はあたしの従兄(いとこ)でーす」


 嘘つけ。ベルナールは微かに眉を顰めてエルミーヌを見おろした。


「君はこれが深刻な事態だと分かっているのか? 閣下は非常に不安定な状況に置かれていて、我々騎士団の面々は全力で警護に当たっていた。君が取った浅はかな行動が、どれだけ状況を混乱させたか自覚があるのか」


 エルミーヌはぴくりと眉を上げ、不満そうに反論してきた。


「お言葉ですけどね、アンナパパにはあらかじめ許可を取っておいたんですよ? バチェロレッテ・パーティーを企画しているって。ほら、急にアンナを攫ったりしたら大問題になるでしょう? 本当は結婚前夜にやるものなんですけど、警備の問題やら何やらで色々難しそうだから、都合の良い日を教えてくれって言ったの。そうしたらパパさんが条件を出してきて、『護衛のジャンヌを出し抜けたら、やってもいいよ』って。日付は今日を指定された」


 エルミーヌの説明はベルナールにかなりの衝撃を与えたが、その一方で『やはりか』という思いもあった。


 これまでに蓄積された様々な違和感。それらのピースが全てピタリとはまる。


 問題はなぜそんなことをしたのか……であるが、それはあとだ。


 アンナが囚われている部屋に向かうと、なんと彼女は縄で椅子に括りつけられており、おまけに少し乱れてもいた。頬が上気し、若干涙目になって息が乱れている様子を見て、その艶っぽい姿にベルナールは内心激しく動揺してしまった。


「酷いな」


 射るようにエルミーヌを横目で睨むと、彼女は微かにのけ反り、びびったように視線を逸らした。アンナの友人じゃなかったら、血祭りにあげているんだが……ベルナールは物騒なことを考えながらアンナの縄を解いてやり、彼女の軽い身体を抱え上げた。


「私一人で歩けるわ、ベルナールさん」


 そう言うアンナの身体はくったりしていて、力が入っていない。


「何をされたの?」


「うう……縛られて、エルミーヌにくすぐられたの。あの子ったら悪ふざけを始めると、中々やめてくれないんだもの」


 恨みがましく友人を眺めるアンナの顔は半べそ状態である。ベルナールはエルミーヌのほうを見遣り、器用にポーカーフェイスを保ったまま、


「そうだ。君の従兄殿とやらに挨拶したいな」


 と言ってみた。これにエルミーヌはげぇと顔を顰め、つい後ろ暗さから男が隠れている隣室のほうにさっと視線を走らせてしまう。目は口ほどにものを言う、だ。


「ふぅん、隣の部屋か……」


「ああ、いや」


 エルミーヌが大慌てでとてつもない大声を出す。


「あたしの従兄殿はもう帰ったわ! さっき大慌てで窓から逃げたはずよー!」


 お願い逃げて! という願いを察知したのか、隣室の押し上げ窓がガタリと開く音と、外の植え込みが派手に潰れる音が聞こえてきた。エルミーヌは隣室の絨毯がいたく気に入っていたので、ベルナールのせいでそれが汚れてしまい(……血とかで……)捨てる羽目になるのだけは、絶対に避けたいと考えていたのだ。


 だから男性ストリッパーが上手く逃げおおせてくれて、ほっとしていた。


 一方のベルナールは『窓から飛び出して植え込みに落ちるって、亭主が帰って来て慌てて逃げ出す間男みたいだな』と考えていた。


「――では僕らはこれで」


 ベルナールは内心はともかく表面上だけは一応紳士的に別れの挨拶を告げ、アンナをお姫様抱っこしたまま歩き始めた。痛めた肩が少しきしんだが、顔には一切出さない。職業柄、痛みには慣れている。


 廊下に出ると、アンナが身じろぎして呟きを漏らした。


「あの……本当に歩けるから」


「駄目だ。良い子だから言うことを聞いて」


 彼が「首に腕を回して」と囁くので、なんとなく逆らい難いものを感じて、アンナはおずおずとそれに従った。女性とはいえ大人一人を抱えて階段を下りるだなんて、アンナの感覚からしたら考えられないことだった。


 とても重いんじゃないかしらと思うのに、彼は果物籠を抱えているくらいの涼しい顔で、まったく安定性を欠かないので、騎士とはこういう訓練も積むのかしらと変なふうに感心してしまった。


 家を出ると正面に馬車が待機していて、彼はアンナを抱きかかえたままそれに乗り込んだ。


 ベルナールはアンナを抱いたまま膝の上に乗せ、「出してくれ」と御者に命じた。


「……私、こんなふうに馬車に乗ったのは、生まれて初めてよ」


 なんだか愛おしさが込み上げてきて、彼の肩口に顔をつける。長いあいだ離れていたような感じがしていたし、甘えたい気分だった。


「――僕もこんなに素敵な女性をこの手に抱いて、馬車に乗ったのは初めてだ」


 接触しているので彼の話す言葉が、振動となって耳に伝わってくる。


 ――額に優しいキスが落とされた。


 アンナは彼の懐以上に安全な場所はないと感じていた。


 彼に護られている。そして世界一安全であるはずなのに、心臓がドキドキして、心の中は少しだけ騒がしい。


 彼がそっと懇願するように囁きを落とした。


「君が危ない目に遭っているかと思うと、心臓が止まりそうになる。だけどこうも思うんだ……君を心配するのは、僕に与えられた権利なのだと。ずっと君を護ると誓うから、どうか一生僕のそばにいて、長生きすると誓ってくれ」


 彼は心配症なのね、とアンナは思った。こんなに完璧に見える人が、アンナがそばにいるだけで安心できると言うなら、彼女がそれを拒むわけもない。


「誓うわ。私、ずっとあなたのおそばにいます。先にいなくなって、あなたを悲しませたりしない」


 馬車の揺れが彼の身体越しに伝わってくる。なんだかそれが子守歌のように心地良く感じられて、アンナはうとうとする内に、いつの間にか眠りに落ちてしまった。




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