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8 幸運の矢

 

 二日前――


 ベルナールは久しぶりに閣下から呼び出しを受けた。ペナルティとして内勤を命じられた日以来のことである。メールソン閣下は先日の気まずいやり取りなどなかったかのように、従前と変わらぬさっぱりした態度でベルナールに告げた。


「『情報提供者』を名乗る者が、君との面会を求めている」


「いつですか?」


「事前演習が行われるのと同じ日――つまり二日後だ」


 二人は視線を合わせた。


 同じ日ね――


 ベルナールは小さく息を吐く。事前演習が行われるのは、演説会の前日。翌日の準備をしなければならない重要な日だ。


 あえてその日を指定してきたというのは、なぜだろう? 閣下は考えを他者に読ませない独特の凪いだ表情を浮かべて、ベルナールを見遣る。


「きな臭いな……Xデーの前日に、君を排除してしまおうという計画かも」


 どうする? と問うように閣下がこちらを見るので、ベルナールは静かに答えた。


「そこで決着がつけられるなら、望むところです」


「では必要なだけ人材を見繕って、連れて行くといい」


「私は単独で大丈夫です。こちらにつけるくらいなら、閣下の警護に回してください」


 この一本筋の通った強情な若者を、閣下は諦め半分に見つめる。


 ――そう言うと思ったよ。


 静かに瞬きした閣下の顔が、その心情を雄大に伝えていた。


「面会場所はどうするね?」


 問われたベルナールはなんの脈絡もなく、アンナと初めてデートをした時のことを思い出していた。


 あの占い屋が入っている、雑居建物はどうだろう? 深い思惑などなかった。単に頭に浮かんだので、そこを指定していた。



 ***



 演習日――


 約束の時間よりも早く現地に到着したベルナールは、占い屋に向かった。一応面識があるので、一声かけておこうかと思ったのだ。先日同様占い師は小さなテーブルの向こう側に腰掛けていた。相変わらず胡散臭い紗のベールを頭からかぶり、鼻から下も覆い隠している。


「うわ、また来た」


 女が驚いたように呟くもので、それでもお前は占い師なのか? と小首を傾げたくなった。意外な客が来るという未来は、見えなかったのだろうか……。


「これから少し騒がしくなるかもしれない。この店に裏口はある?」


「ええ。後ろに裏通りに通じている扉があるけれど、なんで?」


「ちょっと面倒なことが起こる」


「えー……」


「危険を感じたらさっさとそこから外に逃げてくれ。混戦してくると、助けてやる余裕がないかもしれない」


『多対一』の切迫した状況になると、全てをカバーするのは不可能だ。この占い師はなんとなくすばしっこそうなので、あらかじめ心構えを説いておけば、上手くやりそうだとベルナールは考えていた。


 ところが占い師はなんだか複雑な表情を浮かべて、「うーん」と考え込んでしまった。


「……このあいだ占いに出た『騒動』って、まさかここでなの? カードの情報だと、もうちょっと開放的なイメージだったから、なんか違うような……」


「何か言いたいことでもある?」


「ええとあなた……これからどこかへ行く予定だったりします?」


「ここでの野暮用を片付けたら、『闘技場』に向かう予定だ。そこで明日『演説会』が開かれるのは知っている?」


「ええ。犯罪撲滅のキャンペーンみたいなやつですね」


「そう。そのための事前演習が今日現地であるんだ。僕は演習『後』に合流することになっている」


「闘技場かぁ……懐かしいな。実は私、以前役者をしていたことがあって、あそこによく出入りしていたんですよ。闘技場のイメージが強いけれど、昔はよく演劇場としても利用されていたんです。泉の女神が水底からいきなり浮上して来るシーンなんてもう、お客さん大喜びだったなぁ」


「君が女神役?」


「いいえ、魚の役」


 それって台詞はあったのだろうか……少しだけ気になる。


 雑談しているうちに、どうやら待ち合わせの時間になっていたらしい。


 中庭のほうから屈強な男が二人、こちらににじり寄って来るのが分かった。多勢で来るならこちらは狭い場所で迎え撃ったほうがよいかと思い、間口の狭い占い屋に引っ込んでいたのだが、想定していたよりも向こうの数は多くない。


 直近に二名と、おそらく物陰に三名。後方支援として屋根上に一名。


 ――計六名か。


 ずいぶんとなめられたものだ。剣柄に手をかけようとしたベルナールに向かって、占い娘が焦った様子で声をかけて来る。


「お兄さん、屋根の上の男を落とすのに、これを使って!」


 ぐいぐいと押し付けて来たのはなんと、商売道具のはずの水晶玉だった。戸惑って見おろしていると、


「それ本物じゃないの。安い偽物だから」


 と早口で補足される。安物か……ならば遠慮なく。


 ベルナールは水晶玉改め安価なガラス玉を手の中で転がしてから、振りかぶって思い切りぶん投げた。狙いどおりに飛んだそれは、高所にいた見張り役の頭に当たり、男はものも言わずに落下した。


 これが合図だった。


 戦いの火蓋は切られた。怒声が響き、足音高く賊が店の中に押し入って来る。ベルナールは目の前にあった客用の椅子を小気味よく蹴り飛ばし、敵の足にぶつけた。そうしてから一気に男の懐に飛び込んだ。


 ――速い――


 店の奥で身を縮めていた占い娘は、目をまん丸くしてベルナールの動きを眺めていた。


 なんかこれ、人間の動きじゃなくない?


 瞬きを一つし終えたあとには、一人目が地面にうずくまっていたのだ。


 このスラっとしたイケメン、もしかして中身ゴリラなの……?


 脳が一拍遅れて、ベルナールがしたことを理解する。彼は鞘から剣を抜きながら、その動作を殺さずに、流れるように剣柄を賊の鳩尾に叩き込んだのだ。刺し殺したわけでもないのに、一撃であそこまでダメージを与えられるものなのだろうか?


 強過ぎてドン引きなんですけど……。


 一方のベルナールは戦いながらも思考を続けていた。やはり『情報提供したい』という申し出は真っ赤な嘘だったか。狙いはベルナールの首だったようだ。


 二人目の刺客がベルナールの横に回り込んだのを見て、店奥にいる占い師が「ぎゃあ」とか「危ない」とか怒鳴る。……とっ散らかった娘だった。だから君は占い師だろうと少し呆れてしまう。カードがないとまるで能力を発揮できないのか? だったらいつでもカードを持っておけ。


 二人目が丸太のように太い腕を振り下ろし、斬撃を繰り出してきた。それを軽々といなし、ベルナールは相手のたるみきった腹を蹴り飛ばした。その吹っ飛ばされた巨体で、店先の看板が派手に割れる。熊のような大仰な姿はとんだ見かけ倒しで、ガラスのように脆い。このとおり蹴り一撃で終わる。


 残り、三名――


 このぶんだと広い中庭で決着をつけたほうが占い屋の内装に被害が及ばないかもしれない。そう考えながら庭に出た途端、三名に前後を挟まれた。うち二名は、ベルナールからは死角にあたる背後を取っている。


 怒号を上げて三人の賊が一気に斬りかかって来た。ベルナールは正面の敵の懐にあっという間に飛び込み、胴を凪いだ。その動作はあまりにも速く、鋭く――剣が辿った軌跡は、敵の誰も目視することができなかった。反転し、残った二人に向き直ると、敵はすっかり気勢をそがれた様子でよろめいている。攻めるか退くかも決めきれずに、ただ怯えだけが前に出て、上半身は泳ぎ、下半身は踏み出した足を支えきれていない。


 勝負はすでについていた。


 ベルナールは退屈な残務処理でも行うように危なげなく二名を沈め、剣を鞘に戻した。


 ――あまりにも手応えがなさ過ぎる――


 命がけの戦場で感じるような、背筋が痺れるようなあの感じがどこにもない。初めから終わりまで、予定調和のように退屈なだけだった。何かを見落としているのか? むしろ戦闘が終わってからのほうが、嫌な感じが強くなっている気がした。


 狙いが本当に『明日の演説会』ならば、最大の障壁となるベルナールを今日この場で葬ってしまおうというのは、戦略的に有効だろう。現状騎士団で一番腕が立ち、小回りが利くのが、ベルナールだからだ。だから情報提供者を名乗る者が『演説会前日』に面会を希望していると聞き、最大の戦力をこの場に注ぎ込んでくるものと予想していた。


 どう考えても六人は少な過ぎる。


 しかもこいつらは素人に毛が生えたような寄せ集めの連中だ。


 それはなぜ? 明日の襲撃本番に備えているから? しかし……


 不意に何かが引っかかった。この上なく重要な情報を、直近で耳にしたような気がする。視線をさまよわせると、中庭に設置してある噴水が視界に入った。


 水……水底……


 先ほど聞いたばかりの、演劇に関する話が脳裏に蘇る。急ぎ店内に取って返した。


「さっきの闘技場の話だけれど、泉の女神が『水底』から上がって来る芝居をしたと言った?」


「え? ええ、そうよ」


 壁際に張りついて固まっていた占い師が、こくこくと頷いてみせる。


「一階闘技場の北寄りに、ちょっとしたお立ち台みたいになっている場所があるでしょう? あそこ、地面に大きな穴が開いているのよ。その下に演者が隠れられるの」


「『奈落』があるのか」


「そう。お客さんからすると、穴から突然役者が飛び出して来るので、その演出に驚くのよね。待機時は床が下に沈んでいるのだけれど、登場シーンで、裏方が人力で一気に持ち上げるのよ。奈落には女神様だけではなくて、魚とか妖精役とか、大勢がそこに入れるくらいに奥行きが広かった。なかなか面白い仕掛けだったんだけれど、大昔に作られたセットだから、私たちが何度か使ったら、跳ね上げ床が壊れてしまったの。それで、壊れているのに穴のまま放置していても見た目が悪いもんで、蓋をかぶせる形で、上にオブジェを置いてしまったみたい。見た目は派手なオブジェだけど、意外と簡単にどかせるのよ。はりぼてで軽いから。今となっては闘技場が演劇に使われることもなくなったし、あそこに『奈落』があったのを知る関係者は、ほとんどいないでしょうね」


 確かに一階競技場の穴は、ベルナールが確認した図面には載っていなかった。今回の演説会に向けて担当者が現地調査をしているはずだが、闘技場の現在の管理者に話を聞いただけで、おざなりに済ませてしまったのではないだろうか?


 それで奈落の情報がすっぽり抜け落ちてしまった――。


 このような初歩的な調査漏れがあったのは、実に手痛いミスだった。本来ならばこの手の調査はベルナールが統括して行うはずだった。しかし今回は内勤に回され行動を厳しく制限されていたので、タッチしていない。


 ――やはり他人任せにすると、こういうことになる。


 ベルナールは去る前に占い師の女に告げておいた。


「壊れたものは、騎士団のメールソン閣下宛に請求書を送ってくれ。全額弁償する」


 すると何を思ったのか、占い師の女が足元にあった細長い筒を拾い、こちらに投げて寄越した。


「それ、持って行って。私の故郷に伝わる幸運の赤い矢」


 先日アンナとここを訪ねた時にも、なんとなく気になっていた例の赤い矢が入った筒である。その他にも普通の矢も二本入っていた。


「ありがとう」


 短く礼を言い、踵を返した。


 敵の狙いはベルナールの首ではなかった。では敵の本当の狙いはなんだ?


 アンナと閣下の顔が思い浮かぶ。しかしこの状況では、一方に絞り切れない。闘技場の奈落の存在が妙に気になるが、敵がその舞台装置を知っているとも限らない。事前調査に見落としがあったことが今分かったから脅威を感じているだけで、敵の襲撃計画とはまるで無関係な要素なのかもしれない。


 しかし万が一奈落の中に敵が潜んでいた場合、演習時は沢山の騎士が『外』を警戒しているから、内側から攻められれば、不意を突かれてひとたまりもないだろう。


 ――そして当然、アンナも安全ではない。


 ベルナールをここで消すチャンスを見送ったのだから、敵は今日絶対に何か仕掛けてくる。普通に考えれば騎士団の戦力が集まっている闘技場よりも、別の場所を狙ったほうが効率的であろう。


 アンナを攫うことができれば、閣下を揺さぶる切り札になりうる。敵からすると旨みが大きい。


 さて、どうする――


 こんなことなら、全力でベルナールの首を取りに来てくれたほうがずっと良かった。閣下が「きな臭い」と言っていたのが印象に残っていて、てっきりこの情報提供者と会う場面が、決戦の時だと思い込んでしまった。後手、後手に回っている。


 アンナは今日、結婚式で着るドレスの試着に行っているはずだ。地図を思い浮かべると、アンナの現在地がここから近く、またその場所は闘技場へ向かう途上に当たるので、馬を駆って先にドレスショップに向かうことにした。


 現地に着いてすぐ異変に気付いた。ドレスショップの向かいのカフェで、ジャンヌがテーブルに突っ伏しているのが見えたのだ。馬上から飛び降り彼女の首筋に触れると、脈動が感じられた。どうやら気を失っているだけのようだ。


 テーブルの上には飲みかけのお茶が入ったカップが二客。直前まで誰かと一緒にいたようである。


「ジャンヌ!」


 呼びかけても反応がない。覚醒を促すため、グラスに入っていた水をかけるが、彼女の頭がはっきりするのを待っている暇はなかった。とにかく今は一分一秒が惜しい。


 どこだ――この場所が良く見えて、かつ、ドレスショップの入口も確認できる場所――


 視線を巡らせたベルナールは、現在地であるカフェの二軒隣にある、建物と建物のあいだへ急ぎ向かった。その壁面には白墨で横線が一本、派手に引かれていた。


 ジャンヌならば重要なミッションにはバックアップを用意しているはずで、もう一人ここに別の護衛がいたに違いないのだ。その人物が今ここにいないのは、今のベルナールにとっては朗報である。


 念のためドレスショップに入って確認すると、アンナはとっくの昔に店を出たとのことだった。普通に家に戻っただけかもしれないが、護衛役のジャンヌがあの状態でいたのを鑑みると、到底そうは思えない。


 ふたたびジャンヌのところに戻るが、彼女はまだ本調子ではなかった。やっと上半身を起こし、少しぼんやりした様子で周囲を窺っている。


「誰とお茶を飲んだ?」


 ベルナールの厳しい問いにジャンヌは数回瞬きを繰り返し、テーブル上の飲みかけの二つのカップに視線を留めた。一つは自分が飲んだもので、もう一つは――?


 ジャンヌの顔色からさっと血の気が引いていく。


「分からないわ、記憶がない!」


 この状況にジャンヌは激しく取り乱した。


 しかしベルナールにはその症状に心当たりがあった。


「エルミーヌと面識はある?」


 アンナの親友である植物学者の名前を問うと、反応があった。


「え……ええ、あるわ」


 混乱しながらも、ベルナールの問いに答えるのが一番重要だとジャンヌも分かっていた。なんとか言葉を押し出す。


「アンナさんの警護をしていた時、目端が利く彼女に見つかって……内緒にしてもらう約束をして、親しくなったの。時々風邪薬だとか、別の薬だとかを用立ててもらっていたわ」


 おそらくグラヴェが婚約する羽目に陥った事件――あの時に一服盛った『アレ』も、エルミーヌ経由で入手したものなのだろう。


 実はベルナール自身もアンナと共に温室を訪ねた際、記憶が飛んだような経験をしている。ふと気付いた時には、しばしぼうっとしていたような……なんとも奇妙な感覚が残っていて、まさか一瞬眠ってしまったのか? と訝しんだのだ。


 しかしそうなる心当たりもなかったので、あの時は保留とした。アンナも一緒にいたので、その状況で一服盛られるだなんてありえないことだと思い込んでしまい、理性が感覚を打ち消した。


 ここで起こったことはおそらくこうだ――ジャンヌがアンナを警護していたところ、顔見知りのエルミーヌが現れた。


 彼女は強引に相席した。エルミーヌはアンナの友人であるし、以前から親しくしていた相手でもあるので、ジャンヌは気を抜いた……。


「ベルナール、ごめんなさい。アンナさんが消えたのね?」


 真っ青になるジャンヌを眺めおろし、ベルナールは呼吸を整えた。


「君はエルミーヌに騙されたんだ。早急に事態の収拾にあたってくれ」


 もうこの場所に用はない。時間的に、ギリギリのラインだった。足の速いこの馬でも間に合うかどうか分からない。


 ――アンナか、閣下か――


 焼き切れるような焦燥感で視界が揺らめく。この状況でどちらか一方を選ばなければならない。提示されている条件はあまりに断片的で、判断が難しかった。仔細検討している時間はない。


 この極限の状況下で、ベルナールは以前閣下から言われた台詞を思い出していた。


「ギリギリまで考え続けろ。お前には不可能を可能にする力がある。両方を手に入れることはできないと諦めるな、案外犠牲を払わずとも、全てが上手くいく方法があるものだ。苦しい状況に置かれた時には、騎士の誓いを思い出せ。――正義を全うすることこそが、回り回ってアンナの安寧に繋がる」


 最後まで考え続けろ、道は開ける。


 ベルナールの纏う空気が変わった。伏せていた瞳を静かに上げる。


 アンナを守りたい、それが彼の全て。


 彼が向かった先は――






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