青い果実をもぎとった
青い果実をもぎとった
蒼佑の気持ちに気付かないで、俺の気持ちはなかった事にして、ただ快楽だけに溺れられてたらどんなに楽だっただろうね?
薄暗くなった蒼佑の部屋で夢から覚醒した元気はぶるりと身体を震わせた。いくらベッドの中で人肌の温もりを感じようとも季節は冬。その上、元気は生まれたままの姿だから無理もなかった。
(寒いな……)
ポツリと心の中で呟いた想いは元気の横で眠る蒼佑に届くはずもなかった。蒼佑からは規則正しい寝息が聞こえる。実年齢よりもずっと大人びいた印象を与える蒼佑の切れ長の双眸が閉じられている所為か、彼の寝顔は幾分幼さを滲ませている。身体を何度繋げても重ならなかった唇が目に焼き付いた。元気は思いのままに蒼佑の唇を手でなぞってみせる。
その手は微かに震えていた。
友人の蒼佑と元気が身体だけの関係を結ぶようになったのは今よりも随分過ごしやすかった三ヶ月前のこと。切っ掛けを作ったのは確かに元気の方だった。
初めて蒼佑と話した時から心を奪われた元気は、クラスメイトという色気のない関係から脱却すべく試行錯誤を重ねた。容姿端麗で性格も明るい蒼佑は皆の人気者で、彼の隣にいる為にはただ指を咥えて突っ立っているだけにはいかなかった。箸にも棒にも掛からないような平凡顔の元気なら尚更だ。蒼佑の好みを調べ上げ、さり気なく会話に織り交ぜながら蒼佑に近付き交流を深める日々。努力の甲斐合って、ただのクラスメイトから友人になるのは簡単だった。ここで満足していればきっと傷付く事はなかったはずだ。だけど元気はどうしても蒼佑の“特別”になりたかったのだ。こんなにも入れ込んでしまったのは初恋だったからかも知れない。17年間生きてきて初めて好きになれた人。遅すぎる初恋。元気は蒼佑の恋人になれる日を夢見ていた。
『俺と寝てみない?』
しかしその直向きな想いも虚しく、出てきた台詞はといえばまるで娼婦のようなそれだった。
(センスも何もあったもんじゃないよね)
せめて身体の関係だけでも、という想いがあったからかもしれない。元気は蒼佑の想いを知っていたから。だからと言ってあまりに不躾過ぎる台詞に自虐し、半ば投げ遣り気味に蒼佑の答えを待った。蒼佑の表情は分からない、というよりも見れなかった。元気自身が俯いてる為だ。一秒が、一時間にも二時間にも感じられるほどの緊張感。びりびりとした電流のようなものが空気中に見えた気がした。そんな元気に『いいよ』とまるで何でもないような蒼佑の答えが降ってきた。
それから後の事はよく覚えていない。気付いた時にはもう蒼佑と幾度となく身体を合わせていたのだ。
(馬鹿みたい)
蒼佑の唇をなぞった指先をじっと見つめて顔をしかめる。こんなにも近くにいるのに。今蒼佑の一番近くにいるのは間違いなく自分なのに。なのに……と元気の瞳は色をなくしていった。蒼佑の心は他に捕われたままなのだ。元気の表情は顰めっ面のまま戻らない。そのまま視界がぼやけて、やがて涙が頬をつたった。
(冗談じゃないよ)
つたった涙を乱暴にぬぐってベッドからやや乱暴に下りる。それでもピクリとも動かなかった蒼佑を横目に冷えた身体を庇いながら制服を纏っていく。コートを羽織っても身体は相変わらず寒さに震えていた。最後の締めとばかりにやけくそ気味にぐるぐるにマフラーを巻いた後、スマホを手にしてメールを作成する。差出人は幼なじみであるあの子ーー亮。
特に用事があるわけではない。それでも元気は蒼佑に抱かれた後、亮にメールを送るのが習慣になっていた。適当にくだらない日常話を作成し送信する。亮は同性から見ても可愛い少年だ。外見は勿論、性格やちょっとした仕草を取ってみても思わず守ってあげたくなるような庇護欲をかき立てられるような存在。そんな亮に蒼佑が心を惹かれるのはあっという間だった。
『初恋なんだ』
切れ長の蒼佑の瞳が優しく瞬いた。あれほどモテる蒼佑だがようやく初恋を味を知ったらしい。元気もだが、蒼佑も初恋が遅過ぎた。蒼佑との奇妙な共通点にくらくらした。それから蒼佑に懇願され三人で遊ぶ事が多くなった。今まで恋を知らないだけあって蒼佑は亮に中々想いの丈を伝えられないようだった。何事も器用にこなす蒼佑の意外過ぎる一面を目の当たりにした元気は胸が苦しくなる。そんな蒼佑に平然と他の男の話をする亮は、あまりにも汚れを知らなかった。亮は蒼佑を振り回していることも元気を傷付けていることも分かっていないだろう。可愛い、可愛い亮の笑顔。自分にはない、自分とは正反対のーー……。
画面上に送信完了の文字を認めた元気の口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。心の中で蒼佑に呟く。
(りーちゃんにメールしといたからね)
蒼佑の想い人である亮に、蒼佑を好きな自分が蒼佑に抱かれた後メールをする。何もしらない亮は返信してくるだろう。
その事実がたまらなく可笑しかった。
無垢な亮を笑っている訳ではない。不器用な蒼佑を笑ってる訳でもない。ただ自分自身に笑えてくるのだ。蒼佑の事は愛してる。蒼佑が恋い焦がれている亮の事も幼なじみとして好きだ。
好きなはずだ。
だけどその底で亮に嫉妬するという醜い感情をくすぶらせている。蒼佑を好きになればなるほど、蒼佑に抱かれれば抱かれるほど。
(りーちゃんは何も悪くないんだ)
頭では理解出来る事も感情は追い付けない。それでも自分自身に言い聞かした。蒼佑に背を向け帰ろうと玄関に足を運んだ。一歩外に出ると周りはすっかり暗闇の世界で、昼間よりも一層冷たい風が元気に容赦なく襲いかかる。コートのポケットに入れたスマホを握り締めた。
亮からの返信が待ち遠しい。元気の真剣なメールは当然の事、くだらな過ぎるメールにもキチンと返信してくれる優しい亮。
(お願いだからたまには無視してよ)
行動と矛盾した願いを抱えながら、ポケットの中にあるスマホをもう一度握り締めた元気は帰宅するべく最寄り駅へと向かった。