人生は一番美しい童話である(56)
「君の姿を見たから、追いかけてきたんだ。そこのドーナツ屋にいてね」
トーマスが近づいてくる。その顔はなんともいえない表情をしていた。
「…これはなんだい」
そう言って壁を指差す。そこに書かれた意味を彼は噛み締めているんだろう。その相貌は鋭い。
ああ。嘘をついたのも裏目に出たか。
そう思ってセリーヌはため息をついた。
「アタシ達、道に迷ったのよ。それで辿り着いたらこんなのがあったから、警察に言うか悩んでたところなの。
貴方はどう思う?」
アリーが不安げな顔でトーマスを見る。その表情が嘘なのをセリーヌはわかっていた。そして彼女が自分の為に戯れ言を並べたことも。
「…君は?」
トーマスが訝しげな目でアリーを見つめる。
「アタシはアリー。セリーヌのルームメイトよ」
「僕はトーマスだ。よろしく」
そう言って2人は握手した。その手を握ったまま、トーマスはアリーを見つめる。
「…随分と逞しい手だね」
「だってアタシ、男だもの」
あっけらかんといい放つアリーを見て彼は笑った。
「随分と綺麗だね。男とは思えないや」
そう言ってトーマスはまじまじと彼女を見る。言われなければ男だとはわからないだろう。
だが、手を握っただけで勘づく彼の観察眼がセリーヌには脅威になるだろうと容易に想像がついた。
「…とりあえず、僕は言わなくて良いと思うよ。届け出るべきじゃない。
だって君達も残忍な黒蝶とは関わり合いたくないだろう?」
探るような目で彼女達を覗き込む。
「確かにそうね。アタシ達にまで被害が来るのはごめんだわ」
アリーはひらひらと手を振りながら答える。セリーヌは黙ったままだ。
「…君はどうなんだい? 同じ名前の人間として」
そこの言葉に彼女は微かな違和感を覚えた。何が違和感の元かはわからなかったが感じたのだ。
「私も同じ意見だ」
そう言ってじっと彼の目を視る。未来予想の為でなく、自分が本心を口にしていると信じ込ませる為だった。その目をトーマスが見つめ返す。暫く見つめあったあと、彼は目を逸らし「そうか」とだけ言った。
「こんな物騒なところに留まる必要は無いわね。行きましょ、セリーヌ」
「…そうだな、アリー」
そう言ったセリーヌをトーマスが見つめた。
「…人によって話し方が違うのは処世術かい?」
鋭い指摘に押し黙るセリーヌ。
「随分と賢い人だ。やっぱり君は素敵だね」
そう言って笑うトーマスは立て続けに、お茶でもどうかと彼女達を誘う。2人は快く頷き、トーマスの後へと続いた。
車の側で2人を責めるような視線で見つめる凸凹コンビがいたのは、言うまでもない。しかし彼らもドーナツを片手に車に乗り込み立ち去った。