人生は一番美しい童話である(32)
そういえば何時なのかしらと外を見ると、空はいつの間にか赤く染め上げられていた。
「やだ、帰らなきゃ」
セリーヌはいきなり立ち上がる。その反動でテーブルの上の皿がガチャガチャと音をたてた。そのうち一枚が音をたてて床に落ちる。四方に飛び散った皿の破片が彼女の足に傷を1つつけた。
「ごめんなさい」
そう言ってセリーヌは慌てて破片を拾おうとする。
「嬢ちゃん、触ったら指が切れちゃうよ!」
「そんなん船長に任せて急いで帰りな! 怒られちまうんだろう」
「俺らが何枚も割った皿、船長はいつも片付けてくれてんだ! プロに任せろ!」
お前らなあと呆れ顔の船長もセリーヌの方を見て「急いで帰んな!」と笑う。
「皿割った分、また来てくれや! 嬢ちゃんみたいなべっぴんさんがいると、俺らも嬉しいや」
そう言って船長はセリーヌの頭をぽんと叩いた。間近で見ると、海原にそびえ立つ灯台のように思えた。
そうか。こういう人が慕われるのか。こういう人が未来を照らしてくれているのか。そう思うとなんだか納得がいって、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。
「夜道を女一人で返しちゃいけねえ、トーマス送ってやんな」
「船長」
「お前が今日食った分は今度手伝いにでも来て払ってくれ」
がははと笑ったあとに彼は神妙な顔つきに変わる。
「…まあ、あぶねえのは冗談じゃないがな。ついこないだも女が何人か連れ去られてよ。誰かはわかんねえんだが。
でもここ最近現れねえから、きっと黒蝶さんがやっつけてくれたんだろうよ」
"黒蝶"という名前が出た瞬間、セリーヌの身体に戦慄が走る。トーマスが横目で彼女を見ていた。その瞳はさっき彼女が名乗ったときと同じ冷たい目だった。
「黒蝶さんのおかげで、この街の平和は保たれてんだ。ありがてえこった」
そう言ってトーマスの背中を押す。
「今日はお前が黒蝶さんで、このお嬢ちゃんが街だな!
ちゃんと守ってやれよ」
2人の間に流れる沈黙など気にも止めず彼はそう言って、ぐいぐいと2人の背中を押した。そして扉を開けると「狼にはなるなよ」とトーマスに言って、がははと笑いながら閉めた。




