一灯を下げて暗夜を行く(34)
「ハミル・フランクリー。35歳。将来有望と言われたシェフが表舞台から姿を消したのは2年前だったかな? 当時は大スクープになって見つけた人には何百万円という報酬が与えられるはずだった。沢山の人があらゆる場所を探したが、結局、彼は見つからなかった」
アルバートはそこまで言って、ルーカスに目を向ける。
「……彼の得意料理はなんだったかな」
「肉を使った料理よ、アル」
「そうそう。……ん? 確かその頃だったかなぁ。魚料理中心だったこの店が、肉料理も出し始めたのは。なあ? ライオネル」
彼は沈黙を貫く。しかしその沈黙が答えを表しているのは、誰の目にも明らかだった。
「それからセオノア・シャルドニーニ。彼はなんだったかな」
「……彼は世界的なソムリエね。この街では珍しく高教養な人物だったわ。
彼も行方不明だけれど」
アリーがにこにこと笑いながら答えた。しかしその目は笑っておらず、じっとライオネルを見つめていた。彼の奥底に眠る狂気を見据えるように。
「ああ。そういえば」
セリーヌが言ってカウンターから身を乗り出した。
「この店はいやにワインが多いよな。それも普通なら高くて手に入らないようなワインがわんさか。普通のバーよりも安い値段で置いてある。
……不思議だなぁ。いつからだい?」
「どこの店から買い付けているのか、是非教えてほしいわ。特にこのヴィンテージワイン!」
ルーカスが1本のボトルを手に取る。
「これなんか、ワタシが生まれた年のワインよ? なかなか手に入らない逸品じゃない」
「あ! これオレも知ってる! バジョレー・ルーボーだ!」
「ボジョレー・ヌーボーよ、トット」
「……わざとだよ」
トットが瓶を取ろうと腕を伸ばした。指先が触れるか触れないかのところで、雪崩のようにディスプレイされていたボトルが崩れ落ちる。
小気味良い音をたてて、赤い液体が地面を広がった。
「なんてことを!」
今まで石像のように押し黙っていたライオネルが駆け寄って、ガラスを拾い集める。その手を素早く踏みつけ、セリーヌは言った。
「ライオネル、なんてことを」