消息
エルドラゴ城の北西に位置する小さな村の中にある調査機関「Angel Halo」の事務所には、珍しく数人の客人が訪れていた。機関長代理の和美は突然の来訪者たちを丁重に二階の応接室に通し、各々の持ち場へ向かっている仲間に緊急召集をかけた。来訪者の持つ特異性を鑑みれば当然の事である。
突然の来訪の理由にはいくつかの予想は立てられるが、一つ言えることはどのような理由であれ、ある一人の冒険者の消息についての事案であると言うことは和美には容易に想像できた。
「只今戻りましたっ」
事務所の階段を駆け上がり、扉を破らんばかりの勢いで入室してきたエメラルドの輝きを持つ長い髪のドギニーの亜人を和美が叱責する。
「御前なるぞ。無礼であろう」
いつもとは異なる厳かな口調の和美の声が、朗々と事務所に響き渡る。その声には微量の熱と期待が込められていたが、本人以外が気づくことは無かった。
「もっ、申しわけございません」
反射的に謝って、ナオは小さな身体をさらに縮めて低頭する。
「構わん。押しかけてきたのはこちらだ。それに、居てもたっても居られないお主の気持ちは良くわかる」
長い金髪を掻き上げて主賓席に座る若い女王は微笑んだ。調査機関「Angel Halo」はエルドラゴ王国の現国王フィーナの直轄機関である。数か月前の騒乱の前に発足した小さな機関であるが、国家の転覆を目論んだ陰謀を鎮圧した功績を認められ新体制の元でも存続が許可されていた。
「恐れ入ります」
固まっているナオの代わりに和美が返事をし、ナオにも椅子に座るよう勧める。本来なら女王と家臣の間柄である。跪いて敬意を表すのが一般的であるが、そのような畏まった態度を女王が許していない。この機関に関わる者が女王の前で跪くのを許されているのは公の場所でのみだ。
息を切らせて席に着いたナオを一瞥してフィーナは満足気に頷いた。機関長代理の和美、構成員のナオ、ケイ、シーマ、グングニルがそれぞれ席について一様にフィーナに視線を送っている。
「そう言えば、噂の新入りがみえないようだが」
勿体ぶってフィーナが話題を逸らす。先日の騒乱の後、この機関に新しい構成員が入ったことはフィーナの耳にも届いていた。しかも国家でも欲しがるような有能な冒険者が二人も。
「二人には東西の国境にて情報収集を命じております。すぐには戻って来られないかと存じます」
焦らせてやろうかと言う悪戯心に対して、生真面目な和美の慇懃な口調にやや興醒めしたか、フィーナは待たせてあった部下に合図を送り、部屋に入ってくるよう合図を送る。
大きな体を曲げて戸口をくぐって応接室に入ってきたのは「女王付き書記官」の地位を賜った五郎丸である。民間のギルドと王国騎士団を結ぶ橋渡しとしての責務の傍ら、五郎丸は周辺各国の情勢を調査し情報を解析しつつ、歴史書の編纂に携わっている。この男無しでは、国の復旧には倍の時間を要したであろうと謳われる人物である。
「先日ミュケナイ帝国の軍事広報の掲示板に新たな人事が発表された。本来なら他国には出回らない代物であるが、これは極秘裏に手に入れた画像だ」
五郎丸は部屋に入るなり挨拶もなしに手にしたオベリスクストーンから画像を抜き出した。どうやらどこかの国の王宮内での叙任式であろうか。豪奢な装飾が施された室内で国王らしき人物から剣を賜る人物が写っている。
軍事情勢は国の存続に関わる重要事項だ。その情報を容易く入手してしまう五郎丸の情報網に、今更関心することもなく一同は画面に釘付けになった。
亜麻色の肩までの髪、白い肌に整った鼻筋。髪と同じ色の瞳。そして手渡たされている剣とは別に背負っている紅い大剣……。
「どう思う」
神妙な面持ちでフィーナが短く問う。彼女自身も初めてこの画像を見せられた時、己の眼を疑わざるを得なかった。酷似しているとかそう言う次元の問題ではない。フィーナの眼には同一人物にしか見えなかったのだ。国が密かに行方を捜している救国の冒険者に。
「どうって、見たままじゃありませんか。間違いなく隊長ですよ。良かった。やっぱり生きていらっしゃったんだ」
若いグングニルが声を弾ませて喜びを表す。だが、周りの構成員たちの表情はそれほど明るいものではなかった。
「あれ。皆さん。どうしたんですか。嬉しくないんですか」
怪訝な顔をしてオベリスクストーンを見つめる仲間にグングニルが声をかける。
「勿論、生きているのは喜ばしい事ですわ。でも問題はそこではなくてよ」
和美が横目でグングニルを見遣りながら唇を噛む。和美自身もアンジェリナの姿を見ることができたのは嬉しいことではあるのだが、エルドラゴの冒険者が他国で騎士に叙任されたとなれば王国に帰国することは叶わない。それに気が付いたグングニルも息を飲み込んだ。
「まさか亡命したってことですか。隊長がエルドラゴを捨てて。そんな事ある訳ないじゃないですか」
信じられないと言う身振りでグングニルが声を荒げる。
「そう決まった訳ではない。この画像の人物はミュケナイ帝国の銀狼公国の新領主の養女となったシスティーナ・ハミルトンと言う女性だそうだ」
五郎丸がオベリスクストーンから更に情報を引き出す。だが、名前、身長などの情報以外は、ほぼ全て非公開となっている。魔物に襲われていた領主の娘の一行を助けたのをきっかけに、ハミルトン家に迎え入れられたと経緯のみが公表され、それ以外の過去の経歴は明かされていない。
「これ、本当にアンジェリナ様でしょうか」
ナオが独り言のように呟いた。その声に一同の視線が集中する。
「認めたくない気持ちは解るが、これはどう見ても彼女だ。容姿だけなら他人の空似と言うこともあり得るが、背負っているのはカラドボルグだ。エルドラゴでカラドボルグを振るう者はアンジェリナしか居ない」
己にも言い聞かせるようにフィーナが告げる。その事実を全員が知っていたので、それ以上のことを言う者はいなかった。
「何だ、ナオ。何かもう少し言いたいことがあるか」
一同の中で一人納得できないような面持ちで画面に見入っているナオにフィーナが意見を求める。
「は、はい。お許しを得て申し上げます。確かにこの人、アンジェリナ様にお顔もそっくりで似てるけど、でもどこか感情が抜け落ちてるって言うか……。この人が笑っても、きっとアンジェリナ様のような笑顔にはならない気がするんです。それに、カラドボルグ。あたしはお傍で仕えて剣を磨かせて貰ったこともありましたが、少しだけ鍔元の形状が違う気がするんです。これじゃあ、今までの鞘には収まらないと思います」
機関の武器担当としてカラドボルグに触れたことがあるナオの言葉にその場が静まり返った。言われてみれば、王宮に呼ばれると言う公の場で大剣を鞘に納めていないのは不可解なことだ。
「確かな事と言い切れるか」
向かいのフィーナが真剣な表情でナオの顔を覗き込む。その美しさに気圧されてナオは一瞬息が詰まったが、はっきりとした口調で女王の質問に答えた。
「お顔については印象というだけですが、剣については間違いありません」
その言葉を聞いて五郎丸の口角が吊り上がるのをフィーナは見逃さなかった。
「なんだ。五郎丸、やけに楽しそうだな」
「失礼。不謹慎ですが、面白くなりそうだと思いまして」
「言っておくがお前の出陣は許さんぞ。これは調査機関にこそ依頼したい仕事だ」
「心得ております」
殊勝に頭を下げる五郎丸の耳に補佐官のリンカの声が飛び込んできた。リンカは王宮からの至急の知らせが書かれた羊皮紙を恭しくフィーナに差し出した。
「一大事でございます。たった今、ミュケナイ帝国紅鷲公国から使者と名乗る冒険者が王宮に到着しました。ですがその使者、アンジェリナ様にそっくりなんです」
部屋にいた全員が立ち上がった。
「これはこれは……。俺が思っていたより、はるかに面白くなりそうだな」
呆れたような声でそう告げると、使者に面会するため一同はすぐに王宮へ向かった。